17 領主サイド【後編】
「何事だ」
「穢れ山ダンジョンの中で何かあったようです」
緊急の事態が起きているらしく、冒険者達が情報を共有すべく街中を走り回っている。周知された内容によると、浅層で急激に魔物が増え始めたのだとか。
「スタンピードか?」
「その兆候もあるようですが、どうも様子が変ですね」
領主は直接確かめに行こうかと考えたが、側近に止められた。連れて来た正規軍に情報収集をさせているのだから、大将はここで大人しく指揮を執って下さい、と。
「ええい、もどかしいな」
「貴方に万が一の事があれば、ハイスークの全ての民が打撃を受けると考えてください」
「それを言われるとな……」
精鋭の正規軍付きとは言え、領主自ら穢れ山ダンジョンに遠征して来て、イレギュラーダンジョンの作った街に滞在しているという事自体、かなり譲歩されているのだ。
領主は仕方なくこの場に留まると、逐次届けられる情報を騎士隊の参謀達も交えて解析し、対策を練っていく。
「ダンジョン同士の喰い合いが始まったのでしょうか?」
「かもなぁ。穢れ山の瘴気が増えてるって?」
「ハッ、深層並の濃い瘴気が風のように噴き上がってきているとの事です」
伝令から現在のダンジョンの様子について報告を受けた領主達は、遂にダンジョン同士の戦いが始まったのかと推察する。
この街の快適な環境のおかげで万全に動ける冒険者の数が多かった効果か、浅層で発生した小規模なスタンピードは殆ど被害も出さず、未熟な若い冒険者達は無事脱出しているとの事。
そして魔物がダンジョンの外に出てくる兆候である瘴気の広がりに関しては、どうやらこちらの街が全て吸収しているらしく、穢れ山の範囲以上に広がらないようだ。
「報告します! 現在、穢れ山ダンジョンの出入り口が封鎖され、中に数人の冒険者が閉じ込められているようです!」
「出入り口の封鎖だって?」
「……ダンジョンの動作として、記録にはありますね」
側近が少し思い出すような仕草で間を置くと、ダンジョンに関する古い記録の中には、そういう動きをしたダンジョンが存在した例を挙げた。
「ふーむ。穢れ山ダンジョンに今までそのような動きは?」
「私が記憶している限り、ありませんね」
穢れ山ダンジョンに見られる特徴――他のダンジョンと違うところといえば、最初は中腹にあった出入り口が麓に変わり、中の迷宮も別物になったという経緯を持っている事くらいか。
「という事は、また出入り口が変わって中身が変化しようとしているのか?」
「その可能性も考えられます」
もし出入り口が頂上に変更になったりすれば、地味に出入りが大変そうだと冗談めかす。
伝令からの報告は続く。
「封鎖された出入り口はこちら側? のダンジョンによる石柱の水流攻撃で開放! 閉じ込められていた冒険者の救出に成功しました!」
「出入り口から高濃度の瘴気があふれ、下層から上がって来たと思われる上位個体の魔物が出現! 現在、こちら側? のダンジョンによる石柱と交戦中です!」
同じところで詰まる報告内容に、領主は「そういえばイレギュラーダンジョンの呼び方をちゃんと決めていなかったな」と苦笑いを浮かべる。
「言い難いなら『味方のダンジョン』で呼称を統一しろ。で、上位個体の魔物の特徴は?」
「ハッ 牛のような頭を持つ巨体の怪物でした」
「牛頭か……ミノタウロスだな」
昔の仲間達と討伐した経験を持つ領主は、中層のボスクラスの魔物が地上に出て来たのならと、正規軍を差し向ける事を視野に入れるも、次に駆け込んできた伝令の報告で討伐を知らされた。
ミノタウロスの大きな魔石も拾ってきたらしく、証拠として提示される。
「出入り口周辺は石柵に囲われ、正面に罠の石柱が立ち、現在睨み合いが続いています」
今のところ新たな魔物が出てくる気配は無く、噴き出していた高濃度の瘴気も止まっているという。膠着状態に入ったのかと思われたその時、地の底から響くような轟音と共に街が揺れた。
「地震か!?」
「今の音は?」
ビリビリと空気をも震わせる地響きの後、街の気配が一瞬変わった。
「いま一瞬、街が膨らんだみたいな感じがしたか?」
「しましたね。ダンジョンの喰い合いに、決着がついたのかもしれません」
ダンジョン同士の戦いに居合わせた事がある冒険者は、これまでの歴史の中で少なからず存在する。
彼らの証言は、ダンジョンに関する貴重な資料として各国に公式な記録が残されていた。
そして、いずれの証言にも共通している内容に『ダンジョンが膨張するような感覚』というものがあった。
