第10話 ゼレニカにて――道を拓く者たち(後篇)
一方、〈転移〉を終えたシグルドとタマシュは、初夏の陽が白く照り返す中、ゼレニカの官僚庁へと向かっていた。
官僚長ベネデク・シャーンドルを訪ねる。
「ゼレニカとロツオンを結ぶ街道の敷設計画でございますか?」
「そうだ。粗くても構わない。試算をお願いしたい」
シグルドの依頼に、ベネデクは一瞬だけ視線を伏せた。
やがて、穏やかな笑みを浮かべると、机の上から一束の羊皮紙を差し出した。
そこには、詳細な街道敷設計画が記されていた。
予想工期は三年。総費用は――金貨十五万枚。
「これは……?」
「実は、公爵閣下のご下命により、あらかじめ試算を整えておりました」
イムレ・アルマーディ公爵――。
なるほど、あの御方はすでに先んじてそこまで考えていたということか。
「……となると、この計画はもう動き出していると?」
「恐縮ですが、まだ動き出しているとは言えませぬ。なにぶん、費用も期間も桁外れでございますから」
自分が動かずとも、既に街道敷設が動き出しているかもしれないという淡い期待は、あっけなく否定された。
献じた黒竜の財宝――金貨十万枚。その重さをもってすれば街道敷設も手が届くはずだとも、どこかで信じていた。だが、十五万枚という数字が、その思いを無惨に押し潰した。
それでも、ロツオンに街道は必要なものだという考えに、揺らぎはなかった。
「ベネデク殿。閣下にお会いする機会をいただけるだろうか。正式に、街道敷設のお願いを申し上げたい」
「承知いたしました。明日の昼過ぎに謁見できるよう、こちらで取り計らいましょう」
――公爵は、自分の出方を待っているのかもしれない。
そんな思いを抱えながら、シグルドはベネデクのもとを辞去した。
◇◇◇
官僚庁での打ち合わせを終えた二人は、次の手を打つべく、ゼレニカでもっとも賑わう場所――商人街へと足を向けた。
交易商の並ぶ一角。訪ねたのは、旧知の商人、マルトン・バラシャだった。
「おお、これはこれは……!いや、いまやロツオン様ですな」
マルトンは、恰幅の良い体を揺すり、朗らかな笑みを浮かべて迎えた。
シグルドもまた笑顔で挨拶を返す。
「マルトン殿、入植者をロツオンへ運ぶ船を用意して欲しい。人数は未定だが、三、四百名は集めたいと考えている」
「承知しました。物資の搬送と合わせて調整いたしましょう」
「食料、建材、衣類、農具、工具、家畜……必要な物資を洗い出して、費用を算出して欲しい」
マルトンの眉がわずかに跳ねた。数百人分の生活必需品と建設資材――自分の商会だけでは手に負えぬ規模だった。
「街の設計については、こちらのタマシュに聞いてくれ。建材の調達も含めて任せたい」
マルトンは、しばしシグルドの言葉を無言のまま咀嚼した。商人としての本能が目の前の巨大な商機と、それに伴う労力とを秤にかけていた。
やがて、いつもの朗らかな笑みは消え、商人の顔がのぞいた。
マルトンは部下を呼び、手際よく帳簿と書類を広げさせた。
「いやはや、これほどの大事業ともなれば、我が商会の力のみでは賄いきれませぬ。信を置ける商会へ声をかけてもよろしいですかな?」
「マルトン殿の目利きと繋がりを信じる。よろしく頼む」
タマシュが持ち込んだ書付をもとに、マルトンは帳簿へ必要な建材を書き入れていった。シグルドも身を乗り出し、共に算段を確かめた。明日の謁見に備え、その裏付けを持たねばならなかった。
店を出るころには、長い初夏の日もすっかり落ちていた。
夜風が海の匂いを運び、その中に笛の音と笑い声が混じっていた。
「もう数字が頭からこぼれ落ちそうじゃわい。早く酒を飲まんとやってられん」
タマシュが愚痴をこぼす。酒を口にするためなら、タマシュはいくらでも理由をひねり出す――シグルドはいつも苦笑させられる。
「明日は、公爵閣下への陳情だ。悪いが、あまり飲みすぎないでくれよ」
「ふん」と鼻を鳴らし、大股で歩き出すタマシュに、シグルドは肩をすくめて苦笑した。
やがて、タマシュがふと立ち止まり、真剣な眼差しで口を開いた。
「……全部がうまくいくとは思うなよ、坊主」
「わかっている。できないことはできない。だから、できることを全うするだけだ」
「たまには教会の坊主みたいなことを言うんじゃな」
「こう見えて、本物の教会の坊主でもあるんだよ」
笑い混じりの言葉を交わしながら、二人の影は、夜のざわめきの中へと溶け込んでいった。




