第9話 静寂を求める者、再び世に引き戻される
関ヶ原の戦いが終わった。
東軍の勝利は、
戦国の終わりを告げる鐘のように
天下へ響き渡った。
その報せは、
高野山で静かに過ごしていた京極高次のもとにも届いた。
だが、高次は眉ひとつ動かさなかった。
(……ようやく静かに暮らせると思ったのだが)
園城寺で剃髪したあの日、
胸の奥で弾けた“隠棲への期待”は、
まだ消えていなかった。
むしろ、
山の空気に触れるほどに
その願いは深く、静かに膨らんでいた。
そこへ、井伊直政の使者が訪れた。
「京極殿、
家康公より、
早々に山を下りるよう仰せつかっております」
高次は、まるで耳を疑うように目を瞬いた。
「……下りる?
私は、ここで静かに暮らすつもりなのだが」
使者は困ったように頭を下げた。
「家康公は、
大津城でのご働きを
大いにお褒めでございます。
ゆえに、早くお戻りをと……」
高次は深くため息をついた。
(褒められるのは悪くない。
だが、静かに暮らしたいのだ……)
「断る」
高次はきっぱりと言った。
使者は蒼白になった。
「で、ですが……!」
「私は、ここで暮らす」
その穏やかな声が、逆に強かった。
だが、家康は諦めなかった。
次に送られてきたのは、
山岡道阿弥。
さらに――
弟の京極高知まで現れた。
「兄上、
家康公は兄上を重んじておられます。
このまま山に籠もれば、
かえって不義と取られますぞ」
「……不義、か」
赤尾伊豆守も静かに言った。
「殿、
大津でのご働きは天下に知れ渡っております。
殿が山に籠もれば、
“逃げた”と申す者も出ましょう」
高次は、しばらく沈黙した。
そして、
小さく呟いた。
「……静かに暮らしたかったのだがな」
その声は、
誰にも聞こえぬほど小さかった。
大坂。
家康の前に姿を現した高次は、
すでに覚悟を決めていた。
家康は満面の笑みで迎えた。
「京極殿、
大津での働き、
見事であった」
高次は深く頭を下げた。
「身に余るお言葉にございます」
家康は続けた。
「若狭一国、
八万五千石を与える。
後瀬山城へ入るがよい」
高次は、
その言葉の重さを静かに受け止めた。
(……また忙しくなるな)
心の奥で小さな嘆息が生まれたが、
すぐに消えた。
京極家の未来が、
確かに開けたのだ。
慶長五年十月。
高次は小浜に入った。
翌年には、
近江高島郡のうち七千百石が加増される。
そして家康から新たな命が下る。
「京極殿、
大坂の陣に備え、
小浜に新たな城を築け」
高次は図面を前にして、
しばらく黙り込んだ。
伊豆守が尋ねる。
「殿……いかがなされます」
高次は、筆を置き、静かに言った。
「……堅固な城を築け、とは仰せだが」
「はい」
「私は、堅固な城など望んでおらぬ」
伊豆守は目を瞬いた。
「では、いかがなさるおつもりで」
高次は、遠くの海を眺めながら言った。
「二条城のようにしたい」
「二条城……でございますか?」
「そうだ。
二条城は戦のための城ではない。
人が集い、語り、
静かに時が流れる城だ。
私は、ああいう城がよい」
伊豆守は、ようやく高次の意図を悟った。
「……殿は、穏やかに暮らせる城を」
「そうだ。
私はもう、戦のための城を築きたくない。
静かに暮らせる場所が欲しいのだ」
こうして、小浜城の築城が始まった。
日本海と北川・南川に囲まれた雲浜の地に、
二条城を思わせる広い郭と、
穏やかな曲線を描く堀が設けられた。
後瀬山の麓には、
武家屋敷の跡を町屋へと改め、
街路を整え、
新たな街区を設けた。
城下町は、
戦の匂いよりも、
どこか柔らかな空気をまとい始めた。
伊豆守が言った。
「殿……これは、まるで都のような造りにございます」
高次は微笑んだ。
「都のようでよい。
私は、静かに暮らしたいのだ」
「しかし、家康公は……」
「“二条城に似せた”と言えばよい」
伊豆守は苦笑した。
「殿は、戦国の世にあって、
どうしてこう……穏やかであられるのか」
高次は、海風に髪を揺らしながら答えた。
「穏やかに生きたいからだ。
それが、私の望みだ」
その言葉は、
波の音に溶けていった。
小浜城は、
戦国の終わりに生まれた、
“戦のためではない城”として
静かに姿を現し始めていた。




