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ロツオン記  作者: オルデン・ハルト


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第37話 技と名を刻む者(後篇)

 その「答え」を確かめるように、イェンスは翌朝、ブロシュのもとを訪れた。


「……石、割ってしまいました。材を見極めきれずに」

 その言葉は、胸の奥に沈めた痛みを無理に押し上げるような響きがあった。


 ブロシュはしばらく黙っていたが、やがて他の弟子も集めるように言い渡した。

 集まった弟子たちに、粗末な革袋から一冊の小さな帳面を取り出し、手渡した。帳面は、広げた手に収まるほどの大きさだが、擦れて角が丸くなり、革は手脂で黒光りしていた。中を開くと、くすんだ紙には、図と短い注釈が乱雑に記されていた。


「昔、自分のために書いた。湿石の見分け方、叩いたときの音の違い、石の目を読むやり方……。こんな帳面、人に見せる親方は少ねぇ。墓場まで抱えていくもんだ」

「もらって、いいんですか?」

「ああ。……持ってけ。そして、お前らの中にしっかりと刻め」


 イェンスには、そのオルカスト語の書き付けは読めなかったが、オルカスト人の弟子には読めるようだった。


 翌日から、イェンスと数人の若い石工たちは、そのメモを写し取り、声に出して読み上げつつ、採石場を歩いた。石に水を落とし、叩き、耳を澄ませた。時に顔を寄せ合い、時に言い合い、紙と石とを交互に見つめた。


 ゼレニカのギルドでは、技術の標準が共有されていた。だが、それ以上の工夫や知識は「工房の技」として伝えられ、記録されていても誰にでも渡されるものではなかった。

 教わる者と、教えられない者。その線は、いつだって引かれていた。

 だから、その様子はおよそ職人らしからぬ振る舞いとして他の職人たちの目に留まった。ゼレニカの職人たちは、それを嘲りつつも他所のことには口を挟まないが、ロツオン職人たちの癇に障った。


「……なんだ、写し読み?道具の使い方まで書いてるのか?」

「技は目で盗むもんだろうが。職人の風上にも置けない奴らめ」

「秘伝は独占してこそ秘伝だろうが」

 言葉は刺さった。イェンスたちは羞恥に顔を染め、俯く。


 だが思いがけぬ擁護の声が上がった。


「ブロシュさん、それ俺も見ちゃ駄目か?ただでとは言わねぇ。俺も自分が持っているものを差し出す。イェンスたち、あんたの弟子に何か教えるのでも良い」

 中堅の職人が、意を決して言った。


「俺はもっと上手くなりたいんだ。ゼレニカの連中には敵わねぇのが、悔しいんだよ」

 最後は叫び声になっていた。

「このままじゃ、一生追いつけねぇんだよ!」


 その叫びが、場の熱を一瞬にして奪った。

 誰もが心のどこかで感じていた思いだった。

 ゼレニカの職人によって街が形を変えていくたびに、自分たちの足跡が薄れていく感覚を、言葉にできず抱えていた。


 ◇◇◇


 叫びは一人の声にとどまらなかった。

 押し殺してきた悔しさや焦りが、野火のように広まり、やがて民会に運ばれていった。


 ゼレニカの職人たちの後塵を拝したくないという思いは、ジェルジ・ナダシュディやエリンといった職人の民会議員たちも共有していた。

 議論が進む中、シグルドは継技状を定めたときのことを思い返す。あれは、技を持ちながら名を得られぬ者を救うためのものだった。此度の議論は、より技を高めるためのものだった。ならば、技に見合う名を残す仕組みが要るだろう。


 賛否の声が交錯し、卓を叩く音や唸り声が響いた。熱に浮かされた議場の空気が、一つの方向へと収束していく。

 民会で二つの制度が決議された。

「技帳制度」と「刻印制度」である。


 技帳は、技を共有するために残す記録であった。そこに名を記すことは、自らの技を他者に伝える意思を示す行為とされた。

 刻印は、労働の痕跡を後世に残す制度であり、その権利は技帳に名を記した者にのみ与えられた。


 シグルドは言葉を添えた。

「記された技は他の手に受け継がれる。刻まれた名は、この地に生きた証になる。だが、一度刻めば、消せぬ。そのことを胸に置いたうえで、考えて欲しい」



 沈黙を最初に破ったのは、ブロシュだった。

「名を刻まれようと、書かれようと、俺の手の動かし方は、俺だけのもんだ。真似されて困るようなもんじゃねえ」

 言葉は少ないが、澱みがなかった。


 シグルドは承認の頷きとともに、ブロシュに命を下した。ロツオン西の大門、街の表玄関にして、街道と結ぶ最重要の門の建築である。

「その門に、名を刻め」


 その言葉に応じて、石工たちが次々に声を上げた。

「俺も技帳に技を残したい」「その門に、自分の技を刻ませてくれ」

 熱は広がり、職人たちが制度に参加していく。



 イェンスは列には加わらなかった。

 自分がまだ「渡せるもの」を持たないことを、彼は理解していた。

 だがその目は、技を残す先達たちの手元を、まっすぐに追っていた。



 やがてそれを読む誰かが、また一つの石を積むだろう。

 忘れられたはずの手の名が、この地に刻まれていく――。


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