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京極高次は静かに暮らしたい  作者: 双鶴


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第3話 祈りの光、影の風

安土の空は、岐阜とはまた違う色をしていた。


琵琶湖から吹き上げる風はどこか湿り気を帯び、

安土山の石垣に触れるたび、

ひそやかな音を立てて流れていく。


小法師は、その風の音を聞くたびに思った。


「……風と静けさが、少しだけ混じ合っています」


安土城下での人質生活は、

岐阜よりもいくらか穏やかだった。

信長が築いた新しい城下町は、

どこか整然としていて、

人々の声も、風の音も、

不思議と調和していた。


それでも――

静けさは、やはり長く続かない。


「京極殿! 殿がお呼びだ!」


「……また、ですか」


小法師はため息をつき、

見つけたばかりの静けさをそっと胸にしまい込んだ。


その頃、小谷では大きな出来事が起きていた。


父・高吉と母・マリアが、

安土城下のセミナリヨで四十日間の説教を聴き、

ついに受洗したのである。


「京極殿は、熱心に祈っておられたそうだ」


安土の侍女が、どこか誇らしげに小法師へ伝えた。


「父上と母上が……祈りを?」


「うむ。殿(信長)のお許しもあってのこと。

 そなたも、いずれは受洗なさる予定だったとか」


小法師は目を瞬いた。


自分が――洗礼を受ける。

その言葉は、どこか遠い世界の響きを持っていた。


「……祈りは、穏やかなのでしょうか」


侍女はくすりと笑った。


「穏やかですよ。とても」


小法師は首をかしげた。

静けさと祈り。

その二つがどう結びつくのか、まだ理解できなかった。


だが、平穏は長く続かなかった。


安土から届いた知らせは、

小法師の胸に冷たい嵐を吹き込んだ。


――父・高吉、急死。


小法師は、しばらく言葉を失った。


「……父上が、亡くなられた……?」


侍女は静かに頷いた。


「受洗の直後だったそうです。

 それゆえ……“神仏の罰”と恐れる者もおり……」


小法師は胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。


父が祈りを選び、

その直後に命を落とした。


それは、幼い心にはあまりに重い出来事だった。


「……父上は、罰を受けたのですか」


「いいえ。そんなことはございません」


侍女は強く首を振った。


「祈りは罰ではありません。

 ただ……人は、恐れるのです」


小法師は、安土の風を思い出した。

湖から吹き上げる風は、

時に優しく、時に荒々しい。


それは罰ではなく、

ただ自然の理である。


「……父上も、そうだったのでしょうか」


侍女は答えず、

ただ小法師の肩にそっと手を置いた。


小法師の受洗は見送られた。

父の死が“罰”と囁かれたためである。


祈りの道を歩むはずだった足は、

そっと引き戻された。


だが、その代わりに――

彼の人生は、別の道へと静かに動き始める。


元服の時、

彼は「高次」と名乗った。


そしてそのまま、

織田信長に仕えることとなる。


静けさを望む少年が、

戦国の中心へと歩み出す。


望んだわけではない。

ただ――

運が、彼をそこへ連れていった。


小法師はまだ知らない。


父の死も、祈りの光も、

そして自分の名「高次」も。


すべてが、

これから始まる“望まぬ成り上がり”の序章であることを。


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