EP 3
エルフの賢者は森を出られない
冬のカイト農場には、最強の魔物が住み着いていた。
その名は『コタツ』。
異世界から持ち込まれたこの暖房器具は、神も魔王も無差別に捕食し、ダメ人間に変えてしまう恐ろしい結界兵器である。
「あれ~? ルナはどこに行ったの?」
カイトはコタツに下半身を飲み込まれたまま、Sランクのみかん(食べると風邪が即完治する)の皮を剥いていた。
「え~? さっき、『お花を摘みに(トイレに)』って出ていったわよぉ~」
向かい側で、だらしないジャージ姿のルチアナが、バリボリと煎餅をかじりながら答える。コタツの上にはミカンの皮と煎餅のカスが散乱している。創造神の威厳はコタツの熱で溶け去っていた。
「あの子……トイレにも一人で行けないんじゃないの?」
隣でファッション誌を読んでいたラスティアが、呆れたように呟く。彼女の手には高級チョコ。コタツに入りながらチョコを食べるという背徳感を楽しんでいるようだ。
「まさか~? あの子はエルフの次期女王候補よ? いくらなんでも、トイレに行く道で迷うなんてこと、あるわけないじゃなーい」
フレアは手鏡を見ながら、優雅に口紅を塗り直している。
だが、その言葉とは裏腹に、ルナが出ていってから既に一時間が経過していた。
「……ポチ~。ちょっと探してきてよ」
カイトが足元の毛布をめくる。そこには、丸くなって寝ていた黒い柴犬サイズの生き物――始祖竜ポチがいた。
「外は寒いし、雪も降ってるからさ。鼻が利くだろ? 竜なんだから」
『ぐるるる……(おい、俺を犬扱いするな。俺は始祖竜だぞ)』
ポチは不満げに唸った。
この最強の農場主は、事あるごとに自分のスペックを「犬基準」で考える。だが、カイトの命令は絶対だ。それに、もしあのアホエルフが本当に行き倒れていたら、後でカイトが悲しむ。
『ちっ、仕方ねぇな……俺だって寒いんだぞ』
ポチはのっそりとコタツから這い出し、渋々といった様子で勝手口から外へ出た。
外は一面の銀世界だ。
ポチは鼻をヒクヒクさせる。
(……匂いからすると、トイレじゃねぇな。なんだこの方向は?)
匂いの痕跡は、母屋のトイレではなく、なぜか裏山――凶悪な野生モンスターすら寄り付かない険しい雪山の方角へと続いていた。
『何を考えてやがる、あのボケエルフは……』
ポチは黒い翼を広げ(必要ないので普段は隠している)、雪山へと飛び立った。
◇
一方その頃、裏山の雪山にて。
「さ、さ、寒いぃ……。もしかして私、遭難しちゃったかしら~?」
ルナ・シンフォニア(20歳・エルフ)は震えていた。
トイレに行こうとドアを開け、廊下を歩いていたはずなのに、気づけば標高2000メートルの雪山にいたのだ。彼女の方向音痴は、もはや空間転移に近い特技である。
「うぅ、温まらないと凍えちゃうわ……」
ルナは涙目で周囲を見渡す。そこにあるのは、凍てついた林だけ。
「焚き火……そう、焚き火をしましょう」
彼女は世界樹の杖を構え、目の前の林に向けた。
本来なら、小さな火種を作れば十分だ。しかし、寒さで思考力が低下している彼女の手加減はガバガバだった。
「燃え上がれ……【プロミネンス・シュート(恒星の炎)】!」
ドォォォォォォォォンッ!!
一瞬にして、雪山に太陽が出現した。
極大の熱線が林を飲み込み、雪を一瞬で蒸発させ、岩盤ごと溶解させる。それは焚き火ではなく、戦略級の焦土作戦だった。
「わぁ、あったかぁい」
ルナは灼熱の業火の前で、ほっこりと手をかざした。
その上空から、慌てふためく黒い影が降ってきた。
『ぐるるるるッ!!(やめろボケぇ! 山火事どころか山が消えるわっ!)』
ポチがブレスで炎を相殺しながら着地する。
もう少し遅ければ、カイト農場の裏山が更地になるところだった。
「あ、ポチ。お迎えに来てくれたの?」
『ぐるっ!(当たり前だ! 早く帰るぞ、この災害エルフ!)』
ポチは呆れ果てていた。
だが、ルナは悪びれる様子もなく、懐からキラキラと輝く何かを取り出した。
「ふふ、ごめんなさいね。これ、あげるわポチ」
ルナがポチの首にかけたのは、黄金に輝く豪奢な首飾りだった。重厚な輝きは、どう見ても国宝級の金細工だ。
『……?』
ポチはそれをジッと見つめる。
そして、鼻を鳴らした。
『(……匂いがしねぇ。これは金属じゃなくて、ただの石ころを変質させただけじゃねぇか!?)』
そう、これはルナの得意魔法【物質変換】。
そこら辺の石ころを金銀財宝に変える錬金術だが、その効果は「三日」しか持たない。三日後には、ただの石に戻る詐欺アイテムだ。
「あらぁ、三日以内は本物です事よ? 街で売れば美味しいお肉が買えるわ」
悪気なく微笑むルナ。
このエルフ、天然で詐欺師の才能がありすぎる。
『駄目だ、このポンコツエルフは……』
ポチは深いため息をついた。
こんな偽物の首飾りをつけて帰ったら、他の神々に笑われる。ポチは首飾りを首から外し、雪の中に埋めた。
『(いいから乗れ。帰るぞ)』
ポチは背中を向け、巨大化こそしないものの、ルナを乗せてやる体勢をとった。
「まぁ、優しい。ありがとうポチ」
ルナはポチの背中にしがみつく。温かい竜の体温が伝わってくる。
「早く帰って、お鍋でもしましょう。カイト様のみかんも食べたいわ」
『ぐるる(肉だ。肉肉。あとで特上ロースを要求してやる)』
雪山をかける一人と一匹(?)。
農場に戻ったルナが、カイトに「トイレが遠くて大変でした」と報告し、ラスティアに「山まで行ってたの!?」と突っ込まれるのは、数分後のことである。




