第35話 種まき
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年九月。
昼と夜が等しく分かたれる秋分の日が訪れた。
季節の境は、祝祭の火を呼び、言葉よりも先に人々の心を揺らす。
秋分の日の夜、ロツオンの広場ではヴィンダル人の冬迎えの祭が執り行われた。
祖霊が還るとされるこの夜、人々は獣の面や粗布をまとい、火の周りに集った。仮装は悪霊を遠ざけ、燃えさかる焚火は死者の道を照らす。長老の声が祈りを紡ぎ、若者は太鼓を鳴らした。やがて、歌声が輪を描いて響きわたる。
それは、土に眠る者と生きる者とをつなぐ鎮魂の調べだった。
二日後には、オルカストの秋の祝福祭が催された。
麦を挽いた粉と蜂蜜酒が祭壇に捧げられ、木々の落葉を集めて燃やす。輪舞は豊穣を願い、炎は冬を越える光の象徴とされた。
司祭の祈りが朗々と響くなか、炎の周りで、男女が手を取り踊りを繰り返していた。
歌は交わらず、炎はそれぞれの顔を赤く染めた。
他の炎を貶めることは、自らの炎を輝かせることではない。一つにすべき炎もあれば、それぞれ分かつべき炎もある。
この変化は確かにロツオンの歩みであった。
◇◇◇
やがて十月、種を播く日が訪れる。
川沿いの農地に人々が集まった。
袋を抱えた農民の手から、小麦の粒が大地に落ちていく。ヴィンダルの男が鍬で土を掘り返し、オルカストの男がそれを均して覆う。
違う血筋の足が、同じ黒土を踏みしめていた。
傍らでは、ヘレナとラズロー・シラジが祈りを唱えた。
二人の声が重なり、大地に金色の微光が沁みるように〈大地祝福〉の魔法が広がった。
群衆は声を発さず、ただ胸の前で指を組み、頭を垂れた。
その場の只中で、若い女が膨らみはじめた腹にそっと手を添えた。
「きっと、この種はこの子の糧になるわ」
――晩夏の焚火の夜、『この子が育つ景色を』と誓った女だった。
周囲では、歌いながら鍬を振るう者もいれば、土に膝をつき微笑む者もいた。
どの顔も陽だまりに似たやわらかさを帯びており、シグルドの胸には一つひとつが守るべきものとして刻まれた。
その光景の只中で、彼の胸に小さな熱が芽生えた。
未来はまだ霞んでいる。
だが、揺れる麦の野を子どもたちが駆ける日が、きっとその先にある。
――その麦畑に街を囲ませよう。
麦の播かれた地に、新たな夢の形が描かれる。




