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EP 5

魔王ラスティア、お肌の曲がり角

 北東の魔境に聳え立つ、不夜城ワイズ。

 その最上階にある豪華絢爛な寝室から、絹を引き裂くような悲鳴が上がった。

「きゃぁぁぁぁぁぁッ!!」

 鏡の前で、魔王ラスティアは絶望に打ちひしがれていた。

 美しい白磁の肌。深紅の瞳。誰もが振り返る絶世の美女である彼女だが、その指先は右目の下を震えながら指していた。

「く、クマができてる……! それに心なしか、肌のハリも落ちてる気がするわ!」

 原因は明白だ。ここ数ヶ月、勇者パーティの侵入騒ぎや、部下の貴族たちの派閥争いの仲裁で、徹夜続きだったからだ。

 最強の魔力を持っていても、重力魔法でシワを持ち上げることはできない。

「どうすればいいの……。ルチアナの横流しコスメも切れちゃったし……」

 頭を抱えるラスティアの脳裏に、先日通信魔法で連絡してきた女神ルチアナの言葉が蘇った。

 『あ、そうそうラスティア。辺境のカイト君のところに、なんかすごい美容にいい成分が落ちてるらしいよ? なんでも「伝説の抜け殻」だとか』

「……行くしかないわ」

 ラスティアは立ち上がった。

 世界征服など二の次だ。女には、国を捨ててでも守らねばならない「美」がある。

 彼女は漆黒のドレスを翻し、空間転移の魔法陣を展開した。

 †

 一方、カイトの農場。

 俺は朝から掃除に追われていた。

「ポチー、またこんなところで脱皮したのか。散らかすなって言ったろ」

「きゅぅ(てへっ)」

 ポチは申し訳なさそうに頭をかいている。

 今朝起きたら、ポチが一回り大きくなっており、縁側に脱ぎ捨てられた「皮」が散乱していたのだ。

 皮といっても、爬虫類のそれとは違う。まるで極薄のガラスかダイヤモンドで出来たフィルムのように、キラキラと七色に輝いている。硬いくせに軽いので、風で飛ぶと厄介だ。

「これ、土に埋めるといい肥料になるんだよな。でも量が多いし……とりあえず袋に詰めるか」

 俺がほうきでシャラシャラと皮を集めていると、背後の空間が不自然に歪んだ。

 黒い霧と共に、一人の女性が現れた。

 ゴージャスな黒いドレスに、宝石を散りばめた杖。

 モデルのように整った顔立ちだが、その目は血のように赤く、鋭い。

 俺の【絶対飼育】スキルが反応しないことから、人間か魔族だろう。

(うわ、すごい美人。……でも、なんか怒ってる? また道に迷った冒険者か?)

 俺が声をかけようとすると、彼女の方から口を開いた。

「貴様がカイトね。私はワイズ皇国の主、ラスティアよ」

 声には有無を言わせぬ響きがあった。

 彼女は俺を一瞥し、そして俺が手に持っている「ゴミ袋(肥料用)」を見て、目を見開いた。

「そ、それは……まさか!」

 彼女が震える指で袋を指す。

「ああ、これ? 汚いものですみません。今、捨てようと思ってて」

「す、捨てるだと……ッ!?」

 ラスティアは絶句した。

 彼女の魔眼には見えていた。その袋の中身が、神話級の金属オリハルコンすら凌駕する硬度と、無限の魔力を秘めた**『始祖竜の聖皮』**であることを。

 あの一欠片を粉末にして美容液に混ぜれば、数千年は若さを保てるほどのアンチエイジング効果がある秘宝中の秘宝だ。

 それを、この男は「ゴミ袋」に入れて、「捨てる」と言ったのか?

(正気じゃないわ……! 国家予算がいくつあっても買えない代物よ!?)

 ラスティアはゴクリと喉を鳴らし、必死に平静を装った。

「その……捨てるというなら、私が貰ってやってもよくてよ?」

「え、これをですか?」

 俺は驚いた。こんなトカゲの皮、何に使うんだ?

 ああ、そういえば蛇の抜け殻は金運アップのお守りになるとか聞いたことがある。この人もそういう迷信が好きなタイプなのかな。

「いいですけど……ただのゴミですよ?」

「ゴ、ゴミ……ッ!(ギリリ)」

 ラスティアのこめかみに青筋が浮かんだが、彼女は杖を振って「転移収納」の魔法を発動させた。俺の手からゴミ袋が消え、彼女の亜空間倉庫へと吸い込まれる。

「礼を言うわ。……で、代価はいかほど?」

 彼女が財布(国庫直結)を取り出そうとした。

「いやいや、お金なんていいですよ。掃除の手間が省けましたし」

 俺は手を振って断った。ゴミ処理にお金をもらうなんて申し訳ない。

 それにしても、近くで見ると本当に綺麗な人だ。ただ、目の下のメイクが少し崩れているような……?

「それよりお姉さん、顔色が悪いですね。ちゃんと寝てます?」

「ッ!?」

 ラスティアが息を呑んで後ずさった。

 痛いところを突かれたらしい。

「余計なお世話よ! 私は魔王として、日夜激務に……」

「働きすぎは美容の敵ですよ。せっかくの美人が台無しだ」

 俺は何気なく言った。

 その瞬間、ラスティアの動きが止まった。

「――び、美人?」

 彼女の頬が、みるみるうちに朱に染まっていく。

 魔王として恐れられることはあっても、面と向かって、しかも下心のない純粋なトーンで「美人」と言われたことなど、数百年生きてきて一度もなかったからだ。

 その時。

 俺のポケットに入っていたポチが、顔を出して「きゅぅ?」と鳴いた。

 同時に、ポチの放つ『王の威圧』がわずかに漏れ出した。

 ラスティアは戦慄した。

 (な、何という覇気……!?)

 彼女はポチの存在に気づいていない。目の前の男、カイトから放たれていると勘違いしたのだ。

(私が全魔力を解放しても勝てない……。この男、底が見えないわ。それほどの強者でありながら、神話級の秘宝をゴミと断じ、魔王である私を『ただの女性』として扱い、美しさを気遣うなんて……)

 ドクン。

 ラスティアの胸が、早鐘を打った。

 今まで「自分より強い男」がいなくて悩んでいた彼女の心の防壁が、音を立てて崩れ去る。

(つ、強い。そして……優しい)

 彼女は杖を握りしめ、上目遣いで俺を見た。

「……ま、また来るわ」

「ええ、いつでもどうぞ。次はお茶くらい出しますよ」

「……約束よ」

 ラスティアは顔を真っ赤にして、逃げるように転移魔法を発動させた。

 黒い霧と共に姿が消える直前、「スキンケア頑張ってねー!」と声をかけると、空気が爆発したような音がして彼女は消え失せた。

「不思議な人だったな、ポチ」

「きゅるっ(あの女、チョロいな)」

 ポチは呆れたようにあくびをした。

 †

 ワイズ皇国、魔王の寝室。

 戻ってきたラスティアは、ベッドにダイブして枕に顔を埋め、足をバタバタさせていた。

「美人……美人だって! 聞いた!? 私のこと美人だって!」

 彼女は亜空間から取り出した「聖皮」を抱きしめ、うっとりとした表情を浮かべた。

「カイト……。私の全てを賭けても奪えない男。フフ、面白いじゃないの。この魔王ラスティア、必ずあなたを振り向かせてみせるわ!」

 こうしてカイトの農場には、「胃痛持ちの竜王」に続き、「恋する乙女(魔王)」という、世界最高戦力の常連客が増えることになった。

 カイトがそれを知るのは、まだずっと先の話である。

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