第88話銭の音に宿るもの〜負け犬の流儀〜
ことのは堂に、ころんころんと陶器の塊が転がり込んできた。丸い胴に小さな目と口。貯金箱の付喪神であった。
「……わしはもう用済みじゃ。今の若者は銭を貯めず、洒落た財布に銭を入れて遊び歩く。わしなんぞ、棚の隅に転がされて忘れられておる」
高道は茶を注ぎ、にっこり微笑んだ。
「なるほど。ですが人の心には“負け犬効果”というものがございます」
「まけいぬ……?」
「ええ。勝ち馬に乗るよりも、弱ったり見捨てられたりした存在に、かえって愛着や同情を寄せる心理です。弱い犬を可哀想に思って撫でたくなるのと同じ。あなたも“古いからこそ”心を動かすのですよ」
付喪神は「ふむ」とうなったが、まだ信じられぬ様子だった。
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翌日、二人で町を歩いた。露店の脇に置かれた付喪神を見て、子どもが指を差した。
「見て! 丸くて可愛い!」
母親も笑って頷く。
「昔はこういう貯金箱で銭をためたのよ。懐かしいねえ」
若い衆の一人が冗談めかして言った。
「壊れそうで心配だけど……なんか捨てられねえんだよな」
「弱っちいのに必死に銭を守ってる感じが、応援したくなる」
その言葉に、付喪神は思わず目を見開いた。
「……わしが、弱いからこそ?」
高道はうなずいた。
「そう、人は強さだけに惹かれるわけではありません。欠けや脆さにこそ、心を寄せるのです」
さらに歩いていると、酒屋の主人が声をかけてきた。
「おう高道、珍しいもんを連れてるな!」
「こちら、貯金箱の付喪神です」
「ほほう。ちょうどよい、店先の呼び込みに置いてみんか? “銭をためれば幸せ来る”なんて札をぶら下げたら、縁起がよさそうだ」
試しに置いてみると、通りかかった客が次々と銭を入れていった。
「お賽銭代わりに一枚!」
「なんだか入れないと損をしそうで」
銅銭がぽとりぽとりと腹に落ちるたび、付喪神の体が嬉しそうに鳴った。
けれど、その夜。
「わしは……また人の欲を吸う器に戻るのか?」
付喪神は胸を押さえ、複雑な表情をした。
「わしはただ忘れ去られるより、人に笑われる方がましなのか。だが、それでは“負け犬”を受け入れることにならんか?」
葛藤に揺れる声を聞きながら、高道は穏やかに言った。
「笑われることと、愛されることは紙一重。誰も見向きもしなければ本当に空っぽですが、笑われながらも銭を入れられるのは、あなたが人を惹きつけている証なのです」
付喪神はころりと横になり、しばし沈黙した。そして不意に口を尖らせた。
「……つまりわしは、負け犬の看板役者か」
「そうですね」
「そこは否定せい!」
二人して声を上げて笑い、町の夜に銭の音がころんと響いた。
夜。ことのは堂に戻った付喪神は、自分の腹の中を揺らしてみた。
しゃらり、と銭の音が響く。
「まだ、音が鳴る……わしは空っぽではないのだな」
高道は障子を閉めながら微笑んだ。
「ええ。負け犬と呼ばれることも、弱さと見られることも、時に人を惹きつける力になるのです」
月明かりの下、付喪神はころりと横になった。
その腹の奥で、まだ見ぬ小判がひとつだけ静かに光っていた。
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あれから数日。町の人々は、すっかり貯金箱の付喪神の虜になっていた。
「おーい、弱っちい貯金箱さん、今日も元気かい?」
「わしは壊れかけておるんじゃ……」
ころりと腹を揺らし、わざとヒビを見せる。
「まあ! かわいそうに……銭を入れてあげましょう」
じゃらん。
「はぁ……銭を守るのも、もう辛うて……」
「よしよし! わしの小銭やるから元気出せ!」
ちゃりん。
――すっかり“負け犬商法”で銭を稼いでいた。
ことのは堂で高道は茶をすすりながら呆れた。
「……まさか、ここまで負け犬効果を逆手に取るとは」
「当然じゃ! わしは負け犬であるほど勝つのだ!」
「いや、その言い回し、破綻してますよ」
そこへ、近所の子どもが駆けてきた。
「ねえ! この貯金箱さん、泣きそうな顔して“もう誰も入れてくれんのじゃろ”って言うんだよ!」
「で、銭を入れたら“ふはは、まだわしは死なん!”と笑いよった」
高道は頭を抱えた。
「……もはや同情ではなく、半分お笑い芸だ」
付喪神は胸を張る。
「弱さを演じ、銭を集め、人を笑わせる――これぞわしの生きる道よ!」
その夜。腹いっぱいに銭を鳴らしながら寝転ぶ付喪神を見て、高道は苦笑した。
「負け犬効果も、ここまで使えば立派な商売ですね」




