EP 15
魔界の宰相、帳簿に絶望する
魔族の国、ワイズ皇国。
その中枢にある執務室で、机を叩く音が響いた。
「またですか……! またあのババ……いえ、魔王様は城を抜け出したのですか!」
叫んだのは、魔族の宰相にして公爵、ルーベンスである。
彼は片眼鏡の位置を直し、手元の決算書を睨みつけた。
【使途不明金:金貨5000枚】
【備考:美容関連費(緊急)】
「ふざけるな! 国家予算だぞ! いくら魔王だからって、こんな浪費が許されると思っているのか!」
ルーベンスは完璧主義者だ。
無駄を嫌い、非効率を憎む。彼にとって、今のラスティアの行動は許しがたい「バグ」だった。
「報告によれば、魔王様は頻繁に『辺境の農家』に通っているとのこと……。そこで怪しげな薬(野菜)を買わされているらしい」
ルーベンスの目が鋭く光った。
もしや、その農家の男が魔王をたぶらかし、皇国の資産を吸い上げている詐欺師だとしたら?
あるいは、新手の精神支配魔法の使い手か?
「……ふん。私が直々に査察に行き、その化けの皮を剥いでやる。必要なら『影縫い』で八つ裂きにして、金を回収してやるまでだ」
ルーベンスは漆黒のマントを翻し、転移ゲートへと足を踏み入れた。
†
カイト農場。
ルーベンスが降り立ったのは、のどかな田園風景の中だった。
「ここが例の場所か。……魔力の濃度が異常に高いな」
彼は警戒しつつ、農場の奥へと進んだ。
すると、畑の方から太い声が聞こえてきた。
「ブヒィッ! ここの土壌改良は完璧だ!」
「ブブーッ! ボス(カイト様)が喜ぶぞー!」
見ると、屈強なオークたちが、泥だらけになりながら楽しそうに農作業をしていた。
ルーベンスは目を疑った。
「あれは……ガッシュ将軍!? それにボルグ隊長か!?」
かつて魔王軍の先鋒として恐れられた、一騎当千のオーク・ジェネラルたちだ。
彼らは先日、「いい就職先が見つかった」と言って集団退職したはずだが……まさか、こんなところで鍬を振るっているとは。
「おい、貴様ら! 何をしている!」
ルーベンスが声をかけると、オークたちが顔を上げた。
「あ、宰相閣下! ご無沙汰してますブヒ!」
「見てくださいこのキャベツ! 魔界の痩せた土地じゃ作れない、最高傑作ですブヒ!」
オークたちの顔は、軍にいた頃の険しい表情とは別人のように輝いていた。
肌ツヤも良く、ストレスフリーなオーラが溢れている。
「な、なんだその幸せそうな顔は……。貴様ら、魔族の誇りはどうした?」
「誇りじゃ飯は食えねぇブヒ。ここの飯は最高だブヒ!」
ルーベンスは頭を抱えた。
(計算外だ。私の配下で最も優秀だった突撃部隊が、完全に骨抜きにされている……)
その時、母屋の方から一人の人間の青年が出てきた。
「おーい、みんな休憩にしよう。トマトジュース搾ったぞー」
カイトだ。
ルーベンスは瞬時に【鑑定】スキルを発動した。
戦闘力E。魔力F。……ただの農民だ。
だが、その農民の肩には「始祖竜」が乗り、足元には「狼王フェンリル」がじゃれつき、後ろからは「不死鳥フレア」が洗濯物を抱えてついてきていた。
「……は?」
ルーベンスの思考回路がショートした。
神話級のモンスターを従えた農民?
