第93話「雪見酒と囲炉裏のご機嫌 」〜不意の客人騒動〜
「おい、高道。ちと火を貸しちゃくれぬか」
その声に、僕は思わず茶碗をひっくり返しそうになった。
戸を開け放った冬の風の中に立っていたのは、白髭をたくわえた大男――雪男である。
「……よりによって、囲炉裏の前に座ろうとするのは、さすがにやめていただけませんか」
僕がやんわりと制したにもかかわらず、雪男はするりと上がり込み、ことのは堂の中央にどっかり腰を下ろした。
その背後で「やめろやめろ、凍る! わしが凍る!」と叫んでいるのは、囲炉裏の付喪神である。
長年火を囲み、人々の鍋や炭火焼きを見守ってきた古株だ。
普段は温厚だが、雪男の冷気が漂えば、炭も火も「カチコチ」になりかねない。
「いやぁ、外は吹雪でしてな。火を見れば、どうにも近づきたくなるのですわ」
雪男はにこやかに酒を取り出す。
「おぬし、わしの立場も考えろ! 氷と火が隣り合うなんぞ、相性が悪すぎるわ!」
囲炉裏はわなわなと震えて炭を跳ね飛ばす始末だ。
僕はため息をついて、二人の間に座り直した。
「これは、まさしく“マッチングのリスク意識”というものですな」
「なんじゃそりゃ?」と囲炉裏が眉をひそめる。
「ようするに、人や物の組み合わせには、ぴったり合う場合もあれば、逆に災いを呼ぶこともある、という話です。雪男と囲炉裏――相性は最悪。片や凍らせ、片や燃やす。互いを台無しにしかねない」
「ふむ……では、わしは雪男と呑めぬのか?」と囲炉裏。
「そう決めつけるのは早計です。リスクを意識して、上手に距離を取ればよいのです」
「距離?」と雪男が首をかしげる。
僕は屏風を二人の間に立てた。
「これで冷気と火気が直に触れ合うことはありません。囲炉裏さんは温かさを、雪男殿は涼やかさを、それぞれ楽しめます」
「なるほどのう」囲炉裏がうなずき、火の粉がぱちぱちと明るく弾けた。
雪男も「まぁ、風よけ屏風に守られた火というのも、なかなか風情がありますな」と頬を染める。
しばらくすると、二人は屏風越しに盃をかわし始めた。
「おぬしの冷酒、悪くないのう。火で燗をつけたらどうなるかの?」
「ふふ、それは危険ですぞ。すぐ氷結してしまうやもしれませぬ」
――危険を自覚して、ちょっと工夫する。それが肝要なのだ。
ところが、ここで問題が起きた。
「ふんぬぬ! 屏風越しじゃ味気ない!」と囲炉裏が立ち上がったのだ。
「そうだそうだ、せっかく縁あって同席したのです。もう少し近づきましょう!」と雪男も追随する。
案の定、冷気と炎が真っ向からぶつかり、部屋は一瞬で「しゅごぉぉっ」と白い蒸気に包まれた。
「ぎゃああ! わしの炭が煮えとる!」
「わしの毛皮が焦げまするぅ!」
慌てた僕は、二人に冷水と灰をかけて引き離した。
「だから言ったんです!リスクを無視して距離を詰めれば、こうなるんですよ!」
二人は床の上でぐったりしつつも、互いに見合って、ふっと笑った。
「まぁ、派手ではあったが……案外悪くなかったのう」
「ええ、ちょっと熱かったですが……心地よい熱さでした」
僕は頭を抱えた。
「まったく……これが“危険を承知の付き合い”というやつですかね」
ーーーーーーー
翌朝。
ことのは堂の戸口には、まだ昨夜の名残が色濃く残っていた。畳の上にはうっすらと白い霜の跡が延び、囲炉裏のあたりには炭の香ばしい香りが漂っている。外気に触れた戸板には薄氷が張りつき、指でなぞればパリパリと音を立てて崩れた。
雪男は、夜が明ける頃に肩を組んで店を出ていった。「また呑もうぞ!」と豪快に笑う雪男に、「二度と来るな!」と口では悪態をつきながらも、囲炉裏はまんざらでもなさそうに火の粉を散らしていた。どうやら、あの二人なりの“友情”が芽生えたらしい。
僕は湯呑を手に、その跡を眺めながら小さく息を吐いた。
「世の中、合わぬ者同士ほど、なぜか惹かれ合うものですな……」
けれど、その惹かれ合いに巻き込まれるのは、毎度この僕だ。昨夜の蒸気と騒ぎを思い出し、肩を落とす。
「……次は、もっと静かに呑んでいただきたいものです」
そうつぶやく声もむなしく、戸口の外では、雪男の大きなくしゃみがまだ木霊していた。




