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第97話「風に舞う三つの扇」〜えらびの町の奇妙な客引き〜

 夕暮れのことのは堂。障子をすかして射す光が、床の畳を朱く染めている。

「高道どの、高道どの!」

 威勢のいい声と共に、ひらりと舞い込んできたのは一振りの扇。いや、ただの扇ではない。長年舞台や宴席で人に使われた結果、魂を宿した付喪神の扇子であった。


「どうしたんですか、扇子殿。今日は風流にでも誘いに来たのですか?」

「いやいや、困っておるのじゃ。わし、どうにも“売れぬ”のだ」

 白木の骨組みに絢爛な金地。立派な見た目のわりに、扇子はしょんぼりしている。


「売れないとは、どういうことですか?」

「舞台小物の市で並んでも、誰もわしを選んでくれんのだ。横に竹の安物が置かれておるし、さらに隣には梅のように安っぽい扇もある。そやつらばかり売れて、わしは残るばかりで……」

 肩を落とす(落とす部分がないのに器用に落とした)扇子に、高道は顎に手を当てる。


「なるほど……それは“松竹梅(しょうちくばい)の法則”が働いているのですね」

「しょうちく……なんじゃ?」

「人は三つの選択肢があると、真ん中を選びやすい傾向があるのです。松・竹・梅と並べば、松は高価すぎると敬遠され、梅は安すぎて頼りなく見える。その結果、無難な竹が選ばれるのです。おぬしが“松”の位置にあるからこそ、なかなか売れないのでしょう」


「なるほど! つまり、わしは高嶺の花すぎたか!」

「……まあ、そんなところですかね」


 そのとき、ことのは堂の戸をガラリと開けて入ってきたのは、近所でも評判の冷やし飴売りの婆さんだった。


「おや、商売の話かい? なら、うちの孫が言っとったよ。“一番高ぇのは手が出んし、一番安ぇのは恥ずかしい。だから真ん中を選ぶのさ”って」

 扇子はカッと開いて叫ぶ。

「な、なんと! 人間とは見栄っ張りな!」

「婆さん、良いところを突いてくださいましたね」高道はニヤリと笑った。


 ところが、転機は思わぬところから訪れる。

 通りを歩いていた、近所の悪ガキ三人組の一人が、堂に顔を突っ込んだのだ。

「おい!笑 高い扇子持ってるやつって、すげぇカッコいいぜ!笑」


 ただの冷やかし半分の言葉。しかし、その音は扇子の心にまるで雷鳴のように響き渡った。

 これまで「高すぎる」「手が出ない」と避けられ続けた日々。人々が隣の竹や梅を笑顔で手に取るたびに、自分の存在は重く、無用の長物のように感じられていた。誇り高く作られたはずの金地も、輝くどころかむしろ人の目を遠ざける鎖になっているようで――心の奥では、誰にも必要とされないのではないかという不安に苛まれていた。


 だが、その一言は鎖を断ち切った。

「高い扇子はカッコいい」――軽口にすぎぬはずが、長年胸に積もった寂しさに真っ直ぐ突き刺さる。

 価値を否定され続けた存在が、初めて“高価であるがゆえに認められる”と肯定されたのだ。


「そ、そうか!」扇子は震えながら叫ぶ。

 これは自分の待ち望んでいた言葉だ。高嶺の松を選ぶ者は、真に粋で勇気ある人間。その選択に値するのが自分だと、心が熱に浮かされたように確信してしまう。


 金地がひときわ輝き、興奮に呼応するように風がぶわっと吹き込む。

 高道は細めた目でその様子を見つめ、深いため息をもらした。

「……ああ、そう解釈してしまったのですね」



 翌日。市の並びで、扇子は自ら声を張り上げる。

「諸君、竹や梅も悪くはない! されど! 粋なる者は松を選ぶものぞ!」

 派手すぎる客引きに人々は笑い、「あの扇子、面白ぇ」と物珍しさで買っていく者が続出。

 気付けば、竹や梅を差し置いて扇子は大人気となっていた。


 ことのは堂に戻った扇子は、胸(胸骨もないが)を張って言う。

「高道どの! わし、売れたぞ! 選ばれたのだ!」

「いやはや、法則の解説をしただけのつもりでしたが……まさか悪ガキの一言で流れが変わるとは思いませんでした」

「人間の心とは、風と同じ。どこに吹くかは、誰にも読めぬのじゃな」


 高道は思わず笑い声をあげた。

「そういう境地に至ったのなら、あなたはもう“ただの扇子”ではありませんね。これからは“選ばれし扇子”として胸を張るといいでしょう」

「うむ! 胸はないが、胸を張ろう!」

 二人の笑い声が、夕暮れのことのは堂にいつまでも響いていた。

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