いや、それよりも問題なのは――。
「あ、カイトさん。この前の野菜の代金、置いておきますね」
ちょうど野菜を買いに来ていたゴルド商会のガラムが、カイトに金貨袋を渡していた。
「いつも悪いねガラムさん。……えっ、こんなに? トマト10個で金貨1枚? 多すぎない?」
「いえいえ! 適正価格です! むしろ安いくらいで!」
「そうかなぁ。悪いから、おまけにこの『黒い石』あげるよ。畑から出てきたんだけど」
カイトが無造作に渡したのは、高純度の『魔晶石』だった。
国家の結界維持に使うレベルの戦略物資だ。市場価格なら白金貨100枚は下らない。
「ええっ!? こ、こんな貴重なものをタダで!?」
「いいよいいよ、漬物石くらいにしかならないし」
ガラムは泡を吹いて倒れそうになっていた。
それを見ていたルーベンスの中で、何かがプツンと切れた。
「――待てェェェェイッ!!!」
ルーベンスは猛スピードで二人の間に割って入った。
「き、貴様ぁぁ! 計算ができんのか貴様は!!」
「うわっ、びっくりした。誰?」
「私はルーベンス! ……じゃなくて! 今の取引はなんだ! 魔晶石の相場を知らんのか! その大きさなら最低でも白金貨150枚だ! それをタダで渡すだと!? 市場崩壊を招く気か!!」
ルーベンスはカイトの胸ぐら(の近くの空気)を掴んで捲し立てた。
潔癖な計算魔である彼にとって、目の前で行われた「超どんぶり勘定」は、生理的な嫌悪感を催すレベルの蛮行だったのだ。
「ええ……? でも、俺にとっては石ころだし……」
「『私にとっては』など関係ない! 経済とは客観的価値の交換だ! 貴様が安売りすれば、他の魔石商人が廃業するんだぞ! バタフライエフェクトを考えろ!」
ルーベンスはガラムから帳簿をひったくった。
「貸せ! ……なんだこの雑な記録は! 『トマト・いっぱい』『代金・そこそこ』だと!? 貴様らそれでも商人か! 複式簿記はどうした!!」
彼は懐から愛用の万年筆を取り出し、鬼の形相で帳簿を修正し始めた。
「トマト(S級品質)の単価は金貨1.2枚で固定! 魔晶石は特別譲渡枠として処理し、税金対策のために……ブツブツ」
その計算速度は、スーパーコンピューター並みだった。
カイトは呆気にとられていたが、次第に感心した表情になった。
「す、すごい……。俺、計算苦手だから助かるなぁ。あんた、凄腕の税理士さん?」
「誰が税理士だ! 私は魔界の……ッ!」
ルーベンスはハッとした。
自分は魔王の使い込みを断罪しに来たのだ。なぜ敵の帳簿を整理している?
だが、目の前の数字の羅列(カイトの杜撰な管理)が、あまりにも気持ち悪すぎて、手が止まらない。
(くそっ、ここを直さないと気が済まない! A型の血が騒ぐ!)
「……ええい! もういい! 私が管理してやる!」
ルーベンスは眼鏡を光らせて宣言した。
「貴様の経営は見ていられん! 今日からこの農場の経理は私が全権を握る! 文句はあるか!」
「えっ、いいの? 無料で?」
「無料なわけあるか! 報酬として……そうだな、この農場で採れた『最高級トマト』を現物支給しろ。あと、魔王様が来た時は、必ず私を通してから買い物をさせること。いいな!」
「わかった。頼りになるなぁ、ルーベンスさんは」
カイトは満面の笑みで握手を求めた。
ルーベンスは「ふん」と鼻を鳴らしつつ、その手を握り返した。
こうして、カイト農場に最強の経理担当が誕生した。
以降、ルーベンスは魔王城での公務を「影分身」に任せ、本体はこの農場で電卓を叩く日々を送ることになる。
「おいガラム! 今月の納品書、数字が合わんぞ! 在庫管理はどうなっている!」
「ひぃぃ! すみません宰相閣下ぁ!」
彼の怒号が響くたび、カイト農場の利益率は飛躍的に向上していくのだった。
カイトは思う。
「最近、お金が貯まるようになったなぁ。ルーベンスさんのおかげだ」と。
その金が、回り回って魔王ラスティアの化粧品代に消えていることを、彼はまだ知らない。




