誰にでもできる仕事だからとクビにされました
タリアは小さな鞄を胸に抱えてとぼとぼと歩き出した。
たった今、三年間勤めていた伯爵家を辞めさせられたところだった。
理由はよく分らない。ただ、誰にでもできる仕事だから、きみが居なくても困らないという言葉が耳に残っていた。
誰にでもできる仕事というのは当然だとタリアも思う。タリアは下級メイドだ。そんな難しい仕事は与えられていない。十三歳から働き始めてようやくすべての仕事を滞りなくこなせるようになった程度なのだ。
当たり前じゃないの、というもやもやとしたものが胸の中にあって、一生懸命働いていたことすら否定されたような気持になって、気持ちが沈んでいく。
一方で、もうあの場に居なくても良いことに安堵している自分も自覚していた。
いつの頃からか、居心地が悪くなった。
話しかけても、返事をもらえてもそっけない。必要なことを伝えては貰えるが、何気ない雑談はなくなった。何もなければ、一日中誰とも会話の無い日もあった。
それまでは、少ないながらも会話はあったし、一生懸命働いていれば、それだけで良かったのに。
何が悪いのか、自分が悪いのか、何か誤解があるのか、それともその状況すら勘違いなのか。
手を動かしながら悩み、誰とも会話をしないまま食事をし、ベッドのなかで考える。そんな日をもう送らなくて良いのだ。
そう考えたら、わけの分からない理由で辞めさせられたことも、どうでも良いような気持にもなってくる。
ため息を一つ落とし、タリアは歩き出した。
今度は、少しだけしっかりとした足取りで。
タリアの去った伯爵家にて。
「タリア、辞めさせられたらしいね」
メイドの一人が窓を拭きながら言った。
「やっとですよ。……まあ、良かったです」
廊下の別の窓枠を拭いていたメイドは答える。
「いるだけで、空気が悪くなったですもん」
「本当に」
二人はひっそりと笑い合う。
「これで、エナも気が楽になるねぇ」
「エナ、真面目な良い子ですから。きっとすぐに新しい仕事を貰えるようになりますよ」
食堂で鍋や食器を洗うメイドたちも話す。
「タリアは辞めさせられたって?」
「そうなんですよ。みんな一緒に働きたくないって言っていたから、良かったです」
「……ああ、エナをいじめていたって?」
「いじめていたっていうか、エナの仕事を横取りして、自分の評価を上げていたって話です。大人しそうな顔して、酷いことをしていたみたいです」
「そんなことするようには見えなかったけどねえ」
「でも、エナが言ってたらしいんですよ。タリアが自分に言いつけられた仕事をしたって」
「へえ」
「それから、やる気のある人だから、お給金が良くでも仕方ないわって」
「……タリアってそんなにお給金良いの?」
「エナよりは? エナは足りなくて困っているみたいですよ」
客間の掃除をしながら。
「タリアの代わりはいつ入れてくれるのかねえ」
「一人減るとその分やることが増えるからね」
「辞めさせるなら、人を入れてからにして欲しいわ」
「なんか、一部の人たちがもう一緒に働きたくないって言い張ったらしいよ。誰でもできる仕事しかしていないのだから、人が入るまでは自分たちがその分を働くって」
「そうは言ってもねえ。このお邸だってメイドの人数が多いわけじゃないんだから、一人減ったらそれだけで大変だよ」
「本当にね。タリアはそんなに仕事が早いわけじゃなかったけど、丁寧にしっかりとする子だったからね、ああいう子が一人いると、それだけで助かってたのにね」
「ところで、タリアは何をしたの」
「いろいろあるって話だけど」
「話だけど?」
「今回初めて聞いたことばかりで」
「前々から嫌われてたみたいじゃない」
「エナが困らされてるって話は聞いたことはあるけど、具体的には知らないのよ」
食事をしながら。
