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ロツオン記  作者: オルデン・ハルト


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第17話 旗と芋と夜の声(後篇)

 新たに移り住んだ人々の営みが十日を数え、新しい季節の息吹とともに街の色を変えつつあった。

 その夕暮れ、石壁の向こうに焚き火の灯が揺れた。



 茹でた芋の匂いが、冷えた夜気にほのかに漂う中、灰色の衣に身を包んだヴィンダル人たちが、一人、また一人と集まり、火のまわりに腰を下ろしてゆく。


 〈灰色の宴〉、ヴィンダルの祭。じゃがいもの収穫への感謝と、死者への祈りが、夜を満たす。

 灰衣の人々は、塩も香草も用いぬ芋を黙って食し、煙とともに祈りを昇らせる。


 シグルドは、輪の向こう、ヘレナとエリクが、芋を口に運ぶ姿を見つめていた。

 彼はその様子を目で追いながら、焚き火に手を伸ばしかけ、指先を宙で止めた。

 炎に触れれば、それはヴィンダルにのみ肩入れする証になる。それ以上、動けなかった。


 フェレンツとメルタも、輪の少し外、木陰に寄り添って、それを見守っていた。



 厳粛な空気は、いともたやすく破られた。


「なあ、あれ……見てみろよ。“芋食い”たちがそろって芋食ってやがる」


 暗がりの奥から声を上げたのは、若いオルカスト人だった。

 その言葉に、数人の笑い声が続いた――低く、耳にざらつく笑いだった。



 “芋食い”。


 オルカストの征服以前、農耕技術に乏しかった時代、麦ではなく主に芋を食べていたヴィンダル人を侮る蔑称。



 笑いは長くは続かなかった。


 暗がりから、フェレンツが歩み出ていた。

 その端正な顔に宿ったものに、笑った者たちは思わず息を呑んだ。


「俺は、オルカストの聖騎士だ。だがこれまで何度も、ヴィンダルの神の癒しに、命を救われてきた」

 火のはぜる音が戻るまで、誰も次の言葉を持たなかった。


「この中にもいるだろう。すでにヘレナに、助けられた奴が。――芋を、笑うな。それは、命だったんだ」


 輪の中のヘレナが、膝の上で手を組み、若者たちをじっと見つめていた。


 やがて、輪の外にいた若者の一人がぽつりと呟いた。「……悪かった」


 フェレンツは視線を保ったまま、輪の外へ退いた。影の若者たちは、足音を一つ二つ残し、闇へ消えた。


 その先に残っていたのは、ただ火と人々だけだった。

 風に煽られた炎が顔を照らすたび、人々の瞳に映る色も揺れ動いた。


 火花が夜空に跳ね、その光は人々の輪を照らし続けた。


 ◇◇◇


 夜の深まりとともに、〈灰色の宴〉は第二部へと移ってゆく。


 子どもたちの声が戻り、湯気が笑い声に紛れて立ちのぼる。

 大鍋に芋と肉と香草が次々と放り込まれ、白い湯気とともに、夜気が、肉と香草の匂いに染め替えられていった。

 それは〈生還のシチュー〉――祈りから始まった宴が、命を分かち合う祝祭へと変わる合図だった。


 その祈りを、フェレンツは燃え残りが灰に変わるまで輪の外に立ち続け、見守った。

 祭りの途中で、シグルドの姿が見えなくなったことに、彼も気づいていた。


 ◇◇◇


 ひっそりとした街路に、シグルドの靴底が土を押し固める音だけが続いた。


 〈常光〉の街灯が、闇の中に彼の影を引き伸ばしていた。


「迷ってるの?」


 その声に、シグルドは足を止め、ゆっくりと振り返った。メルタが、そこにいた。


「あんたが、立ち止まることは許されない。でも――」


 彼女は、祭りの方角を見やった。


「あたしたちの火は、ちゃんと燃え続けた。でも、あいつらが引き下がったのは、フェレンツに気圧されたからだけじゃない。……なんだか、火の向こうで、同じ光を見ていた気がした」


 シグルドは答えなかった。

 ただ、顔を上げ光を辿った。


 メルタもまた、彼の視線の先を見つめた。


 その先――まだ整わぬ街路の果てに、淡く光に浮かぶ旗があった。

 闇に抗い、風に翻りながら、黒き竜は確かにそこにあった。


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