第42話 剣よりも守るもの(前篇)
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年十一月。
冬の匂いを孕んだ風がティサ川を渡ってロツオンの街に吹き込む。港では杭を打つ音が川面に響き、内陸では土を運ぶ荷車が泥道をきしませて通る。魔法やストーンゴーレムが支えとなっても、人の手と足を必要とする作業が尽きることはなかった。
人々は、かじかむ手をこすりながらも街作りに邁進する。建物や城壁の整備に加え、堤防造りと湿地の干拓が進み、その先では港の建築も本格化していた。
シグルド・ストゥーレは丘の上に立ち、まだ舗装もされていない通りを見下ろした。遠くから、乾いた土埃と共に子どもたちの笑い声が聞こえる。
人は集まり、暮らしは築かれつつある。
だがすでに非常用資金に手を付けていた。
海と川に〈常光〉の道を設けた触媒代と設置費用が、予想以上の出費となった。けれど、あれがなければ嵐の中、船は無事に避難できなかっただろう。納得はしている。ただ、帳面に記された数字が一つ増えるたびに、冬より寒いものが迫ってくることを感じていた。
それに今のロツオンに決定的に不足している職があった。衛兵と兵士である。
特に前者は急を要した。暮らしが落ち着くと同時に、街角での小さな揉め事も目立ち始めた。
こちらについても、装備をあつらえ、人を雇う以上、相応の出費を予想していた。
◇◇◇
「治安をどうするか、だな」
フェレンツ・ナジラキは地図の上に手を置いた。シグルドの執政室に、仲間たちは今夜も集まっている。
「民会を通して声はかけましたが……」
ヘレナが目を伏せる。「どなたも、手が足りないと……」
「当然だろ。職人だって、農民だって、日々の仕事があるんだからな」エリクが大きく息を吐いた。
「……外から連れてくるしかない」ジョフィアが短く頷いた。
「治安に新顔を充てれば、人々は抵抗するだろう。ニルスやイングリッドを回せば兵が足りない。いずれかを削れば別のほころびが出る」シグルドが顔をしかめて言った。
「兵士と衛兵を交互にしてもらって、少しずつ馴染んでもらう、ってのは?」
メルタが提案し、最終的に皆が賛意を示した。
他に有効な策は浮かばなかった――それが紛れもない現実だった。
「そしてこれ」
メルタが得意げに包みを広げると、煉瓦色の上衣と脚衣が姿を現した。袖と襟には鈍色の縁取りが走り、胸には盾をかたどった刺繍が凛と据えられていた。
訝しげなシグルドに、メルタは笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「ひと目でわかる格好が衛兵には必要だと思うんだ。街の中で頼られる存在になるためにね。そして、人を集めるときにも。集まってくる人たちに“これを着た自分”を思い描かせるんだよ」
メルタは服を掲げて笑った。彼女にとって服はただの布ではない――人の印象を形づくる鎧でもあった。街を歩く衛兵が着こなしひとつで頼もしさを増すなら、それは剣に勝る武器だと考えた。
「服の色で喧嘩が仲裁できるとも思えんが」
エリクが半ば呆れたように笑う。
「……服で治安、ですか?」とヘレナが首を傾げ、ジョフィアも「理屈に合わない」と小声で付け加える。
「できるとも」
フェレンツの目が光った。「人は目で頼もしさを量るものだ。人集めにも、きっと効果があるはずだ」
「……なら、あとは兵を集めるだけだ」
シグルドが、感服したようにメルタにうなずいた。
「ゼレニカで再び人を募ろう。ニルスやイングリッドも連れて行く」
数日後、ジョフィアの魔法で、シグルドとニルス、イングリッドは、ゼレニカへと転移していた。




