第13話 ゼレニカにて――オルカスト教会
イシュトヴァーン・ザードルフィ皇帝の御世三十一年の六月。
アルマーディ公国首都ゼレニカには、初夏の潮風が吹き込み、街路を抜け、人々の衣を揺らしていた。
その風を受けながら、シグルドとヘレナはヴィンダル教会の司祭服に身を包み、石畳の通りを歩む。
今日は、異なる信仰が交わる地に均衡を築く初めの日だった。ヴィンダルとオルカスト、二つの教会を並び立たせるだけでは足りぬ――秩序そのものを築かねばならない、と胸に刻んでいた。
やがて遠方にゼレニカ城の威容が見え始め、さらに進むと、街の中心にそびえる六角の塔が視界に入った。
本日の彼らの目的地――オルカスト教会である。
教会は重厚な十字の形を成し、中央に六角五層の尖塔がそびえていた。窓や入口の整然とした造作は、信仰の威光を示すかのようであった。
門番に名を告げると、事前に話が通っていたため、すぐに中へ案内された。
彼らの装束に気づいた数名のオルカスト信徒が一瞬驚いたように目を見開いたが、誰も声を上げることはなかった。
二人は尖塔の二階、司祭室へと案内される。
◇◇◇
「ロツオン卿に任ぜられたシグルドと申します。本日は、我が地にオルカスト教会を招致したく、参上いたしました」
そう口を開きながら、シグルドは対面する人物の目を探った。
金の刺繍を施した法衣に身を包み、年齢を感じさせぬ背筋を保つ姿は、まるで場そのものを支える柱のようであった。
ゼレニカの司祭長、カール・カストリム。その声は低く、落ち着いた響きを持っていた。
「素晴らしいお考えです。新たな街にて、民の魂を導く場を――ふむ、ヴィンダル教会については、どのようにお考えですかな?」
その厳格な面差しにかすかな緊張を覚えつつ、シグルドは言葉を続けた。
「ロツオンをヴィンダル人だけの街とは考えておりません。農耕から交易まで、オルカスト人に頼るところも大だと考えております。つまりオルカスト教会もヴィンダル教会も必要だ、と」
その言葉に、カストリムの眉間にわずかな皺が寄った。彼はすぐには言葉を発せず、机上の書類に視線を落とす。
やがて、問いを一つひとつ重ねていった。
まず、両教会に割り当てる土地は定めてあるのかと。「広場に向かい合う形で同じ広さの土地を用意する」との答えを得ると、さらに街の将来像を問う。どのような街を思い描くのか、と。
問いは、鋭さよりも緻密さで編み上げられていた。果ては、民の祭礼や儀式におけるオルカストとヴィンダルの優先順位まで言及する。
シグルドはためらわず「土地と同じく、どちらも優先しない」と返す。
その答えに、カストリムはわずかに口元を緩め、提案へと転じた。
「それならばシグルド卿の御心に沿うため、教会を――オルカストの民の誇りとなるような見事な教会を建立して差し上げましょう。そしてロツオンには、まだまだ人手が要るはず。我が教会より、民を護る手勢を十名、差し向けることも可能ですが?」
壮麗な教会に、頼れる十名の守り手。昼夜を問わず門を守り、巡回に立つ姿が目に浮かぶ。しかし、民の忠誠の矛先がオルカスト教会に向けられるやもしれぬ。
その利と危うさに、手を伸ばすべきか、否か――。
その時、隣に腰掛けていたヘレナの呟きが、シグルドに冷水を浴びせた。
「ただの恵み、隠れし棘あり……」
数日前、建築費を精査する中で確認した宗派に等しく便宜をという原則が脳裏をよぎる。その原則を崩せば、軋轢が生じるのは必定だ。
深く一礼すると、シグルドは慎重に言葉を紡いだ。
「司祭長殿、ありがたいお申し出ではございますが……教会の建築費は、領主たる私どもにて負担いたします。設計や意匠については、貴教の宗意にお任せいたします。ただし、その費用は、金貨千枚を超えぬ範囲でお願い申し上げます。寄進も、兵も、そのご厚意、心より感謝いたします。ただ、いずれもお控えいただけますよう」
シグルドの目が、まっすぐにカストリムを射抜く。
カストリムの顔に、一瞬の陰が走った。
だが次の瞬間、その瞳には理を認める光が宿っていた。
やがて頷いた。
「……差し出がましいことを申しました。貴殿のご見識、よく理解いたしました。その条件にてお受けいたしましょう。司祭の派遣についても、速やかに手配いたします」
そう語ったカストリムの声には、名残の余韻とともに、わずかな敬意が滲んでいた。
沈黙が流れたのち、カストリムは視線を上げ、まっすぐにシグルドを見据える。
「聖なる礎を築かんとする志に、我ら祈りを重ねましょう。ロツオンにて、導きの光と秩序の守りが共にあらんことを」
それは儀礼であり、祝福であり、同時に無言で交わされた誓約でもあった。言い切ると、カストリムはゆっくりと首を垂れた。まるで、それ以上の言葉は無用であるかのように。
シグルドもヘレナとともに深々と頭を下げ、辞去した。
◇◇◇
扉を抜けた途端、街のざわめきと車輪の軋む音が押し寄せた。教会の中で感じていた敬虔な空気が、急に遠い別世界のものに思えた。
通りに出て角を曲がったところで、シグルドはこらえきれず息を吐いた。
「……もし、あの申し出を受けていたら、どうなっていたと思う?」
「どうでしょう……。より良き未来がもたらされたかもしれません。でも――」
ちょうどその時、背後の六角の尖塔から鐘の音が鳴り始めた。
その響きに引き寄せられるように、シグルドは振り返った。
夕陽を背にした塔の影が、シグルドたちを覆うように伸びていた。




