表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
京極高次は静かに暮らしたい  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/11

第4話 乱世の風、若き日の岐路

天正十年六月。

安土の町は、いつもと同じ朝を迎えたはずだった。


だが、湖面を渡る風の匂いが違っていた。

湿り気の奥に、どこか鉄のような、

胸の奥をざわつかせる気配が混じっている。


高次は、その微かな変化を敏感に感じ取った。


「……落ち着かぬ。何かが動いている」


その予感は、ほどなくして現実となる。


――本能寺の変。


信長が討たれたという報せは、

安土の空気を一瞬で変えた。

町のざわめきは波紋のように広がり、

人々の声は震え、

兵の足音は焦りを帯びていた。


高次は、ただ静かに空を見上げた。


「殿が……」


言葉はそこで途切れた。

信長の背中を見て育った少年にとって、

その死は、ひとつの時代の終わりを意味していた。


「高次殿、どうなさる」


声をかけたのは、妹・竜子の婿、武田元明。

高次にとっては義弟にあたる。


元明の眼差しは鋭く、

すでに次の一手を探っていた。


「光秀公に通じる道がございます。

 殿を討ったとはいえ、天下はまだ定まっておりませぬ。

 今は、どちらにつくかが命運を分ける時」


高次は、しばし沈黙した。


彼は臆病ではない。

ただ、軽挙妄動を嫌うだけだ。

風の流れを読み、

その先にある景色を想像する力があった。


「……光秀公は、殿を討たれた。

 その理由を、私はまだ測りかねている」


「測りかねていても、動かねばならぬ時もある」


元明は苦く笑った。


「乱世は、思索を待ってはくれませぬぞ」


高次は、竹林の葉が揺れる音を思い出した。

風が吹けば揺れ、

揺れれば音を立てる。

それは罰でも恩寵でもなく、

ただ自然の理。


「……ならば、時勢を見極めるまでです」


その言葉は、

静かだが芯のある声だった。


こうして高次は、

元明とともに光秀に通じ、

長浜城へと出陣することとなった。


だが、その決断は

すぐに彼を窮地へ追い込む。


山崎の戦い。

光秀は敗れ、天下は豊臣秀吉の手に落ちた。


「高次殿、秀吉公が追捕の手を回しております!」


「……そう来ましたか」


高次は、わずかに目を細めた。

恐怖ではない。

状況を冷静に受け止める眼差しだった。


「元明殿、退く道は」


「ひとつだけ。

 市様が再嫁なされた柴田勝家殿のもとへ」


高次は頷いた。


叔父であり義父でもある浅井長政の妻、市。

その再嫁先である柴田勝家は、

浅井家の縁者である高次を匿う可能性が高い。


「……勝家殿のもとへ向かいましょう。

 あの方は、義理を重んじるお方です」


「ただし、豪胆すぎるほど豪胆ですがな」


元明の苦笑に、高次もわずかに口元を緩めた。


だが、乱世はまたしても彼を裏切る。


翌年――賤ヶ岳の戦い。


柴田勝家は秀吉に敗れ、

北ノ庄城で自害した。


敗走する兵の中で、

高次は立ち止まり、

燃え落ちる北ノ庄の空を見つめた。


「……勝家殿ほどの武人でも、

 乱世には抗えぬか」


その声には、

悲嘆よりも、

深い諦観と静かな敬意があった。


元明が肩で息をしながら言う。


「高次殿、我らはどう動く」


高次は、しばし考えた。

焦りはない。

混乱の中でも、

彼の思考は澄んでいた。


「……変化の風は、まだ止んでいません。

 ならば、止むまで歩くしかありません」


その言葉は、

若き日の高次の本質をよく表していた。


逃げるのではない。

抗うのでもない。

ただ、時勢を読み、

その中で最善を尽くす。


それは、

のちに“名君”と呼ばれる男の

最初の片鱗だった。


高次はまだ知らない。


この敗走の果てに、

彼の“運の良さ”が再び顔を出し、

思いもよらぬ道を切り開くことを。


そしてその運が、

彼を歴史の表舞台へと押し上げていくことを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