第5話
楽団がテンポのいい軽快な曲を始めると、とたんに観客から手拍子が沸き起こる。
広場の中心は楽団を囲んで結構な人だかりになっていた。人の輪の一番外側からその様子を見ていたフェリシアは、思わず「うわあ」と目を輝かせた。
「本当に、賑やかですね!」
「うん、でも、彼らは週末にはいつもここで演奏してるんだ」
「え!お祭りだから特別なんじゃないんですか!」
もう一度、思いきり背伸びをして輪の中を覗くと、揃いの派手な衣装を着て、つばの広い帽子をかぶり、太鼓や笛や弦楽器を陽気にかき鳴らす。金色の髪の女性が裾の広がった真っ赤なドレスを着て、曲に合わせてダンスを踊っていた。人々はステップに合わせて手拍子をしたり、一緒に歌ったりして楽しんでいる。
「すごかったです、あんなの初めて」
「そう?君の村では楽団の演奏はない?」
ベルンハルドに問われて一瞬口ごもってしまった。
「ああ、ほら、なんだか喉が渇きました。なにか飲みませんか?」
フェリシアはすぐそばの屋台でよく冷えた果実水を二つ買った。それのひとつをベルンハルドに「はい」と渡す。
「さっきのお礼です」
するとベルンハルドは目を見開いて、くすくすと笑い出した。
「いや・・・失礼、この僕がレディにおごってもらうとは」
なかなか笑いが止まらない。
「な・・・なにか、失礼だったでしょうか?」
「いや、そうじゃなくてね、女性にはおごるものだと思っていたから。ありがたくいただくよ」
和やかに笑いあって、果実水に口をつけたときだった。
「ベルンハルド!」
男性の声がして、ベルンハルドが振り向いた。
「ヨハネス」
背の高い、長髪の男性が駆け寄ってくるところだった。ヨハネス、と呼ばれた男は、肩の下くらいまで伸ばした白髪を紐でひとつにくくり、服装はベルンハルドが着ているのと似た雰囲気の青い服だ。これは騎士団の制服、左胸の銀のラインに狼の意匠のエンブレムがあるので警護職、いわば警察官の役職にあるのがわかる。市井の事情に疎いフェリシアだが、そのくらいの知識はある。
フェリシアがヨハネスを見ていたら、ふと目が合った。
とたんにヨハネスは体をななめ45度の角度に開き、右腕をフェリシアにまっすぐ伸ばし、左手は自分の胸に添えてにこっと微笑む。ヨハネスの周りにキラキラと光が舞い散り、薔薇の花が咲き乱れた・・・ような気がした。
「こんな可憐なお嬢さんをどこで見つけてきたんだい、ベルンハルド!・・・お嬢さん、私はヨハネス・リンドヴァル。警護隊の隊長をしております」
ヨハネスの手がやさしくフェリシアの手を取った。
「ヨハネス!」
とたんに横からベルンハルドがヨハネスの手をはたき落とした。
「むやみに触るなよ」
「なんだいベルンハルド、君のいい人かい?」
「いい・・・って、いや、むやみに女性に触るのは感心しないと言ってるだけだ」
「お堅いやつだなあ!見ろ、彼女のほっそりとしたたおやかな手を!こんな美しいものに触れずにいられるのかい!それこそ女性の美に対する冒涜というものだよ」
そういってフェリシアの方を向き直る。
「お嬢さん、ぜひお名前を」
「エ・・・エレン、です」
「エレン!ああ、なんて優美な!」
ヨハネスの周りにキラキラ効果が飛ぶ。フェリシアはどうしていいかわからず困ったままだが、道行く人は「ああ、ヨハネス隊長のいつものイベントだな」と苦笑いしながら通り過ぎていくのみだった。
「ヨハネス!用事がないならもう行くぞ」
その中で苦虫をかみつぶしたような顔をしているのはベルンハルドただ一人。
「なんと!彼女の美を称えるのは大事な用事・・・やめろ!ベルンハルド!痛い!髪を引っ張るな!」
どうにかベルンハルドの魔手から逃れたヨハネスは「トリートメントを欠かさない私の美しい髪に・・・」とぶつぶつ言っていたが、すぐに居住まいを正して二人に言った。
「まじめな話、ここのところ若い女性が数人行方不明になる事件がおきているんだ。女性の一人歩きは危ないからと彼女に声をかけようと思ったら、ベルンハルドが隣にいたからびっくりしたよ。そんなわけだから、ベル、ちゃんとエレン嬢を送ってくれたまえよ」
「ああ、わかってる」
それから長々と「別れはつらいが仕事があるので」という内容に無駄な装飾語をごってりと盛りつけた台詞を語って、ヨハネスは去って行った。
「・・・ごめんね、エレン。王立騎士団の見せたくない部分を見せてしまった」
「いいえ、ちょっと驚きましたけど、いい方のようでしたから」
「使える男だしいい奴なんだけど、ああいうところだけは・・・」
ふたりで顔を見合わせておもわず吹き出してしまった。腹の底から声を出して笑うのなんて久しぶりだ、とフェリシアは笑いながら思った。
それからもまた二人で市場をひやかして回った。
色とりどりのアクセサリーや衣装は精霊殿にはなじまないものなので、フェリシアにはなおさら目新しい。自分でもはしゃいでいるのがわかるけど、今は自分は精霊の巫女フェリシアではなく、ただのエレンだ。この時間を楽しみたい。
ふと彼女が足を止めたのは、華やかなスカーフを扱っている屋台だった。シルクなのか、薄く柔らかい布地を明るい色に染め上げ、ふちにビーズを編み込んだ縁飾りがついている。フェリシアを射止めたスカーフは、きらきらと太陽を反射するビーズはルビー色、スカーフ本体は淡いピンクをグラデーションのように染めてある。
「きれい・・・」
「お嬢ちゃん、それが気に入ったかい?」
屋台のおばちゃんが声をかけてきた。でもすぐにひそひそ声になって、フェリシアにしか聞こえないように耳打ちしてきた。
「その色あわせを選んだってことは、さては片思いだね?」
そう言ってベルンハルドをちらっと目だけで見た。とたんにフェリシアの頬がかあっとバラ色に染まる。
「ど、どういうことでしょう」
「おや、知らないのかい?昔からあるおまじないでね、スカーフの色とふちのビーズの色あわせで願掛けをするんだよ。この色あわせは、秘めた恋の成就を祈るのさ」
「・・・・!」
思わず背中を冷たいものが走る。
この色あわせのおまじないは、フェリシアは知らなかったが、常識的なものなのだろうか。だとしたら、ベルンハルドもそれを知っていて、自分がこのスカーフに見とれていたことで秘めた恋の相手がいると思われてしまっただろうか。
けれど、ベルンハルドはよくわかっていないのか、特に変化は見られない。
「まあ、おまじないどうこう言うまえに、きれいなデザインだろう?安くしとくよ」
最後の言葉だけはベルンハルドに向かって言い、にやっと笑って見せた。
「い、いえ、私は自分で」
慌てて口を挟み、スカーフの代金を支払った。彼がトルドでもベルンハルドでも、プレゼントしてもらう理由はなかったから。
王城の鐘が鳴り、夕方の刻限を知らせる。
「もう、夕の刻限?」
楽しいときの立つのは本当に早いもので、寂しくなってしまう。まだ帰りたくなんてないけれど、レーネやマウリッツに心配をかけるわけにはいかない。
「エレン、もう帰るのか?」
「ええ、兄が心配しますから」
ベルンハルドは「そうか」とちょっと寂しそうに微笑んだ。
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