「どっちかが喰われたって事だよな?」
「そうなりますね……」
喰い合いが起きたダンジョンは、最終的に双方の迷宮部分がつながって一回り大きなダンジョンとなり、その後は通常の動きに戻るが、勝った方のダンジョンの傾向がより強く出るという。
ここで心配なのは、もしイレギュラーダンジョン側が勝っていた場合、穢れ山ダンジョンはどうなるのか。逆に穢れ山ダンジョン側が勝っていた場合、この街や長大な異界化街道はどうなるのか。
穢れ山ダンジョンの恩恵がなくなるのは困る。が、このイレギュラーダンジョンの全域に穢れ山の魔物が湧くようになってはもっと困る。まさに未曽有の危機だ。
一応、懸念事項として想定はしていたことなので対策案も考えてはいたのだが、どこまで有効かは分からない。
「というか、対策案の片方は効果があったのか確かめる間もなかったな」
「実際にどのくらいの期間で決着がつくのか、ハッキリした資料がありませんでしたからね」
イレギュラーダンジョン側への対策は手紙の投函。
集金穴に要望を書いた領主の手紙を放り込んで様子を見るというものだったが、今のところ特に反応はないので、読まれているかどうかも分からない。
が、この街に店舗を持つ商人達は、実際にその方法でダンジョン側に要望を伝えているらしく、通れば施設の中に設備が現れるなど、反映されると聞く。
領主が出した要望は、穢れ山ダンジョンを侵食した場合でも、資源採掘の為に迷宮部分は残しておいて欲しいというもの。
魔物から採れる魔石をはじめ、ダンジョンでしか採取・採掘できない魔草類や魔鉱石は、この国の発展と維持になくてはならない。
もう片方の対策は、穢れ山ダンジョンの下層に騎士隊の精鋭を送り込み、喰い合いが始まったら最下層を目指して圧力を掛け、イレギュラーダンジョンを援護するというもの。
こちらはダンジョン同士の戦いがいつ始まるのか分からないので、長く下層に滞在する事になる。交代要員も準備して定期的に入れ替えが必要。
高ランク冒険者のふりをした騎士達に結構な負担が掛かっている。
いずれにしてもイレギュラーダンジョン側に勝ってもらいたいのは、地上の異界化した領域が全て迷宮の危険地帯となり、ハイスーク領が常時スタンピード状態に陥るのを回避したいからだ。
街の気配が変わったあの轟音と揺れからしばらく経った頃、ようやく領主の配下達からの第一報が届いた。
「っ! そうか、イレギュラーダンジョン側が勝ったか」
「それで、穢れ山ダンジョンの様子はどうですか? 下層の部隊は?」
「ハッ 下層に降りていた部隊は全員、転移陣で帰還いたしました」
彼らからの報告によれば、魔物の発生は止まっているものの、階層転移陣などは稼働しており、ダンジョン崩壊の兆しはないそうだ。
そして『味方のダンジョン』からは、これから穢れ山に大規模な地形変化を起こすので、離れておくように警告が出されているという。
「山の方を弄るのか……地下迷宮が無事ならそれで構わんが」
「こちらの要望が届いていたのか、元から地下迷宮には手を付けないつもりだったのか……」
そうこうしている間に、何度か地響きのような音がして街中を振動が駆け抜け、穢れ山の聳える方向からは人々の歓声のようなざわめきが上がっていた。
「領主様!」
「おお、皆よく戻ったな」
下層に潜らせていた、冒険者に偽装した騎士隊も戻って来たのだが、彼らは無事の帰還を労う領主に騎士の礼をとると、それ以上に報告すべきことがあると訴える。
「穢れ山が、巨大な建物に変化しております!」
「とにかく、一度ご覧になって下さい!」
その剣幕に側近や参謀達と顔を見合わせた領主は、それじゃあ見に行くかと代官屋敷の別棟を出発。
大通りに出たところで既にその姿が目に飛び込んできた。通りに居る街の人々も、それを指差し驚いている。
「あれは――」
穢れ山があった場所には、等間隔に側防塔が並ぶ高い防壁が段状に何層も連なり、麓から中腹を越えた辺りまではジグザグに折り返す事で勾配を抑えた、広い蛇行道が続いている。
そして中腹から頂上付近には、幾つもの尖塔が映える美しい巨大な城が聳え立っていた。
「城が建っとる……」
呆然と呟いた領主は我に返ると、護衛の騎士達と共にその城に向かった。
穢れ山ダンジョンの出入り口があった麓には、自然の洞窟風だった穴が消えて、代わりに巨大な石造りの門扉が設置されていた。
出入り口に向かう道も広く整備され、両側には衛兵の詰め所や簡易診療所のような施設が並ぶ。
「と、とりあえずダンジョン内の様子は冒険者達に聞こう。俺達は上の城を見に行くぞ」
