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第94話「根付けひとつで大騒動 」〜奇妙な客人〜

「たかみちや、たかみち。ちょいと見てみろ、この渋さ!」

ことのは堂の障子をするりと開けて入ってきたのは――妖怪の親玉、ぬらりひょんであった。

長い煙管をくゆらせながら、懐から取り出したのは、小さな象牙の根付け。唐草模様に龍が刻まれ、つややかな飴色に輝いている。

「いやぁ、これは滅多に手に入らぬ品でのう。町の衆に見せびらかしたら、誰もが羨むこと間違いなしじゃ!」

その横で、ことのは堂の棚から声が上がった。

「ちょ、ちょっと待った! わしのことか、それは!」

声の主は、まさしくその根付けの付喪神。長年、人の腰帯にぶら下がり、汗や油にさらされ続けた結果、魂を宿した古株である。

「高道殿!」根付けの付喪神が抗議する。

「わしは、飾って見せびらかすだけの玩具ではない! 旅の道連れとしての汗と涙が、この身に刻まれておるのじゃ!」

ぬらりひょんは涼しい顔で煙を吐く。

「ふん、庶民の腰にぶら下がってこそ価値があった時代もあろう。だがのう、高級品は“人に持たれてはじめて輝く”のじゃ。わしのような特別な存在が持つからこそ、周りに差をつけられるのじゃよ」

「なんじゃとーっ!」と根付けはぶるぶる震える。

僕は二人の間に割って入った。

「これは、まさしく“スノッブ効果”というものですな」

「すのっぶ……?」とぬらりひょんが眉をひそめる。

「ええ。人は、他の人が持っていないものを欲しがる生き物なのです。珍しい品、手に入りにくい品であればあるほど、“自分だけが持っている”という優越感が増す。だから、根付けさんが庶民の腰にぶら下がっていた頃より、ぬらりひょん殿が持ち歩くほうが“貴重だ”と思われるわけです」

「むむ、わしの価値は持ち主で決まると?」と根付けがむくれる。

「まぁ、そういう一面もありますね」

「ほれみろ!」とぬらりひょんが得意げに胸を張った。


しかし、ことのは堂の前を通りがかった魚屋の兄ちゃんがちらりと店先を覗き、言った。

「おや? ぬらりひょんの旦那、それ庶民の古い根付けじゃねぇか? あっしも似たようなの、倉の隅に転がってやすぜ」

ぬらりひょんの顔がみるみる青ざめた。

「な、なんと!? わしだけの珍品ではないのか!」

根付けは待ってましたとばかりに胸を張る。

「ほれ見い! わしは、どこにでもある庶民の相棒よ。特別ぶられても困るわ!」

僕は苦笑いしつつ、湯呑を置いた。

「結局のところ、“特別さ”というのは幻にすぎません。他人が持っていないと思えば価値は跳ね上がり、誰でも持っているとわかれば急に色あせる。それが人の欲というものです」

「……むぅ、そう言われると、わしの“見せびらかし計画”は水泡に帰したかのう」

肩を落として、ぬらりひょんは煙管を手の中でくるりと回した。さっきまでの威勢はどこへやら、紫煙も細々と揺らいで、まるで彼の落胆を映しているかのようだった。町の衆に自慢して歩くはずが、実際は「どこにでもある庶民の品」と笑われてしまったのだ。威張り散らしていた分、その落差は大きかったに違いない。


そんな彼の腰元で、根付けがふいににやりと笑った。飴色に光る小さな体を揺らし、するりと自らの意思でぬらりひょんの帯に絡みついたのである。

「まあ、よいではないか。わしにとっては、庶民だろうが妖怪の親玉だろうが、持ち主は持ち主じゃ。飾られて埃をかぶるより、腰にぶら下げられて道を歩む方が、よほど根付け冥利に尽きる。特別だとか庶民的だとか、そんなことは二の次よ。使うてくれる人がいるだけで、わしは幸せじゃ。……旦那、わしをどうか大事に持ち歩いてくれ」

その声音は冗談めかしてはいたが、不思議と温かさがあった。長年、人の腰に揺られ続けてきた付喪神の言葉には、確かな重みがある。

しばし黙していたぬらりひょんは、やがて煙管を置き、肩を揺らして豪快に笑い出した。

「くっはっはっは! そうか、そういう考えもあるか! ならば見せびらかすのではなく、わしの相棒として共に歩むのも悪うない。粋というのは、人に誇るよりも、自分で楽しむことにあるのかもしれんのう!」

そう言って立ち上がったぬらりひょんの姿は、先ほどまでの落胆を吹き飛ばしたように、どこか晴れやかに見えた。腰元の根付けも満足げにちりんと小さな音を立てた。


二人は連れ立ってことのは堂を出て行く。夕暮れの光が差し込み、戸口に影が長く伸びる。背中を見送りながら、僕は静かに湯呑を傾けた。

「――人の欲は、なんと移ろいやすいことでしょう。珍しいと聞けば飛びつき、誰でも持っているとわかれば急に色あせる。だけど……古いものを慈しみ、大事にする心は、決して廃れませんね」


戸口にはまだ、ぬらりひょんの煙草の香りがかすかに漂っていた。根付けの乾いた笑い声も、町のざわめきに混じって遠ざかっていった。

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