「何って、エナが言いつけられた仕事を自分がするって言ったんだろう? エナがそう言ってたって聞いたよ」
「それ、エナが休憩に入ろうとした時だったはずよ。エナが廊下の掃除を終えて去ろうとした時にメイド長に頼まれたらしいんだけど、もう片付けようとしたところで困ってたらタリアが通りがかって」
「え」
「エナが困っているのを察知して自分がするって声を上げたって。タリアは助かったって言っていたけど」
「え? なんか話が違わない?」
「うん、だから驚いてる」
また別の場所で。
「エナがタリアのヘッドドレスを持っていて」
「辞める時に貰ったんでしょ?」
「辞める前の話。汚してしまったけど次の支給前だから困ってたら、使ってないのを貸してくれたって」
「……エナはタリアのこと苦手だと思ってたんだけど」
「苦手でも、必要なら借りるとは思うんだけど、エナが言うには、タリアさんちゃんとしててすごいわって」
「褒めてる? 嫌味とかじゃなくて?」
「褒めてるのよ。普通に」
「まあ、私もエプロンをあげたことあるけど」
「エナに?」
「余ってたからいいんだけど」
「実は私も、靴下をあげたことがあるの」
「え、タリアさん辞めちゃったんですか?」
「エナ、知らなかったの?」
「はい。……挨拶したかったな。すごくお世話になったのに」
「エナ、タリアのこと苦手だって言ってなかった?」
「え? 言ってないですよ。そりゃ、タリアさんの真面目さとか、私と違うなって思いますけど、本当にいい人ですもん」
「頼まれた仕事を…」
「ええ。休憩時間に入ってから頼まれたのに、替わってくれたんです。私すごくお腹がすいてたから、とても助かったんですよ。ああいう人のお給金が上がるんですよねえ」
「エナは、お給金、もっと欲しくないの?」
「欲しいですけど、そんなに頑張りたくはないなあ」
「……」
「エナの話? あれは話半分くらいで聞いといたほうがいいわよ」
「え、どういうこと?」
「私も何回か困ったことがあったから」
「困ったこと?」
「困ったこと、っていうか、嵌められた、っていうか」
「……よく分らないんだけど、」
「行き場のない怒りを覚えたというか」
「何があったのよ」
「休みの前の日にたまたま出会って、どこかに出かけるのかって聞いたのよ。まあ、意味のない会話ね。そしたら、出かけずに一日部屋で寝て疲れを取るって言うから、じゃあ何か買ってきて欲しいものは無いかって聞いたの」
「あら優しい」
「まあね。そうしたら、いいんですか、ありがとうございますって元気に言われ、角のケーキ屋で焼き菓子をって頼まれて、お金も渡されたの。正直、お金は後でも良かったんだけど、素直に頼まれたら嬉しいじゃない? だから気持ちよく受け取って買って帰って渡したの。おつりと一緒にね。そうしたら、貰いものですけどって似たような袋を渡されたの。少し大きめでね、何かなって受け取って、部屋で開けたら、頼まれたのと同じお菓子だったのよ」
「……それって、」
「誰かがエナが好きなお菓子だって知っててお土産に渡したのかもしれないけど、中身が同じだったら私に渡さないと思うし、渡す時に、一言あると思うんだよね」
「つまり、中身を見てもいない」
「そう。エナらしいと言えば確かにそうなんだけど、微妙な気持ちになるわよね」
「なるわね…」
「次にね」
「まだあるの?」
「あるのよ。いつだったか、表通りのパン屋さんが新聞に毎日公告を載せて、割引券をつけてたじゃない?何枚か集めると半額にしてくれるっていう」
「ああ、ヘンリーさんが勝手に切り取るなって言っていた」
「そう、家令さんは真面目だよね。で、エナも真面目に、あれは勝手に切り取っていいものなのかって、私に相談してきた」
「なぜあなたに」
