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ロツオン記  作者: オルデン・ハルト


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第5話 この地に火を熾して(後篇)

 集落の中心には石積みの広場があり、破れた網や潮に焼けた漁具が日に干されていた。

 近くの小屋は板壁に隙間が多く、布で覆われた窓が風にはためく。人々の衣は色あせ、継ぎが幾重にも重ねられていた。


 その傍らに、数十人の住人たちが集まりつつあった。目の奥には隠しようのない警戒が宿っている。

 幼子が母親の裾にしがみつき、その陰からこちらを見ている。若い男たちが木を削った槍を握りしめている。


 白髪混じりの髭をたくわえた老人が、石積みの広場の中央から、一歩前へ出た。

 肩に掛けた粗布は潮で硬くなり、海と川を渡ってきた歳月を物語っている。

「ベングトと申す」


「ロツオン卿、シグルド・ストゥーレだ。ここを治めるよう命じられた。まずは、治める前に、お前たちの話を聞きたい」


 ベングトはどこか驚いたようにその名乗りを受け止め、しばし見据えてから語り始めた。

「……噂は届いている。オルカストという民が来て、アルマーディという国を作ったこと。我らヴィンダルがそこに組み込まれたこと。暮らしが良くなった者もいれば、自由を奪われたと嘆く者もおる」


 そして探るように問う。

「北西の山の黒竜を討ったのが、お前か」

「そうだ」


 ベングトの目が、にわかに細められた。

 背後の人々の間に、ざわめきとも吐息ともつかぬ気配が広がる。

 ベングトは人々を振り返り、さらに遠くを見た。


「この村には二百もおらん。嵐の夜も、干ばつの年も、黒竜に襲われたときも――」


 ベングトは声を低くし、言葉を区切りながら続けた。


「わしらはわしらのやり方で生き延びてきた。わしらは誰の下でもなく、わしらの主は、いつもわしら自身だった」


 ややあって、思いを押し出すように続けた。


「……だが、黒き災いが討たれたと聞いたときは夢かと思った。長くこの地を苛んだ化け物がいなくなった。そのことには礼を言おう」

「礼は要らない。思いは受けるが、あれは俺たちの務めだった。それより……この地は、変わる。住む人も増える。街が築かれる。それをどう思う」


 若い男が唇を開きかけては閉じ、年長の女は肩越しに隣をうかがい、言葉にならぬ息を漏らした。ざわめきが、波紋のように広場を走った。


 それを破ったのは若い女だった。震える声で、それでも臆せず言う。

「……いつか、こうなるとは思っていました。でも、怖いのです」


 フェレンツ、ジョフィア、タマシュを指し、問う。

「あの金色の髪の方々は、オルカスト人なのですね。あなたも……彼らの側に立つのですか?私たちは居場所を奪われてしまうのではないか、それが怖い」


 その声に、頭を振ってヘレナが一歩出た。

 足取りはためらいを含んでいたが、目は逸らさなかった。口調は穏やかで、まっすぐに語りかけた。

「……その不安、よくわかります。けれど、私たちは……、支配するためではなく、ともにこの地を育むために来ました」


 一人ひとりの目を受け止めながら視線を巡らせ、最後に若い男の顔で止まった。

 男は何か言いかけたが、ヘレナの眼差しを受け、口を閉じた。

「私もシグルドも、皆さんと同じヴィンダルです。どうか……信じてください」



 静寂が広場に満ちた。しばらくして「話を聞こう」と誰かがつぶやいた。


 シグルドは短く人々を見回し、十文字槍の石突きを地に突き立てた。

「俺は、この地をお前たちと共に整える。それには信頼が要る」


 一拍置き、息を整える。

 自分の声が広場に響き渡るのを確かめ、槍を握る手に力を込める。

「だが、それは言葉では得られん。行いで示すしかない。だから――俺を試せ」



 突き立てた槍から足元の砂利が小さく鳴り、沈黙の中に吸い込まれていった。

 若い女が衣服の裾を強く握り、壮年の男は目を大きく開き腕を組んだ。答えを待つように、人々はベングトの背中を見つめた。


 張りつめた空気を破るように、海鳥の声が遠くで響き、ベングトの口端が上がった。

「……言葉は立派だ。たしかに口だけでは腹は満たせん」


 目を細め、吐き出すように続ける。

「だから、いいだろう。試してみせよう、黒竜殺し。一年――見せてみろ、お前の言葉が、真か、偽りか」



 それは、拒絶ではなかった。


 広場の片隅で、老人が手を動かし焚き火の準備をし始める。

 裾を握っていた若い女が、目を伏せたまま手を離し、その動きに続くように、壮年の男も組んでいた腕をほどいた。

 火を囲もうと人々が少しずつ集まり、火口からふっと湿った木の匂いが立った。夜の闇に誘われるように火種が瞬いた。


 揺らめき始めた火を、シグルドは黙って見つめていた。


 ◇◇◇


 夜。ロツオンの空は晴れわたり、星の光が夜空に散り、かすかにまたたいていた。


 焚き火のまわりに人々の輪ができ、穏やかな目が火を見つめていた。笑い声が、さざ波のように輪を巡っていく。

 シグルドたちの持ち込んだ酒が振る舞われ、フェレンツの横笛が、広場を包んでゆく。


 その脇で、ベングトが星空を仰いでぽつりと呟いた。

「……黒竜が消えて、こんな夜が来るとはな」

 炎の色が、深く刻まれた皺を赤に染め、幾つもの冬を越えた証を浮かび上がらせた。


 シグルドは応えず、ゆっくりと杯を傾けた。



 ロツオン領主としての最初の夜が、静かに更けていく。


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