EP 10
砂の城ではなく、石垣を
翌朝のカイト農場。
爽やかな朝日が差し込む中、農場の北端にある荒地に、一人の男の姿があった。
「……はぁ……はぁ……」
元・魔人サルバロスである。
昨日の輝く鎧と美貌は見る影もない。作業着を着せられ、顔は煤と泥で真っ黒。目は死んだ魚のように濁り、時折「ひぃっ、ポチ様だけは勘弁を……」と小刻みに震えている。
「おはよう、サルバロスさん!」
カイトが元気よくやってきた。手にはおにぎりと水筒を持っている。
「……あ、あぁ……カイト様……」
サルバロスは地面に額を擦り付けて土下座した。
もはや「下等な農夫」などと呼ぶ気力はない。この男は、あのバケモノたち(龍魔呂、魔王、神獣)を従える頂点なのだと思い知らされたからだ。
「昨日は大変だったね。みんな少し張り切りすぎちゃって」
カイトは苦笑しながら、サルバロスの前に大きな岩を指差した。
「さて、今日から君の仕事はこれだよ。この岩を運んで、向こうに『石垣』を作ってほしいんだ」
「い、石垣……ですか? 魔法で一瞬で作りますが……」
サルバロスが震える手で魔法を使おうとすると、
バチィッ!!
首につけられた「封魔の首輪(ラスティア製)」が作動し、激痛が走った。
「あぐぅっ!?」
「ダメだよ。魔法は禁止」
カイトは真顔で言った。
「君の魔法は、君がいなくなったら消えちゃう『砂の城』だもん。それじゃあ、ここに住む人たちを守れない」
カイトは、サルバロスの足元にある重そうな石をポンと叩いた。
「この石は重いし、運ぶのは辛いし、積むのは面倒くさい。……でもね、一度積んだら、君が寝てても、君が死んでも、ずっとここに残って誰かを守り続けるんだ」
「…………」
「それが『本物』を作るってことだよ」
カイトの言葉が、空っぽになったサルバロスの胸に響く。
本物。
今まで彼が作ってきたのは、見栄えだけのハリボテだった。だから壊すのも簡単だったし、壊しても心が痛まなかった。
「さあ、やってみて。……サボったら、またポチと遊んでもらうことになるけど」
「や、やります! やらせてくださいぃぃ!!」
ポチの名を聞いた瞬間、サルバロスは弾かれたように岩を抱え上げた。
†
ズシリと重い岩。
魔法を使えない体には、鉛のように感じる。
一歩歩くごとに足が沈み、汗が目に入って沁みる。
「くっ……重い……汚い……」
かつての彼なら、こんな泥臭い作業は唾を吐いて拒絶しただろう。
だが、今はただ、背後から感じる監視の視線(主に龍魔呂とフェンリル)に怯えながら、必死に足を動かすしかなかった。
一つ、また一つ。
不格好ながらも、石が積み上がっていく。
昼になり、夕方になり。
サルバロスの手は皮が剥け、血が滲んでいた。全身の筋肉が悲鳴を上げている。
「……終わっ……た……」
彼はその場にへたり込んだ。
目の前には、わずか数メートルの、不揃いな石垣が出来上がっていた。
魔法なら一瞬で作れる規模だ。
だが。
「……消えない」
サルバロスは、自分の血がついた石垣を呆然と見つめた。
彼が意識を失いかけても、魔力が尽きても、その石垣はそこに在り続けている。
夕日に照らされ、確かな質量を持って、そこに「存在」している。
「お疲れ様!」
カイトがやってきて、冷たい麦茶を差し出した。
「どう? 自分で積んだ石垣は」
「……酷いものです。歪んでるし、隙間だらけだ」
サルバロスは自嘲した。
だが、カイトはニコニコしてその石垣を撫でた。
「でも、これは君が汗を流して作った『本物』だよ。……僕はこの石垣、好きだな」
ドクン。
サルバロスの胸に、奇妙な感覚が広がった。
かつて「崇拝」された時には感じたことのない、静かで、温かい充実感。
「すごい」と言われるより、「好きだ」と言われたことが、なぜか誇らしかった。
「……悪くない、か」
サルバロスは麦茶を一気に飲み干した。
五臓六腑に染み渡る冷たさが、涙が出るほど美味かった。
†
遠くから、その様子を見ていた龍魔呂が、包丁を研ぐ手を止めた。
「……少しはマシな顔になったな」
「そうね。憑き物が落ちたみたい」
ラスティアも扇子で口元を隠して笑う。
「まあ、これから一生こき使うけどな」
ガンテツがニヤリとする。
こうして、魔人サルバロスは「救世主」の看板を下ろし、カイト農場の「下っ端土木作業員」として第二の人生(懲役数百年)を歩み始めた。
彼が積み上げた石垣は、やがて農場を守る強固な城壁となり、伝説の一部として語り継がれることになるのだが……それはまた、別のお話。




