第40話 問われた声
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年十一月。
ロツオンの空は重く曇り、嵐の残り香が街に留まっていた。
鎖から解放されたばかりの男が不審な死を遂げていた――その調査報告をメルタが携えてきた。
「殺人だった。犠牲になったのは、カールドヴァールの船から解放されたヴィンダル人の一人……名前はエイン。外傷はなく、脇の下に針で刺された痕があった。使われたのは〈灰舌〉の毒ね」
シグルドは黙って報告を受ける。右手側でフェレンツが腕を組み、視線を床に落としていた。エリクは少し身を乗り出し、メルタの口元から目を離さない。メルタはさらに言葉を継いだ。
「……アンドラーシュの護衛の一人が、事件の晩、死んだ男、エインについて聞き回ってた。現場に残されたしっかりしたブーツ痕はその特徴に合致すると思う」
フェレンツが眉を寄せた。報告は続く。
「目撃者はいない。〈透明〉の魔法か何かを使ったのかもしれない。事前に何か聞いていた者もいなかったわ」
その声には揺らぎがなかった。彼女が断じたことが誤りだったためしは、これまで一度もなかった。
シグルドは悩んでいた。この殺人の犯人がアンドラーシュだとして、果たして目的は何だったのか掴みかねていた。
恫喝目的であるならば、例えば何故もっと多くの者を害さなかったのか。
シグルドはしばらくの沈黙ののち、口を開いた。
「……ヘレナに頼んで〈問霊〉を使う。死者の言葉を、引き出すしかない」
人は死ねば、言葉を持たぬ。だが魂がこの世に名残を留めているうち、術者の祈りがそれを呼び戻すことがある。
〈問霊〉――それは、死者の影に三つの問いを許す、交信の術。
死後十日を越えてはならず、口が失われた死体や、怨霊と化した者には通じない。
術者ができる問いの数は三つに限られるが、必ずしも明瞭な答えが返ってくるとは限らない。
その一言一句が貴重であり、使い方を誤れば、何も得られぬまま術は終わる。
◇◇◇
その日の午後、仮設された礼拝所で、ヘレナが清めの詞を唱えていた。
捧げられた土器には香が焚かれ、木棺にはエインの遺体が安置されている。死に顔から痛みの痕跡は消えており、表情は穏やかだった。
ヘレナが震える指で、銀製の聖印を掲げる。彼女の声は微かだったが、言葉の一つ一つが空間に吸い込まれていくような力を持っていた。
魔法が発動し、かつて人であったものの口がぎこちなく開いた。
ヘレナは小さく息を吐き、問いを投げる。
「あなたは、なぜバリント伯に殺されたのですか?」
ここで「お前はバリント伯の手の者に殺されたのか?」などと問うてはすぐ三回という数字が尽きてしまう。
沈黙が一度、場を支配したのち、声が返ってきた。喉を震わせないで発せられた声は人の声のようでいて、どこか空洞を震わせるような響きだった。
「……城で、排水路を整備していた。……でも、完成した時、誰にも言うな……そう、言われた」
「排水工事……それにしては、妙だな」フェレンツの声には疑念がにじんでいた。
「城ってのはカールドヴァールの城だよな。ゼレニカの城じゃないよな」エリクが恐る恐る仲間に確認する。
ジョフィアが次の問いをヘレナに伝えた。
「そのカールドヴァールの作業場で、普通の排水工事と違うと感じた点はあったか、聞いて欲しい」
問いに死者の口が、震えるように動いた。
「……清潔すぎた……土も水も、匂いが消えていた。地面が……なめらかすぎた」
「最後の問い……どうしましょうか」ヘレナの指がわずかに震えた。彼女は目を伏せ、皆に視線を送る。
メルタが顎に手を当て、息を潜めるように考える。
「……あたしから、ひとつ。行き先を知りたい。どこに繋がってたのか、少しでも心当たりがあるなら」
シグルドが頷き、ヘレナが最後の問いを発した。
「その通路の先が、どこに繋がっていたか、心当たりはありますか?」
死者の胸が、突如として糸を引かれる人形のように跳ねた。やがて収まり、空洞を震わせる声が、不気味に反響した。
「行く手から、潮風が吹いた。……港か……海、かも……」
その言葉と共に、魂の光は霧のように消え、その肉体は再び沈黙へと戻った。
「カールドヴァールの城から外へ繋がる抜け道……」
もし救えていれば――だが手掛かりは、死者とともに闇の奥に消えた。




