第25話 礎の道(後篇)
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年の七月。
ゼレニカ城下。公国官僚庁の一室。
ゼレニカ-ロツオン街道建設の承認の報せが届くや否や官僚たちは動き出す。
官僚長ベネデク・シャーンドルは若手の官僚たちに向けて、机に大きな書類を広げていた。
「本日より、臨時街道管理局を設けます。これは名ばかりの機関ではございません。公国において初めて、水運を補完する恒久の陸路建設でございます」
ベネデクは机上の書類に目を落とし、ゆっくりと視線を上げた。
「この道は、単にゼレニカとロツオンとを結ぶ道ではありません。その間の幾つもの集落、これらを公国と結ぶためのものでもあります。道を通じて言葉が混じり、風習が往来すれば、いつしか民は“この地に属する”という意識を得るでしょう。そのためにも安定した道が要るのです」
言葉が落ちると、一瞬にして部屋の空気が張りつめた。
若手官僚たちは視線を交わし、互いに無言で頷き合う者もいた。
若者たちの反応を受け止め、ベネデクは静かに息を継ぐ。
「それは、我々が公国としてこの地を治めるという、確かな証にもなりましょう。いわば公国の歴史に新たな章を刻む仕事、それが、諸君の任でございます」
口調は低く落ち着いたものだったが、言葉には明らかな熱が込められていた。
「街道造りの専門家を本国より招聘します。人夫はゼレニカ及びその周辺から集めます。魔法使いも配備済み。空中からの測量には、〈飛行〉魔法の他、〈空飛ぶ絨毯〉や〈空飛ぶ靴〉などを併用。経路調査には冒険者の協力も仰ぎます。地形に加え、怪物の出没や遺跡なども検分の対象といたします」
若者たちの顔に、緊張と高揚が交錯する。
ベネデクは一人ひとりの目を見て、力強く言葉を締めた。
「諸君の精励を期待します」
◇◇◇
ゼレニカ東方。草原と林が入り交じる谷あいでは、街道の第一区画の建設が始まっていた。
土を掘り、石を敷き詰め、石灰と砂利と水を混ぜたものをその上に敷き固め、更に石を敷き詰める。
職人たちはギルド間での契約に基づき、交代で現場に入っていた。
その日の昼、陽は高く空は澄んでいた。
だが、現場の空気には張り詰めたものがあった。
木陰での休憩中、声を荒げる者たちがいる。
「そちら、掘りが浅いぞ!これでは勾配が狂う!」
声を張ったのはオルカスト人の石工。
「俺は、小さく、掘ってよい、と聞いて……そうだろ?」
応じるのはヴィンダル人の若い労働者。言葉はどちらもオルカスト語だが、若者の口調にはぎこちなさがあった。
若者は顔を上げかけて、すぐに伏せた。唇が小さく動いたが、声にはならなかった。
それを見届けたオルカスト人の石工が唾を吐き捨てて顔を上げると、ヴィンダル人たちがこちらを睨んでいた。石工はとっさに手近にある鋤を掴み、振り上げた。
それを合図として、周囲のオルカスト人もヴィンダル人も同時に立ち上がり、互いに腰や脇にある道具へと手をかける。
鳥が鳴き、羽音が消えたあとも、沈黙は破られなかった。
そこへ、ベネデクが馬で駆けつけた。
ベネデクが下馬すると、その場にいた誰もが道具を置き、息を呑んで彼の言葉を待った。
「争いがあったと伺いました」
誰もが視線を伏せる。だが、ベネデクは咎めなかった。
代わりに、足元の土を指差し、皆の目を促す。
「ここに築かれるのは、道でございます」
声は大きくはなかったが、風のない空に深く届いた。
「道とは、すべての者が歩くものです。オルカスト人も、ヴィンダル人も。そして、これからこの地で生まれる者たちも――」
雲が流れ、陽が地をやさしく照らした。
「そして歩むたびに、誰もがその道を築いた者に思いを馳せ、感謝を抱くことでしょう。皆さんの労こそが、その道を形づくるのです」
ベネデクは一拍置き、今度はヴィンダル語で同じ言葉を繰り返した。
滑らかではなかったが、丁寧に紡がれた言葉は確かに人々の胸に届いた。オルカスト人がこのように語りかける光景は、多くのヴィンダル人にとって初めてのことだった。
人々の表情が、わずかに和らいだ。
一人の石工が、ゆっくりと帽子を取る。
ヴィンダル人の若者も、黙ってそれに倣った。
作業は、何事もなかったかのように再開された。
◇◇◇
一方その頃、ロツオンの広場にようやく街道敷設承認の報が到着した。
「街道建設、正式に承認されたとの報せです!」
シグルドはわずかに目を細め、広場を見渡した。人々の表情には安堵と期待が入り混じり、若者たちは早くも未来の話を始めていた。
広場の上空、青の十字と黒竜の旗が、夏の風に静かにたなびいている。
ベネデク・シャーンドルはその報告書の末尾に、こう記した。
『――この道は、やがて国の大動脈たるべし。
一つの石が、百の足音を導き、万の命を結ぶ礎とならん。
我ら、この意味を忘るることなかれ』




