第7話 街の輪郭(前篇)
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年の五月。
ティサ川の西岸、河口から五百メルテーク(500m)ほど遡った丘の上、ロツオンの建設予定地の中心に立ち、シグルドは十文字槍の石突きを地面に突き立てた。
「ここがロツオンの中心となる。やがてこの場所を中心に庁舎や教会が立ち並ぶだろう。まず我らは、壁を築く」
詠唱の声が響くたび、大地が低く唸りを上げた。〈石壁〉の魔法により、高さ六メルテーク、長さ一五メルテークほどの石の壁が地中から隆起していく。
シグルド、ジョフィア、ヘレナは、一人一日三度から四度の詠唱を重ねた。九日後には、およそ一千五百メルテークの外郭が街を余すところなく囲んでいた。
次いで〈岩成術〉の魔法を使い、壁を滑らかに仕上げ、簡単な城門と見張り塔を築く。いずれ石工に任せ、歩哨が行き交う城壁とし、塔や門も築き直すことになるだろう。
一方で、下水道の整備も進める。〈岩成術〉の魔法で地面をくり抜き、水の流路を形作る。下水はすべて一点に集まり、ティサ川へと流れ込む設計だ。
タマシュの測量技術が、この絶妙な勾配設計を可能にしている。
集水点には〈浄化〉の魔法をかけ、さらに〈永続〉の魔法でその効果を固定する。汚水が川に流れ込むのを防ぐためである。
飲用水は湧水に頼れず、貯水槽を三つ築いて〈造水〉を〈永続〉で固定した。余剰は下水へ流し街全体の循環を形づくる。
だが、〈永続〉の魔法を唱えるたび、彼の魂はわずかに削られた。砂が零れ落ちるような感覚が指先を抜け、冷たい虚脱が胸を満たす。それでも四度唱えたのは、民の未来を担う責務を、彼自身が背負うと決めていたからだった。
「魔法ってのは大したもんだな。あっという間に街の輪郭ができちまう」
タマシュが感嘆すると、ヘレナは〈永続〉を唱えるシグルドを心配げに見つめ、口を開いた。
「でも、魔法で形づくれるのはここまで……そこから先は、人の手で積み重ねる街づくりです」
「壁もできて、水も通る。それだけで大したもんだ」
◇◇◇
同じ頃、フェレンツ、エリク、メルタの三人は街の周囲を巡回していた。
とある湿地で、泥水を激しく跳ね上げながら、大蛇が突如として飛びかかってきた。
フェレンツは泥を踏みしめ、楯で巨蛇の突進をはじき返す。その勢いを逃さずエリクの斧が閃き、その胴を両断する。崩れ落ちた巨体の目には、いつの間にかメルタの短刀が深々と突き刺さっていた。
メルタは息を整えながら記録を取り、地形図の余白に「要警戒」と書き添える。
こうして一つひとつ、街を脅かす影を払っていった。
◇◇◇
一方で作業の進捗を見守りながら、シグルドは胸の奥に冷たいものを覚え始めていた。
木々の根は土を締めつけ、岩は大地に埋まったままびくともしない。人の手では一日に進む距離があまりに短い。
築いた壁の内を均し、次いで農地を整備する。秋の種まきが遅れれば、それは来年の糧を断たれるに等しい。その想像が、彼の背をじわりと締めつけた。
作業を見つめていたジョフィアが、不意に懐から一冊の古びた魔導書を取り出した。煤けた革表紙には、太古に失われた文字が刻まれている。
「ストーンゴーレムを造ることを提案する。伐採も堤防も、人の手では追いつかない速さになる」
その言葉に、シグルドの胸に戦場の記憶が閃いた。
一度だけ、ストーンゴーレムとは、刃を交えたことがあった。殴りつけてきた拳を防いだはずのフェレンツが、楯ごと吹き飛ばされた光景が蘇る。あれはまさしく恐るべき膂力だった。
「挑戦は一度きり。成功しても失敗しても、この書は失われるわ。製造できるかどうかは、私の力量次第。自信はあるけれど」
「試してくれるなら、ありがたい話だが……」
ジョフィアはすぐに遮った。
「ただし、材料が足りない。幾つかゼレニカで調達しないと」
シグルドは短く頷いた。
「……考えておく。今すぐ決めることではない」
だが保留しつつも、近々ゼレニカへ赴く必要があると考えていた。資材集めに人集め、教会の建立の許可の取り付け、それに――ゼレニカでなさねばならぬ務めは、いくつも積み重なっていた。
尽きぬ思案を胸に秘めつつ、ついにロツオンの建設は始まった。
ロツオンの丘に街を築くという決断が、未来に讃えられるか、それとも過ちとして刻まれるか、その裁きを下すのは、まだ見ぬ後世である。
ここから物語は、過去の一幕へと遡る。




