第八章 スローライフな学校を作る
元・魔人の石垣職人と、煉獄のまかない飯
カイト農場の外縁部。
そこには今、世界中の城塞建築家が見れば卒倒するであろう、芸術的な石垣が築かれつつあった。
「……ふぅ。毎日毎日、疲れる作業だ」
汗を拭いながら、一人の男が独りごちる。
サルバロス。
かつては「偽りの救世主」として国を操り、人々を絶望の底に叩き落として愉悦に浸っていた魔人である。
だが今の彼は、泥と汗にまみれた作業着姿で、ただ黙々と石を積んでいた。
「だが……ここだ。この角の噛み合わせをもう少し改善すれば、もっとラインが綺麗になるんじゃないか?」
ガチンッ、と石を嵌め込む。
完璧だ。
一ミリの隙間もなく、地震が来ても、ドラゴンのブレスを受けても(たぶん)崩れない強固な壁。
かつて他人の心を壊すことに喜びを感じていた彼は今、物を「創る」喜びに震えていた。
(ククク……素晴らしい。俺の積み上げた石垣は、今日も美しい……!)
その時だった。
「お~い、サルバロスさ~ん」
「ッ!?」
背後から聞こえた間延びした声に、サルバロスの背筋が氷点下に凍りついた。
振り返ると、そこには麦わら帽子を被った農場の主――この世の理を支配する最強の農夫、カイトが立っていた。
「か、カイト様ッ!!」
バッ! とサルバロスはその場で直立不動になり、腰が折れんばかりの勢いで直角にお辞儀をした。
かつて彼に喧嘩を売り、概念ごと否定されて心を折られた恐怖は、今も細胞レベルで刻み込まれている。
「そんなに畏まらないでよ。休憩にしようと思ってさ」
カイトはニコニコと人懐っこい笑みを浮かべている。
その横から、黒いジャケットに赤いズボンを履いた、鋭い眼光の男が姿を現した。
元・最強の処刑人にして、現在は農場の専属料理人を務める鬼神、龍魔呂だ。
「……食え。昼メシだ」
龍魔呂がぶっきらぼうに差し出したのは、竹皮に包まれた巨大な「おにぎり」だった。
「い、頂きます!」
サルバロスは震える手でそれを受け取る。
まだ温かい。
竹皮を開くと、白く輝く米粒が宝石のように光を放っていた。具材からは、香ばしい焼き鮭の香りが漂ってくる。
一口、齧り付く。
「ッ……!!」
口に入れた瞬間、爆発的な旨味が脳髄を直撃した。
カイトが育てた最高級の米(※一粒で魔力が全回復する)と、龍魔呂の神業のような握り加減。
口の中でホロリと崩れる絶妙な空気の層。塩加減は、疲れた肉体に染み渡る黄金比率。
「う、旨い……! なんですかこれは……!」
サルバロスの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
国を滅ぼした時も、拷問を受けた時も泣かなかった男が、おにぎりを握りしめて号泣している。
「流石です、龍魔呂様! 五臓六腑に染み渡ります……!」
「『様』はやめろ。背中が痒くなる」
龍魔呂は腕を組み、フンと鼻を鳴らした。
だが、その表情は心なしか悪いものではない。自分の料理を美味そうに食う人間に、この男は甘いのだ。
「うす! 龍魔呂兄貴!」
「……まぁ、それでいい」
即座に舎弟のような呼び方に切り替えたサルバロスに、龍魔呂は呆れたように肩をすくめた。
その様子を見て、カイトが嬉しそうに手を叩く。
「あはは、よかった。二人とも仲が良いんだなぁ」
「「…………」」
カイトの無邪気な言葉に、サルバロスと龍魔呂の間に一瞬、奇妙な沈黙が流れた。
仲が良い、のではない。
絶対的な「捕食者」と、教育された「被捕食者」の関係である。
「……まあな。この前、たっぷりと『地獄』を見せてやったからな」
龍魔呂が低い声で呟く。
その言葉に、サルバロスの脳裏に、前回の地獄が蘇えった
「教育(お料理)」の記憶がフラッシュバックした。物理的な痛みと、精神的な屈服。
「ひぃッ! うす! 浅はかでした!」
サルバロスは半分食いかけのおにぎりを持ったまま、再び直角に頭を下げた。
「カイト様たちに喧嘩を売るなんぞ、馬鹿そのものでした! 俺はなんて無知で愚かだったんだ!」
地面に頭を擦り付けんばかりの土下座。
だが、カイトはしゃがみ込むと、優しくサルバロスの肩に手を置いた。
「もう、過去は過去だよ。気にしなくていいから」
「へ……?」
「今はこうして、立派な石垣を作ってくれてるじゃないか。僕、助かってるよ。これからも仲良くしよ?」
聖母のような慈愛。
あるいは、罪人の過去すら「なかったこと」にしてしまう、神ごときの傲慢な許し。
サルバロスには、カイトの背後に後光が見えた。
この男は、俺が国を滅ぼした罪も、人々を騙した悪行も、すべてを「雑草を抜く」程度のこととして水に流すというのか。
(ああ、この御方は……やはり、絶対だ)
サルバロスの心の中で、最後の留め具が外れた。
「うす!! カイト様万歳!! カイト様万歳ぃぃッ!!」
「わっ、だからそんな大声出さなくていいってば」
狂信者のような目で叫ぶサルバロス。
苦笑いするカイト。
その横で、龍魔呂はタバコを取り出しながら、やれやれと溜息をついた。
「……駄目だな、こりゃ」
完全に「こちら側(農場の住人)」に染まりきった元魔人の姿を見下ろしながら、龍魔呂は小さく笑った。
平和な昼休み。
だが、この農場の住人がまた一人、確実に「常識」を捨て去った瞬間でもあった。
カイト農場は今日も平和だ。
新たな労働力(狂信者)を得て、農場の防衛力はさらに盤石なものとなった。
だが、カイトはまだ気づいていない。
住人が増え、生活が安定したことで、次なる問題――「子供たちの教育」という新たな爆弾が、すぐそこまで迫っていることに。




