第61話「三吉鬼の祠」 〜押しつけられた罪と、金色の祈り〜
夜の雨が、ことのは堂の軒先を静かに叩く。
庭の松の葉に落ちる水滴が、しずくとなって小さな音を立てる。
「……あれは?」
座敷童がびくびくと顔を上げた。格子戸の外、雨の中に人影がぼんやりと浮かんでいる。
「……三吉鬼ですね」
高道は小さく息を呑んだ。
その姿は、見る者の心に不思議な圧迫を与えた。
角は折れ、衣は湿り、赤い瞳は煤けて鈍く光る。だがその顔には、どこか神仙の気配もあった。
「高道おにーちゃん……あの鬼、みんなに怖がられてる……」
座敷童の声は小さく震えていた。
三吉鬼は一歩、ことのは堂の縁側に踏み入ると、ゆっくりと膝を折った。
「頼みがある……わしの声を、聞いてくれ」
かつて、三吉鬼は村人に酒を捧げられれば、願いを叶える力を持つと称えられた。
大名の庭に不可能な品を運ばせた逸話もあり、神仙のように扱われていた。
だが、文化年中の数十年前から人里に姿を現すことはなくなり、今ではただ、恐れと伝承だけが残っている。
「わしは……何も悪くないのに、すべての咎を背負わされる」
三吉鬼は手を床に置き、かすれた声で言った。
「酒を拒めば災いが訪れ、酒を捧げれば、重いものが積まれる。誰が悪いともわからぬまま、わしは責められる……」
座敷童は小さな手を握りしめ、顔を上げることができなかった。
「ひどい……」
高道は囲炉裏の火を見つめ、静かに口を開いた。
「それは“スケープゴート理論”という心理の現れです」
「すけ……ごーと?」座敷童が首を傾げる。
「人は、災いや不幸の原因を直視するのがつらいとき、身近な誰かに責任を押しつけることがある。無実の者を“代償として責める”ことで、自分たちの心を保とうとするんだ」
三吉鬼は黙ってうつむき、かすかな涙を零した。
「……わしは生まれついての罪人か」
「違うよ」高道はやわらかく手をかざした。
「罪は姿や伝承で決まるものじゃない。君が人を害していないなら、それを証明すればいい」
座敷童は火の揺れる囲炉裏に手をかざし、ぽつりとつぶやいた。
「怖がられても、本当はわるくない人もいるんだね……」
雨が止み、静かな夜の空気が流れる。
三人は村はずれの古い社に向かった。そこは、三吉鬼を封じるために建てられたという祠だ。
「ここに、村人の恐れが形になって残っている」三吉鬼は指先で黒ずんだ札を示す。
無数の札には、“悪”が押しつけられるように書かれていた。
高道は札に触れ、言葉を紡ぎました。
「恐怖や不安を貼りつけても、原因は消えません。問題の本質から目をそらして、誰か一人に押しつける……それが、スケープゴートの構図です」
座敷童は小さな手で、一枚ずつ札を丁寧に剥がし始めました。すると、触れた札から淡い金色の光がほのかに立ち上り、まるで夜霧の中で灯る小さな灯火のように、静かに周囲を照らします。光は札の文字を包み込み、闇に染まった不安や恐れを浄化していくようです。剥がした札は、黄金の光を帯びてゆっくりと地面に落ち、闇夜の祠を柔らかな光で満たしていきました。
「わたしも、間違った責め方をされたら悲しい……だから、誰かが正しく伝えないと」
座敷童のつぶやきに、金色の光が静かに応えるように揺れ、祠の闇をやさしく溶かしていきました。
三吉鬼の肩が少しだけ軽くなった気がした。
「……ありがとう」
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翌朝。
村の広場に、ことのは堂からの文が貼られた。
「災いをすべて鬼のせいにするのは誤り。本当の原因を見つめ、共に改めることが道である」
村人はざわめきながらも、少しずつ耳を傾け始める。
三吉鬼の姿はもう見えない。
だが、ことのは堂の軒先には一輪の白い花が置かれていた。
座敷童は花を抱きしめ、微笑む。
「高道おにーちゃん……あの鬼、少しは救われたのかな」
高道は空を仰いだ。
「背負わされた罪は、誰かが否定してやらなきゃ消えない。だが、彼が自分を恥じずにいられるなら、それが救いになる」
朝日が縁側を照らし、座敷童と高道、そして見えない三吉鬼の心を、静かに包み込んでいた。




