第59話『灯りを、あなたに。』〜お露の場合〜
江戸の町では最近、こんな噂が流れていた。
「夜の墓場に行列……?」
「“死んでも会いたい人がいる”って人たちが、並ぶらしいぜ」
「案内人は、死霊……じゃなくて、生霊……いや、生き返った霊?」
──その案内人こそ、「お露」である。
夜更け。
町の外れ、ぽつりと置かれた灯籠の前に、並ぶ人々。
「本日、五名様ですね。では、“死者の道”ご案内いたします」
そう言って、お露は灯籠を高く掲げる。
中の炎がゆらりと揺れ、道を照らした。
「……わ、ほんとに明るい……」
「灯籠は、心の形ですから」
このツアーは、お露がことのは堂で暮らすうち、自然に始まった。
夜、そっと墓地に出かける癖が抜けなかった彼女に、高道が声をかけたのだ。
「灯籠は、“忘れられない人”を照らす道具かもしれませんね」
「……え?」
「そして、あなたはもう“呪われた灯”ではなく、“誰かの希望”になれる」
その一言に、胸がぽうっと熱くなった。
それからお露は、灯籠を手に歩き始めた。
墓地へ、記憶へ、祈りのように。
ツアーの途中、ある老婆が言った。
「……ねえ、娘に会える?」
「もしかすると。灯りに引き寄せられる魂が、あるかもしれません」
「会って……ごめんね、って言いたいのよ。あの子が病に伏したとき、私は……」
お露は微笑み、灯籠を差し出した。
「この中の灯りに、話しかけてみてください。心の奥に灯る“会いたい”が届けば、きっと」
老婆は震える声で、「ごめんね」と何度もつぶやいた。
灯籠の火が、小さく揺れた。
そして──ふわりと、白い蝶が老婆の肩にとまった。
「……あ……」
老婆は静かに泣き、お露はそっと手を握った。
「ありがとうね、灯りの人……」
町では、「灯りに願えば、心が軽くなる」と評判になった。
泣けるツアー。
誰にも言えない別れを、灯籠に預ける場所。
恋人、家族、友達……
生きる者と死んだ者、そのあわいに灯る祈り。
「灯籠娘のお露さんに会えば、心の澱が晴れるらしい」
そう噂されるころには、墓場の予約が三ヶ月待ちになっていた。
ある晩、ツアーを終えて帰ると、縁側に高道がいた。
「おかえりなさい。今日は、どんな“願い”がありましたか?」
「“忘れたくない”って言葉が、いちばん多かったです」
お露は、灯籠をそっと下ろした。
「私、死んでも想ってた人に逃げられたから、“想い続ける”って痛いことだと思ってた。でも……」
「でも?」
「忘れずにいたいって、希望にもなるんですね。大事にしていいんだって、やっと……」
「うん」
高道は、静かにうなずいた。
「それが、“愛”というものかもしれません」
お露の頬がふわりと染まり、灯籠の火がやさしく揺れた。
今では、「夜の墓場ツアー」は、お露の生き方そのものとなった。
死ぬほど好きだった相手に逃げられても、呪いの灯籠を抱えていた過去があっても、彼女は今日も、あかりを掲げる。
それは、“死者のため”ではなく、“生きる人のため”の灯り。
灯籠の中には、今もあの日の想いが、小さな炎となって揺れている。
そして、ある夜。
ツアーに並んでいたひとりの若者が、ぽつりと言った。
「……この灯籠、なんだか懐かしい気がする」
お露が静かにうなずく。
「そうですね。懐かしいものって、きっと、心の奥にちゃんと残ってたものなんです」
若者は、灯りを見つめながら、涙をひと粒、こぼした。
それを見て、お露はそっとつぶやく。
「忘れられても、忘れたくない人がいる。……それで、いいんです」
灯籠の火が、ぱちりと音を立てた。
江戸の夜に、今日もひとつ、灯りがともった。




