第58話『毒にも薬にもなります』〜お岩の場合〜
江戸の裏町、小さな暖簾が風に揺れていた。
そこに描かれているのは、再生の花「不死鳥草」。
看板にはこうある。
《お岩軒:肌と心、蘇らせます》
「……あら、おいでなさい。今日はどんなお悩みで?」
暖簾をくぐった男は、うさんくさそうに辺りを見回した。
棚に並ぶは、怪しげな薬瓶と干し草。
奥の帳場には、やや鋭い目元をした美しい女――お岩が、座していた。
「べ、別に悩みなんて……! ただ、なんか噂を聞いて……その……“顔の傷が治る”とか……」
「“肌がぷるん”になる、のほうが正確かしらね」
さらりと返すと、お岩は棚から一瓶取り出す。
「夜の霧草に、椿油と蟾酥を少々。毒と薬は、紙一重。肌も、心も、使いよう」
「……は?」
「つまり、“毒”と思っていたことが、“薬”にもなるってこと」
男が戸惑っていると、隣の衝立から声がした。
「お岩さーん、あの湿布、効きすぎて首の皮つるつるですー!」
それは、常連の河童だった。
数ヶ月前、お岩は自分の“呪い”を見直した。
「顔が怖い」と言われ、「毒を盛った女」と陰口を叩かれた人生。
でも、そんな自分の体や肌を、「大切にしていい」と教えてくれた人がいた。
それが、ことのは堂の高道だった。
「人の目にどう映ろうと、あなた自身が“変えたい”と思えば、体も、心も変わります」
その言葉に背中を押され、お岩は薬草の勉強を始めた。
きっかけは、マキビの置き土産――「妖怪漢方大全」なるふざけた書物だったが、
意外と実践的な知恵も多く、お岩は夜な夜な実験を重ねた。
「……なるほど、これで“皿を洗っても割れない手”が作れるかも」
隣でお菊が真顔でうなずいたのも、良い思い出だ。
そうして開いたのが、「お岩軒」。
最初は誰も来なかった。
けれど、たった一人――顔に火傷を負った小娘が、泣きながら訪れた。
「おばけって、言われるんです……」
その顔に触れ、お岩はかつての自分を見た。
だから言った。
「あなたの顔は、“おばけ”なんかじゃない。“まだ治る途中”なの。生きていれば、肌も心も、毎日再生する」
そうして渡したのが、夜霧草の煎じ薬と、椿油。
使い方と、毎夜の霧吹きの習慣。
何より――「あなたには未来がある」と、まっすぐ伝えた。
小娘は、翌月に笑って現れた。
その顔には、柔らかい光が宿っていた。
「……先生、私、鏡が怖くなくなりました」
以来、店は噂になった。
「心がささくれたら、“お岩軒”に行け」
「見た目も心も、ぷるっとなるらしい」
今や、通称は「ぷる岩」。
お岩はやや不本意だが、客が来るなら良しとしている。
その日も、棚に瓶を並べていたところに、声がした。
「毒にも、薬にもなる。……お前、その言葉、いいな」
振り向くと、そこには高道がいた。
「見に来たの? それとも視察?」
「観察者ですから。ですが、今は少しだけ――ファンでもあります」
「……やめて。ぞわっとする」
そう言いながらも、お岩の頬は、どこか照れていた。
高道は一瓶の薬を手に取る。
「これは?」
「“皮膚、厚くなる軟膏”。対人関係に効くわよ」
「……それは私には不要ですね」
「言うと思った」
ふたりの笑い声が、店にふわりと広がる。
夜、帳場の灯を落とす前に、お岩は鏡を見る。
そこに映るのは、“毒を盛られた女”ではない。
自分の体を、自分の手で癒す女。
傷ついた人に、再生の知恵を届ける女。
少しだけ――笑えるようになった女。
お岩は、ふっと小さくつぶやいた。
「毒にも、薬にもなれる。だからこそ、生き方は選べる」
その声は、どこか晴れやかだった。
そして明日も、“お岩軒”は暖簾を揺らす。
ぷるんとした肌と、強くなった心を、江戸の風に乗せて。