「そ、そうですね。城の中がどうなっているのか、確認に行きましょう」
流石に領主も側近も動揺を隠せずにいた。領主達一行の馬車と騎馬隊は、長い蛇行道を上って行き、途中に聳える側防塔付きの防壁を見上げては感嘆する。
無人なので当然、見張りや哨戒の兵士などは居ないのだが、いかにも難攻不落の城塞といった雰囲気がひしひし伝わってくる。
ここに自領の兵を置き、ハイスークの軍旗が翻る光景を想像すると、なんとも言えない高揚感に包まれるようだ。
やがて頂上の巨城前に到着。城壁も高く、道中の側防塔が連なる武骨な防壁と比べてスマートな外観になっている。そしてこれまた立派な金属製の絢爛な城門が聳え立っていた。
開かれた城門を潜ると、広い庭園と白い石畳の道が、奥の巨城の玄関前まで続いている。
玄関前は大きな噴水を中心にしたロータリーになっており、馬車の乗降口として雨除けや日除けになる庇が突き出ていた。
「む? ここはどうなっているんだ?」
「エントランスのようですが……通路が見えませんね」
乗降口から建物内に入ってみたが、そこは円形の広い空間になっており、行き止まりだった。
壁にはもはや当たり前のように魔鉱石の照明が等間隔に並んでいる。天井はドーム状になっていて、そこには巨大なシャンデリアが明かりを放っていた。
もしやここまでしか作られてないのだろうかと訝しみつつ、広い空間の真ん中まで歩いていくと、床に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「これはっ!?」
「て、転移陣ですっ 階層移動用の!」
穢れ山ダンジョンの下層に滞在する任務に就いていた騎士達が、つい先ほども地上に戻る時に利用した転移陣と同じ紋様である事を告げた。
次の瞬間、領主一行は一階の乗降口エントランスから城の二階エントランスに移動していた。
「中に入るのに転移陣を使うのか!」
「そ、そういえば、ここもダンジョンの領域内でしたね」
今はイレギュラーダンジョンの領域内であり、表の『冒険者の街』と同じく、ダンジョンの仕掛けを惜しみなく生活環境の向上に利用している。
この城の場合は、セキュリティの向上という目的で城の内と外の出入りに転移陣を使っていた。
それから、領主達は城の中をくまなく探索して回った。広過ぎてこの日の内に全ては回りきれなかったが、概ね城の中身の概要は把握した。
重要な区画は転移陣での移動が基本になっており、重要な区画でなくても長い距離を移動する場合、要所要所に移動用の転移陣が設けられている。どこに移動するのかの案内板付きで。
カーテンや寝具などの内装は殆ど無く、テーブルや椅子、クローゼットなどの家具でも簡単な物だけ、各部屋の体裁を整える程度に揃っている。
これらは下の街の宿泊施設と同じく、ここの住人が後から整えていくのだろう。
「引っ越すぞ」
「は?」
「こっちを我がハイスーク領の首都とする」
「!?」
これには、領主の無茶ぶりに慣れている側近も流石に言葉を失う。
「無茶言わんでくださいよっ」
「いや、今回ばかりは無茶でもないぞ? むしろそうしない方が面倒な事になるまである」
領主は、ここまで次元の違う環境を整えられた以上、厄介な状況になる前に全てを固めておいた方が良いと主張した。
下手に王都に知られると、王室周りで領地を持ってない上流貴族――それも侯爵や公爵あたりが所領を主張したり譲渡を申し付けてくるに決まっている。
「ダンジョンの所有は引き続き認めるから、上の街や城は寄越せってな」
「いや、流石にそれは……――」
無いとは言い切れない側近。実際、今までにも穢れ山ダンジョンの利益を得ようと、様々な画策がなされてきた。
穢れ山ダンジョンの近くに冒険者の拠点を作るという事業が、王家周りの上流貴族出資で半ば強引に行われた事もある。
そちらは周辺の魔獣による襲撃や、度重なる局地的スタンピードで悉く失敗に終わっていたが。
「王都にここの詳細が届く前に、領都ハイスークの遷都を宣言する。我々の領内で動くだけだから、何も問題はない」
「ダンジョンのあった場所に領都を移すなんて、『王都の真似事か』とか、嫌味を言われそうですけどね」
「はっはっは」
絶対言うだろうけど言わせておけと領主は笑う。
「それから、このイレギュラーダンジョンの本体がある西端の森の保護だ。他所に悟られないように、うちの軍を送って防備を固める。やる事は多いぞ」
ハイスークの領主は、そう言って側近や部下の騎士達を鼓舞するのだった。