第二章 邪と天然と温泉地
迷子のエルフ、トマトの樹海を作る
大陸の西に位置する「世界樹の森」。
そこから直線距離で数千キロ離れた「アナステシア・ファーム」の近くを、一人の少女がフラフラと歩いていた。
「あ、あれぇ……おかしいですわね。ちょっとお使いに出ただけなのに、どうして砂漠がありますの?」
彼女の名はルナ・シンフォニア。
エルフ族の次期女王候補にして、世界樹から神託を受ける巫女である。
透き通るような白銀の髪に、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。本来なら森の奥深くに座しているはずの高貴な存在だが、今の彼女はボロボロだった。
純白の巫女服は泥だらけ、髪には枯れ葉が絡まり、その美しい顔は煤けている。
「長老様は『東に3キロ』って言いましたわ。だから私は、太陽が沈む方角へ進んで……あれ? 沈む方って西でしたっけ?」
彼女は致命的な方向音痴だった。
「右」と言われれば自信満々に「左」へ行き、地図を見れば逆さまに読む。
結果、彼女は大陸を横断し、魔境に近いこの辺境の地まで迷い込んでしまったのだ。
「うぅ……喉が渇きました。お腹もペコペコです……」
ルナがよろめきながら丘を越えると、眼下に奇跡のような光景が広がっていた。
荒野の中に突如現れた、緑豊かな農地。
瑞々しい野菜が並び、黄金色の小麦が風に揺れている。
「ま、まあ! オアシスですわ!」
ルナは目を輝かせて駆け出した。
彼女がたどり着いたのは、カイトが丹精込めて育てている「トマト畑」だった。
しかし、運悪くまだ実は青く、小さかった。
「あらら……まだ食べ頃ではありませんわね。でも、背に腹は代えられません」
ルナは杖を取り出した。
世界樹の枝から削り出された神器『ミストルティン』である。
「少しだけ……ほんの少~しだけ、成長を早めさせていただきましょう。ごめんなさいね、トマトさん」
彼女は悪気など微塵もなかった。ただ、喉を潤したい一心で、杖を振った。
本来なら、熟練のエルフでも数人がかりで行う「成長促進」の魔法。
それを、加減を知らない彼女が、神器を使って放ったらどうなるか。
「――『萌芽よ、育て(グロウ・アップ)』☆」
ドォォォォォォォォンッ!!!!
地面が爆発した。
「えっ? きゃあ!?」
ルナの悲鳴と共に、目の前のトマトの苗が、まるで童話の「豆の木」のように天を突き破る勢いで巨大化した。
茎は巨木のように太くなり、葉は空を覆い尽くす。
そして、実ったトマトは――
ボボボボボボッ!!!
スイカ……いや、バランスボールほどの大きさの真っ赤なトマトが、鈴なりに発生した。
衝撃波が広がり、周囲の景色を一変させる。
そこはもう畑ではない。「トマトの密林」だった。
†
「な、なにごとだーッ!?」
爆音を聞きつけ、カイトが鍬を持って走ってきた。
後ろにはポチ(始祖竜)も続いている。
「畑が……俺のトマト畑が……!?」
カイトは目の前の光景に絶句した。
綺麗に整列していた畝は消え失せ、代わりに鬱蒼とした「トマトの森」が出現している。見上げれば、頭上に巨大な赤玉がゴロゴロとぶら下がっている。
「ど、どうなってるんだ……」
呆然とするカイトの足元で、瓦礫の山が動いた。
巨大化した茎に巻き込まれ、尻餅をついていたルナだ。
「うぅ……ご、ごめんなさいぃ……」
ルナは涙目でカイトを見上げた。
やってしまった。まただ。
森でも、善意でお花に水をあげようとして洪水を起こし、怒られたばかりなのに。
今度は人様の畑を、めちゃくちゃにしてしまった。
「私、ただ喉が渇いて……魔法で少し大きくしようと……。そしたら、こんなことに……」
ルナは身を縮こまらせた。
きっと怒鳴られる。損害賠償を請求される。
当然の報いだ。
しかし、カイトの反応は違った。
「――すげぇ」
「……へ?」
カイトは、巨大なトマトを見上げて目を輝かせていた。
「魔法でやったのか!? 一瞬でこんなに大きく!? しかも見てみろよポチ、このトマト、ツヤツヤで身が詰まってるぞ!」
カイトは巨大トマトをペチペチと叩いた。
完熟だ。香りも濃厚で、素晴らしい出来栄えである。
「あ、あの……怒らないんですの?」
「怒る? なんで?」
カイトは不思議そうに振り返った。
「だって、これ『大豊作』じゃないか! こんなに大きなトマトが採れるなんて、夢みたいだよ!」
「ほ、豊作……?」
「ああ! これなら村のみんなに配っても余るし、トマト祭りができるぞ! ケチャップも作り放題だ!」
カイトは満面の笑みで、泥だらけのルナに手を差し伸べた。
「君、すごい魔法使いなんだな! まさに農業の女神様だよ! ありがとう!」
ドキン。
ルナの胸が、高鳴った。
今まで「破壊神」「歩く災害」と呼ばれ、恐れられてきた自分の魔法。
それを、この人は「すごい」「ありがとう」と笑って受け入れてくれた。
しかも、汚れた自分の手を取って、優しく引き上げてくれる。
(あ、ああ……。お母様、長老様。私、見つけましたわ)
ルナの瞳が潤み、頬がバラ色に染まる。
(私の『アート(暴走)』を理解してくれる、運命の殿方を……!)
「あ、あの! 私、ルナと申します! 責任を取って……いえ、お詫びにここで働かせてくださいまし!」
「え? 働くって、こんな辺境で?」
「はい! 私、草木とお話ができるんです! きっとお役に立ちますわ!」
ルナはカイトの手をギュッと握りしめた。
その背後で、様子を見ていたポチが「やれやれ」とあくびをする。
「きゅぅ(また面倒なのが増えたな。……まあ、トマトがデカいのは悪くない)」
ポチは落ちてきた巨大トマトにかじりつき、その甘さに満足げに目を細めた。
こうして、カイト農場に新たな従業員(災害)が加わった。
【農業顧問補佐:ルナ】
カイトは喜んでいるが、彼はまだ知らない。
彼女が「善意」で動くたびに、市場価格が崩壊し、地形が変わり、経理担当のルーベンスが胃薬を飲むハメになる未来を。




