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ロツオン記  作者: オルデン・ハルト


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第3話 港と測量士

 ベネデクが紹介する人間が現れるまでの間、シグルドは窓の外へ目をやった。


 春の陽光を受け、カルノ川の河口にゼレニカ港が広がっている。水面はきらめき、十を超える船が停泊していた。

 甲板からは荷を下ろす掛け声が響き、ここがザードルフ帝国とシャタズ帝国を結ぶ交易の要衝であることを、否応なく感じさせられた。



 やがて隣室から入ってきたのは、赤金の髪を無造作に束ね、陽に焼けた肌の初老のオルカスト人だった。

 腰の革袋からは真鍮の定規がのぞき、口元には皮肉とも笑みともつかぬ表情が浮かんでいる。

「……あんたが、噂の竜殺しか。面構えは悪くないな。若いのに、土に塗れてきた顔しておる」

「光栄だ。たしかに、楽はしてこなかったと思う」


「タマシュ殿、このたび、シグルド殿はロツオン卿に任ぜられました。然るべき敬意をお払いください」

 ベネデクがタマシュをたしなめて話を戻す。


「ともかく、彼をお雇いくださいますよう。性格にはやや偏りがございますが、仕事には忠実にございます。ただし、酒を与えすぎませぬよう、ご注意くださいませ」

「いい仕事には、いい酒が要るのじゃ」

「ベネデク殿、街の設計の相談もできるか?港も必要になる」


 叙任式の場で、公爵は確かに「港」と言った。それは思いつきではなく、避けられぬ課題として託された言葉に思えた。

 もとより、まだ道すら引かれていないロツオンにとって、港はまず第一に築かれるべき施設だった。


「もちろんでございます。詳しくご説明申し上げます」

 一つの地図を広げつつ、ベネデクが説明する。


「ティサ川の河口は小さな群島に囲まれております。外海は波が荒く港には不向きでございますが、河口は島々が風を遮ってくれます。ただし水深が浅く、大船は通行できませぬ」


 地図の上に、航路候補とされる線が数本、赤い墨で引かれている。だが、島の輪郭はどれも不鮮明で、ティサ川の線も途中で掠れたまま消えていた。未完成の地図そのものが、この地がまだ人の足跡を拒んでいることを示していた。


 シグルドは線の途切れに目を止める。そこには港を築き、街を興す者にのみ与えられる余白があり、同時に潜む危うさがあった。


「……黒竜の存在だけが、あの土地が放置されてきた理由ではない、というわけだな」

「はい。浅瀬、川底の泥、群島の構成――自然のすべてが人の行く手を拒んでまいりました。ただ、整備が進めば、あの一帯は極めて有望な通商拠点となり得ます」


 ベネデクの指が群島のひとつをなぞる。

「島の一つを港の起点とし、浮桟橋で対岸と接続する案もあります。あるいは、街と小舟を行き来させる形も……」

「まずは現地を見てからじゃな。きちんと測っていない地図をもとに話し合っても、良き答えが出るとは思えん」

 定規を指先で弄びながら、タマシュが断言する。


 シグルドが頷き、地図の海岸線をなぞりながら言った。

「そのようにしよう。近日中に出立する。ディボシュ殿にも、ご準備をお願いできますか」

「“殿”は不要じゃ、シグルド卿」

「“卿”呼ばわりも不要だ。……と言ってよいものかわからぬが」


 その言葉のあとに、短い間が生まれた。



 ベネデクはわずかに口元を緩めたが、その笑みはすぐ消え机上の帳面へ視線を移した。


 シグルドは、次の話題に備えて居ずまいを正した。

 時を計ったように若い官僚が帳面を抱えて進み出し、ベネデクに差し出す。

 ベネデクはそれを受け取り、軽く頷いてからシグルドへ向き直った。

「さて、官吏として申し上げねばならぬことが、もう一つございます」


 帳面を開き、頁を繰ってシグルドに示した。そこには幾つもの貴族の紋章が並んでいた。


「新任領主としての登録を完了いたしますには、卿の紋章をお決めいただく必要がございます。ご希望はおありでしょうか。かの黒竜を象ったものはいかがでございましょう。ロツオン卿の武勲を示すにふさわしき意匠かと存じます」


 黒竜を象る意匠は、勝利の証というより、これから幾度となく試される標に映った。

 それでよい、とシグルドは思った。ならば、それを自らの旗とし、掲げて歩もう。



 紋章の意匠が決まる頃、落ちゆく陽が、港を橙に染めていた。


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