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百回目の硝子の戦場〜白い軍服は、血を知らない〜  作者: 薄氷薄明


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1/2

前編

 


 戦場の朝は、意外なほど静かだ。


 硝子の森は眠っているかのように透き通った光を湛え、枝や葉は砲撃の衝撃で粉々に砕けても、まるで儀式の舞台のようにきらめく。


破片は雨のように降り注ぎ、赤や青に光る。美しい。残酷な美しさ。


 硝子の草を踏むと、靴底が小さな悲鳴をあげる。


 あなたは、白い軍服を纏って立っていた。


 返り血で汚れているはずなのに、白い。


「今日も、行くのね」


 私は問う。あなたは笑った。


「守らなきゃいけないから」


 その笑顔は、硝子細工のように透明だ。

 触れれば割れそうで、それでも決して曇らない。


 私はその横顔を見つめる。

 まぶたの線、首筋の影、銃を握る指の骨張り。

 ああ、今日も美しい。


 泥と血と叫び声の渦の中で、あなたはまるで神の祝福のように立っている。


 私は怖い。

 あなたが死ぬことがではない。

 あなたが、誰かの英雄になることが。


 戦場は、人を奪う。

 命だけでなく、物語を。

 英雄は共有財産だ。

 民衆の祈りの器だ。


 私はそれが許せない。

 あなたは、私のものなのに。



 砲声が鳴る。

 世界が裂ける。


 あなたは振り返らない。


「戻ったら、話の続きをしよう」


 そう言って走り出す。


 私は手を伸ばす。

 触れない。触れてはいけない。

 私は、あなたの後方支援なのだから。


 私は地図を広げる。

 無線を握る。

 部隊の動きを調整する。


 あなたが死なないように。

 あなたが勝つように。

 あなたが――誰よりも輝くように。


 それが私の役目。

 それが私の愛。



 夕暮れ。

 あなたは戻る。血まみれで、笑って。


「生きてるよ」


 その一言で、私は救われる。

 けれど胸の奥で、別の感情が芽吹く。


 なぜ。

 なぜ、あなたはそんなに遠いの。


 なぜ、あの兵士たちはあなたを“隊長”と呼ぶの。


 その呼び名は、私のものじゃない。


 あなたを理解しているのは、私だけなのに。

 あなたの恐怖も、弱さも、夜にうなされる声も。

 全部、知っているのは私だけなのに。


 それなのに。

 あなたは、戦場で誰かの希望になる。


 戦場では、偶然が支配する。


 弾丸の軌道。

 地雷の位置。

 砲撃の誤差。


 でも、本当は違う。

 偶然は、作れる。


 私は数字を愛している。

 風向き、距離、弾速。


 ほんの数メートル、座標がずれるだけで、人は死ぬ。


 ーーあるいは、生き残る。


 あなたの部隊に、新兵が入った。

 若い少年。瞳がまぶしい。


 あなたを尊敬しているらしい。

 あなたを見る目が、いつかの私と似ている。


「隊長みたいになりたいんです!」


 あなたは困ったように笑う。

 ああ、その顔。優しい顔。やめて。それは私だけのもの。



 その夜、私は作戦図を書き換えた。

 敵の砲撃予測地点を、わずかに修正する。誤差の範囲。誰も気づかない。


 翌朝、砲撃が落ちる。

 少年は、動かなかった。

 あなたは叫ぶ。抱きかかえる。血が広がる。


 私は遠くから見ている。

 ごめんなさい。


 あなたは泣く。

 その涙を見て、私は思う。

 ああ、やっと、あなたは私だけのものになる。


 戦場は残酷だ。だからこそ、愛は濃くなる。

 あなたの喪失は、私への依存に変わる。

 それでいい。それでいいの。



 夜。


 あなたは私の部屋に来る。


「どうしてだと思う?」


 声が震えている。


「俺が生きてて、あいつが死んだ理由」


 私は息を整える。


「運命、でしょうか」


 あなたは笑う。壊れた音。


「違う」


 一歩近づく。


「座標が、変だった」


 心臓が跳ねる。


「誰かが、ずらした」


 沈黙。あなたの目が私を射抜く。


「君は、全部知ってる顔をしてる」


 私は微笑む。否定も肯定もしない。

 あなたは膝をつく。


「俺を守ってるつもりか」


 つもりではない。守っている。


「あなたが死ぬより、他の誰かが死ぬ方が合理的」


 静かな告白。

 あなたは息を呑む。


「狂ってる」


 ええ、知っています。


 あなたがいるなら、それでいい。

 あなたが私を憎んでも、拒んでも、消えるよりは、ずっといい。



 あなたは銃を抜く。私の額に向ける。震えている。


 撃てない。知っている。あなたは優しい。


「どうしてそこまで」


 問い。簡単な答え。


「あなたがいない世界に、意味はないから」


 私は目を閉じる。撃てるなら撃てばいい。


 でもあなたは撃たない。


 知っている。


 だってあなたは、私なしでは眠れない。

 私なしでは戦えない。



 戦況は悪化する。


 敵は総攻撃を開始。街が燃える。空が黒く染まる。


 硝子の森の破片が舞い散り、光が戦場を彩る。砕けた枝が空を滑り、炎の反射で赤く染まる。美しい残酷さ。


 あなたは叫ぶ。


「撤退だ!」


 私は無線を切る。


 ここであなたが英雄になれば、戦争は終わる。


 英雄は戦争を終わらせる。


 私は決断する。

 敵軍の司令部に座標を送る。この場所。ここに砲撃を。


 爆音。地面が裂ける。

 あなたが立っていた場所。煙が晴れる。


 ーー私は走る。

 あなたは倒れている。血が広がる。


「……君か」


 私は頷く。


「ええ」


 あなたは笑う。怒りではない。理解。


「英雄にしないためか」


「はい」


 あなたは息を吐く。


「勝手だな」


 ええ、勝手です。


 砲声が遠のく。戦場が静まる。




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