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ロツオン記  作者: オルデン・ハルト


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第28話 灯火の交わるところ

 イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年の八月。


 木々の葉擦れの音が高く鳴る季節、夏の名残と秋の気配がロツオンの風に混じり始めていた。


 仮設の執政室には、四人の民会代表の姿があった。加えて農学者ペテル・ナジ、オルカスト教会の司祭ラズロー・シラジ、ヴィンダル教会からはヘレナも今回の民会に出席している。

 また通訳を務める若者が一人、机の端に座っていた。

 蝋燭の淡い光が節くれ立った机を照らし、全員の視線がシグルドへと吸い寄せられた。


 シグルドが立ち上がり、手元の蝋板に目を落とす。


「始めよう。……まず、ペテル・ナジより報告を。川沿い草原地帯の耕作について」


 居ずまいを正した農学者が、笑みとともに答える。

「開墾は順調に進んでおります、予定どおり、小麦の種まきには間に合いましょう。水はけは良好でしてな、問題なく小麦が芽吹くでしょう。種を播いたらラズロー殿やヘレナ殿に〈大地祝福〉の魔法をかけていただく手筈になっております」

 金髪を短く刈った男は、書類を手早く机に並べながら、確信を込めて語った。


「よし」

 シグルドが頷く。



「次に、秋の祝福祭と冬迎えの祭を議題とする。オルカストとヴィンダル、種まきの前に、それぞれの祭りを街全体で共に祝えないか。その可能性を検討したい」


 その言葉に、会議の空気が張り詰めた。



 エリンが、早くも口火を切った。

「私は反対だね」

 民会の紅一点で大工を務めている。黒髪をざっくり結い、腰に木槌を下げている。目が鋭い。彼女はヴィンダルの職人たちを代表していた。

「冬迎えは、うちらの婆ちゃんの、そのずっと先の代から続く祈りの日だよ。仮装も焚き火も、全部に意味がある。オルカストの火に混ぜりゃ、神様の目から何が見えるっていうのさ?」


 隣のジェルジ・ナダシュディが、力強く腕を組んだまま言葉を継いだ。彼はオルカスト人で、大半が職人である同胞を代表している。

「同感だ」

 鍛冶屋らしい煤けた腕には火の痕が残っている。

「火の神を怒らせたら、鉄も折れる。儀式を混ぜるのは、どちらの神にも無礼だ。焚く炎は一つでいいし、芋を捧げるなら、その神に向けてやるべきだ」


「それって、別々にやればいいって話じゃないか?」

 “芋”の一言に腰を浮かせたエリンを、軽く手で制したのはラースだった。ヴィンダル人の農夫で、畑を束ねる役目を負っていた。


「昼にヴィンダルの冬迎え、夜にオルカストの祝福祭。順番にやれば、誰も損をしないだろう」

 彼は大きな手振りで気楽そうに振る舞ったが、その目はどこか慎重に場を見渡していた。


 教会側もすぐに応じた。ラズロー・シラジが椅子から背筋を起こし、きっぱりと告げる。

「教義は神聖にして不可侵。混交は許されません」


 その横で、ヘレナが小さく頷き、落ち着いた声で続ける。

「わたくしも……祭りには、癒しや鎮魂の意味があります。検討してはみましたが、重ねることは、信仰の輪郭を曖昧にしてしまう気がします」


 反対意見が続き、空気が硬直していく。

 矢継ぎ早の声に通訳が追いつかず、短い沈黙が挟まるたび、蝋燭の炎が不安げに揺れた。


 シグルドが口を開いた。

「皆の信仰も伝統も、尊重している。だが、ロツオンが一つの街として歩むには、隔たりを越える試みが要る。民と民が共に在るという証を示していくことが必要なのだ」


「気持ちはわかるけどさ、領主様」

 エリンの声にはシグルドへの敬意が込められてはいたが、その芯は変わらない。

「伝統を捨てて仲良くしようってのは、まっとうじゃないよ。なあ、ベングト」

 視線とともに投げられた言葉は、ごく自然にヴィンダル語へと移っていた。


 彼女の視線を受けて、白い髭を撫でながら古老が呟いた。

「……わしは、意見を求められておらんでな」


「ベングト殿、あなたもこの会議の代表だ」

 シグルドが促すと、ベングトはゆっくりと顔を上げた。


「……ならば言おう」

 それは、土の奥から響くような、年輪を刻んだ声だった。

「言葉が通じぬまま進む話は、魂を置き去りにするものだ」

 シグルドはここで初めて通訳の遅れに気づき、眉間に手をやる。自身の手落ちだった。


「そして言葉が違えば、神の名も変わる。そうなれば、祈りはどこへ届くというのじゃ?」


 ベングトの問いにシグルドは答えることができなかった。


 渦巻く思いは言葉を結ばず、ただ来週に持ち越されることとなり、その日の民会は閉じられた。


 ◇◇◇


 それからの数日間、ロツオンには、どこかわだかまりとぎこちなさが混じっていた。


 エリンは木片を削りながら、神の声なき沈黙を見つめた。


 ジェルジは火の世話をしつつ、その揺らぎに答えを求めた。


 ラースは大地に鍬を入れながら、オルカスト人と言葉を交わした。


 ベングトは焚き火のそばに腰を下ろし、煙の匂いに古き祭りの記憶を呼び起こしていた。


 ◇◇◇


 一週間後。再び集まった民会には、変わらぬ顔ぶれがそろったが、緊張は幾分和らいでいた。


「ベングト殿。……考えを聞かせて欲しい」

 今回はヴィンダル語で、シグルドが丁寧に呼びかけた。


「……冬迎えは、祖霊を迎える祭りじゃ。火も仮装も、そのためのしきたり。オルカストの祭を否定する気はないが、あの世の者たちが望む形とは違うじゃろう」

 ベングトの言葉に、やはり時期尚早であったかと、シグルドが肩を落とす。


 しかしと、ベングトは続けた。


「――じゃが、新しい祭りを生むことはできる。……わしらの火が交わる場所を、この地に作るのは、悪くないと思うぞ、領主殿」

 言葉の調子に、変化があった。


 周囲の空気が揺らぎ、誰かが息を呑む気配が走った。


「それだ!」エリンが思わず笑った。

「なあ、ジェルジ!新しい祭りだよ。それだったら、芋でも麦でも、好きなようにできるさ!」

「……悪くはない。いや、むしろ、その方が筋が通るな」

「じゃあ、新年。新しい年を迎える日を、皆で祝おう。民族も、教会も、言葉も越えて」ラースも笑みを浮かべて提案する。


 ラズローが目を閉じ、ゆっくりと頷く。

「互いの祭は互いに尊重し、新たに、新年を祝うロツオンの祭を定める……よい案です」


「これをもって、民会の一致とする」

 全員の顔を見渡したあとで、シグルドが告げた。


 代表たちは順に頷いた。

 エリンは拳を軽く握り、ラースは微笑をこぼす。ジェルジはわずかに顎を引き、ベングトは目を閉じたまま頬の皺を深くした。


「灯火は、交わり、重なり、きっと……消えずに、強くなることでしょう」

 ヘレナの言葉をもって、その日の民会は閉じられた。


 ◇◇◇


 その夜、ロツオンの空には、早くも冬の星が昇っていた。


 シグルドは仮設の集落の外に立ち、丘の先に広がる未開の地を見渡していた。

 シグルドはそっと手を伸ばす。


 未来の祭――その灯火はまだ輪郭を持たない。


 だが、それを掲げる手と、その想いは、もう確かにここにある。


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