第3話
ハルメルの街は、蜂蜜色の煉瓦で作られた建物で、景観が統一されている。
建物は外観が似たような感じなので、うっかり迷子になりそうだが、実際は看板や飾りでそれぞれ意匠が凝らされていて、また、通りの名前が書かれた小さな看板がどの角にもあるので迷うことはない。
そんなハルメルの街も、この精霊大祭の時期だけは、びっくりするほど華やかになる。
色とりどりのリボンが街路樹や辻つじの標識に結ばれ、建物にも同じようなカラフルなリボン飾りがつけられる。リボンには金銀の鈴がついていて、風が吹くたびに涼やかな音色を響かせる。
馬車で王城へまっすぐ伸びる大通りを進みながら、フェリシアは美しい街の様子に胸を躍らせていた。街は華やかで、人々は楽しそうに笑いさざめき、広場には楽器を演奏する人たちがいて、祭のメインの日はまだ先だというのにぽつりぽつりと屋台も出ている。
(楽しそうだなあ)
フェリシアはうれしかった。
街が活気にあふれているのは国が安定しているからだ。この国はもう長いこと戦争もなく、平和が続いている。自分の仕事がほんのわずかでもこの繁栄の役に立っているのだとしたら、それは心の底からうれしい。
やがて王城の重厚な門をくぐり、馬車は正面玄関へつけた。
「巫女様、ようこそおいでくださいました。お疲れでございましょう」
出迎えたのはこの国の宰相・ヘンリクだ。30代なかばで今の地位に上り詰めたこの博識な男は、いつも穏やかな表情を崩さない。もちろん、それだけで勤まる商売ではないが。
「ヘンリク様、お久しぶりでございます。お変わりありませんか?」
「はい、おかげさまでつつがなく。しばらくお目にかからない間にますますお美しくなられた」
「とんでもありません」
「いえいえ。では、陛下がお待ちです。こちらへ」
フェリシアはヘンリクに案内されて王の居室へ向かった。通る道すがら、廊下にも色とりどりのリボンと鈴が飾られている。
「それにしても、いつものことながら陛下は。私、まだ旅装のままですのに」
護衛の兵士に聞こえないようにぽつりと文句を言うと、前を歩く宰相がくすりと笑った。
「それだけ陛下もフェリシア様をお待ちかねなのですよ」
「おお!来たか、巫女殿!」
執務室に着くと、待ちかねていたように王が立ち上がった。机の上に山積みの書類はここぞとばかりに無視している。
王はすぐに人払いをして、執務室には王とヘンリクとフェリシアの3人だけになった。
とたんに、王はフェリシアを抱きしめた。
「変わりはないか、フェリシア」
「はい陛下。元気にしております」
「どうだ、困っていることなどないか?」
「皆、良くしてくれます。」
「そうか、よかった」
王…マウリッツはいとおしそうにフェリシアを見た。フェリシアも、優しい 瞳でマウリッツを見返す。
ソファを勧められて三人で座る。マウリッツは雑に足を組んではいるが、何やら腕を組んでむずかしい顔をしてみせた。
「フェリシア、実は話があるのだが」
「はい、陛下」
「…精霊の巫女の役割は、辛くはないか?」
フェリシアは目を見張った。まさか、そんなことを言われるとは思いもよらなかった。
「いいえ、ちっとも。私は今の生活に満足しております」
「おまえももう18歳、おまえが望むなら、結婚して…いや、それ以前に、おまえにはハルメルに戻って、この城で暮らしてほしいと」
「私にはもったいないお言葉です、陛下。でも、私ではこの素晴らしいお城にはふさわしくありません」
フェリシアはにっこりと笑って拒否した。
巫女という役目自体をフェリシアはとても大切に思っているし、やりがいも感じている。そもそも、だれでも巫女になれるというものではなく、精霊の言葉を聞く能力を持っている希有な存在なのだ。
フェリシアは現在確認されている唯一の巫女になる資格をもった乙女。もっとも、同じ時代にその能力を持つ人間は二人は現れないのだが。
つまり、現在、フェリシア以外に巫女になれる人間はいないのだ。
「私は巫女のお役目に誇りを持っています。辞めるつもりはありません。結婚するつもりも。」
強く意思を固めた双眸は誰に似たのか。マウリッツはいつもこれで折れてしまう。ふう、とため息をひとつついてソファから立ち上がると、フェリシアの隣に座り直した。
「わかってくれ。私はいつでもおまえの幸せを願っている。本心を言えば、公的に自分の立場を認めてほしいと」
「いいえ、私の母は庶民の出です。父上がどうあれ、私はふさわしくないのです。陛下の・・・」
「だから、せめて私とヘンリクの前くらいではその陛下もやめてくれないか?」
この議論も毎回会うたびに言われている。
「私は、そのたびにおまえに認めてもらっていないのではないかと寂しくなるよ」
わざとらしく額に手を当て、深くため息をついて見せたマウリッツに、フェリシアもなんだか可笑しくなってしまった。そのくらいなら罰は当たらないだろう。
「わかりました・・・マウリッツお兄様」
そう、フェリシアはマウリッツの母違いの妹だ。前国王アブラハムと、城で侍女をしていたロニエとの間に生まれたフェリシアは、王族であることを頑なに拒んでいた。ロニエが庶民であったことを恥じているわけではない。ただ、マウリッツの邪魔になりたくないだけだった。国の貴族たちの選民意識がとても強いことを知っているだけに、庶民の血が流れているフェリシアを妹として遇すれば、マウリッツに対して貴族たちがマイナスの感情を持つことが目に見えている。
兄と呼んでもらえたことに満足したのか、マウリッツはうれしそうにほほえんでから、場を改めるようにこほん、と咳払いを一つした。
「ところで、フェリシア。今日は疲れているだろうからゆっくり休むといい。大祭が始まるまで1週間、その間準備もいろいろあるだろうからな。昼は部屋に運ばせるが、夕食は一緒に取らないか?」
「はいお兄様、よろこんで」
そう約束だけして、フェリシアは執務室を辞した。
けれど、今日はどうしてもやりたいことがあった。
自室に戻り、早めの昼食を取ると、レーネたちお付きの者には「疲れたから休む」と言って寝室に引きこもった。実際、3日間の旅は大変だったし疲れてはいるが、今日はチャンスだ。こうやってひきこもっていても、だれにもとがめられない。
精霊殿でこっそり縫っておいた、町娘ふうのワンピースに着替え、髪と瞳の色を魔法で変える。フェリシアの銀の髪は町中でもないわけではないが、全く印象を変えてみたい変身願望のようなものもあって、髪は一般的な濃い茶色に、瞳は黒にも見えるようなくすんだ緑色に。それをひもでひとまとめにくくってしまえば、どこから見てもただの町娘だ。フード付きのマントをすっぽり被り、ベッドの中にクッションを詰め込んで人が寝ているような形に整えて、ベッドの脇の壁を探って1カ所だけ動くタイルをぐっと押す。すると、音もなく壁が開き、細い通路が現れた。3年前に見つけておいた城の抜け道だ。
フェリシアは静かにその入り口をくぐるとそっと閉め、通路を奥へと進んでいった。
通路を進んだ先は、城の脇にある小高い丘の中腹にある洞窟だ。こっそりそこから出て、丘の麓に広がるハルメルの街で一番にぎやかな市場を目指して坂道を駆け下りていった。
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