「まあ、誰でも良かったんだと思うのよ。それこそ単なる雑談だったのかもしれない。私も訊かれたからには真面目に、勝手にはダメだと思うって返事をしたのよ。それでその後で、さりげなく、ヘンリーさんに話を振って、判断が間違ってないことを確認しておいたら、庭師のおじさんに文句を言われたの」
「庭師の……ああ、もしかして勝手に切り取って集めていたの」
「そう。庭師のおじさんは、どこからか私がヘンリーさんに言ったのをききつけて私に文句を言いに来たの」
「エナは悪くないけど…」
「微妙な気持ちにはなるでしょ?」
「確かに…」
「それからね」
「まだあるの…?」
「あるの。朝、暖炉に火を入れるじゃない? 担当になったけど難しいって聞いたって心配してて」
「エナが?」
「エナが。すごく不安そうにしていたから、コツをいくつか教えたの。手順はきっと聞いてるだろうけど、手順と一緒に」
「優しい先輩だね」
「でしょ? で、しばらくしてから聞いてみたの。その間も大変だったとかお礼とかまったくなかったから。別に、礼を言われたいわけじゃないけど、大丈夫だったのか心配するでしょ? そうしたら、手順通りしたら上手くいきました、って言うのよね。不安そうにしてたことなんてまったく無いみたいな態度で」
「お礼もなにもなく?」
「何もなく。……だからね、ちょっとこの子とは距離を置こうって思ったのよ」
「…なんか分かる気はするわ」
「あんまり親身になったりせずに、聞いた話を適当に流しておいたほうが、ね」
「嵌められたって言ってたじゃない? 確かにそんな気分になるね」
「でしょ? 一つ一つ見ても、特にどこが悪いって話じゃないのよ。下手に誰かに愚痴ったら、私のほうが心が狭いとか言われそうだし。これが一回なら、こんな気分にはならなかったんだろうけど」
「そんなにあると、そう思っちゃうわよね」
「でしょ? だから、タリアの件については、メイド長に聞かれた時に、関係ないかもしれないけど、こういうことがあった、って伝えておいたの」
「あんたの話を聞いてると、まったく関係が無いとは言い切れなくなっちゃうね」
「多分エナのことだから他意は無くて、自分のダメさ加減をアピールしたかっただけだと思うんだわ。でも、受け取った側は、それを遠回しなタリアがしたことに対する愚痴だと思ったんだよね。メイド長もそんな感じで話を聞いてくれてた。でも結局タリアが辞めるってことになったじゃない? だから話を聞きに行ったの。そうしたら、タリアには紹介状を持たせて、他の家を訪ねるように言ったんだって」
「紹介状を持たせるだけじゃなくて」
「うん。このまま残っていてもタリアのためにはならないみたいだからって。本人にもエナのことは出さずに話を聞いたらしいのよ。そうしたら、最近みんなの様子がおかしい気がする、って心細そうな顔をしていたんだって」
「ああ、何人か、そっけない態度を取っていたものね」
「まあだから、良かったんじゃないかなって」
「そうね。今度はいい職場だといいわね」
タリアは玄関の掃除をしていた。
紹介状を持って行くと、無事雇ってもらえることになった。それだけでなく、今までは厨房やリネン室の掃除だったのが、玄関や客間の掃除も任されるようになった。命じられた時に驚くと、紹介状に書かれているから大丈夫だろう、と頷かれた。指導はつけるからと更に言われ今に至る。
真面目に、丁寧に、けれどできるだけ早く。
ずっと心掛けていたことをこれからも続けていく。
前の家の家令に告げられた言葉は、辞めるよう告げられたことの衝撃でほとんど覚えていない。辞めることになった理由も結局よく分らない。けれど実は働きぶりを認めてくれた言葉もあったのかもしれない、と思うことにした。
少なくとも今は認められている。前の家で認められていた部分を長所として紹介して貰えたからこそ、今がある。そう思えたのだ。
他の使用人たちとも少しずつ打ち解けられていた。それだけでも、ここに来られて良かったと心から思うのだった。




