EP 20
独立特区『アナステシア・ファーム』
大収穫祭の翌朝。
カイト農場の庭先は、異様な熱気に包まれていた。
「1億……2億……いや、桁が足りない! 計算機(魔導具)をもう一台持ってこい!」
魔族宰相ルーベンスが、血走った目で叫んでいる。
彼の目の前には、昨夜の戦いで回収された魔物の素材――竜の牙、魔神の核、大量のSランク肉――が山のように積まれていた。
「宰相閣下、これだけの量が一度に市場に出れば、大陸の経済は崩壊します! 金貨の価値が紙切れになりますぞ!」
ゴルド商会のガラムも、冷や汗で顔をテカらせながら悲鳴を上げていた。
この農場にある資産価値は、もはや大国の国家予算数十年分。
もしルミナス帝国や周辺諸国がこれを知れば、軍を動かしてでも奪いに来るだろう。そして、ポチや神々に返り討ちにされ、国が消滅する未来が見える。
「……なんとかせねばならん。この農場を『政治的』に守る盾が必要だ」
ルーベンスは眼鏡を押し上げ、決意の表情で母屋を見た。
†
カイトの家のリビング。
そこでは、世界の運命を決める「頂上会談」が開かれていた。
出席者:
女神ルチアナ(二日酔い)。
魔王ラスティア(朝のスキンケア中)。
竜神デューク(豚骨スープの仕込み休憩中)。
竜王ドラグラス(オブザーバー)。
「単刀直入に言おう。この農場は、危険すぎる」
デュークが腕組みをして切り出した。
「ポチ(始祖)がいる時点でアンタッチャブルだが、カイトの作る野菜や、地下のダンジョン資源……あまりに魅力的すぎる。愚かな人間どもが、ハエのように集ってくるぞ」
「そうねぇ。そのたびにポチがブレスで国を消してたら、地図の書き直しが面倒だし」
ルチアナが気だるげに頷く。
ラスティアもコットンで顔をパタパタさせながら同意した。
「私のカイトに、これ以上変な虫がつくのは御免よ。いっそ、ここを魔王領の飛び地にしましょうか?」
「ふざけるな。そんな事をすれば天使族と全面戦争になるぞ」
部屋の隅でハーブティーを淹れていたヴァルキュリアが即座に殺気を放つ。
空気が張り詰めたその時、ルーベンスがバアン!と扉を開けて入ってきた。
「皆様! 名案があります!」
彼は一枚の羊皮紙をテーブルに広げた。
「どの国にも属さず、誰からも干渉されず、しかし世界中がその価値を認める場所……。ここを『永世中立・独立特別行政区』として認定するのです!」
「特区、か」
「はい。スポンサーはゴルド商会。後ろ盾は魔王軍、天使軍、そして調停者。表向きは『農業と観光の特区』としつつ、実態は『神々の不可侵領域』とするのです!」
完璧なプランだった。
これなら、帝国も手出しできない。経済もゴルド商会がコントロールできる。
「よかろう。我は賛成だ」
「私もいいわよ。カイトとの愛の巣を守れるなら」
「決定ね。じゃあ、カイト君を呼んで説明しましょ」
†
「――え? 特区?」
呼び出されたカイトは、キョトンとしていた。
目の前には、真剣な顔をした友人たち(神々)が並んでいる。
「そうだカイト。貴様の作る野菜は素晴らしい。世界遺産レベルだ。だから、国から特別な許可を得て、ここを『特別エリア』にしたいのだ」
デュークが(なるべく分かりやすく)説明する。
カイトは少し考えて、ポンと手を打った。
「あ、なるほど! あれか、『道の駅』みたいなもんか!」
「みちの……えき?」
「うん。地元の特産品を売ったり、観光客が休憩したりする場所だよ。国から認定されると、看板とか作ってもらえるんだよね」
カイトの中で、壮大な勘違いが成立した。
彼らは「独立国家」を作ろうとしているのに、カイトは「優良農家として認定されて、観光農園になる」と思っている。
「へえ、すごいなぁ! 俺の野菜が認められたってことか。嬉しいよ!」
カイトは満面の笑みで承諾した。
その笑顔を見て、ポチも「きゅぅ(主が喜んでるならよし)」と尻尾を振った。
「よし、では名前を決めよう。この世界の縮図であり、全ての種族が集う場所……」
ルチアナが厳かに宣言した。
「『アナステシア・ファーム』。この世界の名を冠するに相応しいわ」
「かっこいい名前だね! 気に入ったよ!」
こうして、大陸の辺境に、前代未聞の独立特区が誕生した。
【アナステシア・ファーム】
* 代表: カイト
* 警備隊長: ポチ(始祖竜)
* 警備員: フェンリル、オーク将軍、ドラゴンゾンビ等
* 主要産業: 神レベルの野菜販売、S級ダンジョン資源、超高級ラーメン
* 入国条件: カイトの機嫌を損ねないこと(違反者は即座に原子分解)。
†
数日後。
農場の入り口には、立派なアーチ状の看板が掲げられた。
さっそく、噂を聞きつけた冒険者や商人の馬車が列をなしている。
「いらっしゃいませー! 美味しい野菜にラーメン、ダンジョン探索もあるよー!」
カイトの声が響く。
畑ではオークたちが汗を流し、庭ではキュルリンが新しい花壇を作り、ヴァルキュリアがハーブを摘んでいる。
縁側では、ポチと三巨頭がのんびりと茶を啜っていた。
「平和だなぁ……」
カイトは空を見上げた。
ブラック企業で死んだ自分が、こんなに賑やかで温かい場所を作れるなんて。
これからも、美味しい野菜を作って、みんなで笑って暮らしていこう。
そう、彼は信じて疑わなかった。
この「平和」が、世界最強の武力によって辛うじて維持されている砂上の楼閣だとしても。
そして――。
農場の地下深く。
キュルリンが掘り抜いたダンジョンの最下層、地下666階。
絶対零度の冷気すら届かぬ暗闇の底で。
ピキッ……。
古い岩盤に埋まっていた「封印の楔」に、小さな亀裂が入った。
その隙間から、ドロリとした黒い泥が滲み出す。
かつて創世記に封印されたはずの、邪神デュアダロスの怨念。
それが、地上の「濃厚な魔力(カイトの野菜)」の匂いに誘われ、静かに目覚めようとしていた。
カイトの平穏なスローライフ(防衛戦)は、まだ始まったばかりである。




