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第53話「十枚目の皿、あなたに。」〜思い込みの、その先に〜

「一枚、二枚……八枚……九枚……」

冷えた井戸の底から、かすれた声が響く。

夜のことのは堂。月明かりが、風に揺れる竹の影を地面に落としていた。

高道は、縁側で静かに茶を啜っていた。とつぜん、ひゅるりと風が吹き、座敷の障子が音を立てて開いた。

「……あら、今夜は早いですね、お菊さん」

井戸の幽霊――お菊が、濡れた着物のまま座敷に現れた。顔色は死人のように青白いが、どこか憂いの混じった優しい目をしていた。

「……数えるのをやめられないのよ。ねえ、高道。十枚目のお皿、あなたは見たことある?」

「いいえ。でも、あるとは思ってますよ。きっと、あなたが見落としているだけで」

「……ふふ、変わったこと言う人ね。誰もそんなこと言ってくれなかった」


昼間のこと。

若い女がことのは堂を訪れた。背中に大きな風呂敷包みを背負って、目元を赤く腫らしていた。

「……ごめんください……。お皿の供養をお願いできませんか?」

包みの中には、九枚の皿が入っていた。いずれも微妙に形が歪み、同じ絵柄が描かれていた。……菊の花だった。

「家を整理してたら、祖母の桐箱から出てきたんです。なんだか、これだけ捨てる気になれなくて……」

「由来は?」

「わかりません。でも、最近妙に怖い夢を見て。井戸の女の夢を」

高道は、皿を一枚ずつ見て、ふと眉をひそめた。

「……これは、昔の絵付け。一世紀ほど前のものでしょう」

夜。高道は、井戸に向かって声をかけた。

「お菊さん。――このお皿、見覚えありませんか?」

お菊は、ゆっくりと降りてきた。九枚の皿を並べたのを見て、硬直する。

「……それ……それ……!」

「思い出したのでは?」

お菊の目から、涙がこぼれた。

「これ……私が、嫁入り道具に持たされたもの……。……そうだ……十枚目、あった……!」

彼女は震える指で、最後の一枚を撫でた。

「奉公先で割られたの、井戸に……捨てられて。でも本当は……十枚、あったのよ。十枚全部、ここに……!」


「人の記憶は、時に残酷です」

高道は、座敷で静かに語った。

「過去の真実も、時間とともに風化する。だが、時を経て忘れていた情報に触れたとき――人は“思い出す”のではなく、“再評価する”んです。これを心理学では“スリーパー効果”といいます」

「……再評価?」

「かつては誰も信じてくれなかった“十枚目”。けれど、百年経った今、証拠が残っていた。だから、あなた自身の記憶にも、信憑性が戻ってきた。あなたは間違っていなかったんですよ」

お菊は、ぽろぽろと涙をこぼした。

「……信じたかっただけなのかも。誰かが、私の言葉を……」


翌朝。井戸のまわりに白い菊の花が咲いていた。なぜか、どこにも種もなかったはずなのに。

そして、あの十枚の皿は、ことのは堂の床の間に丁寧に飾られた。

「……もう、数える必要はないですね」

高道はそう呟いた。

それ以来、お菊の声は井戸から聞こえなくなった。


ただ、ごく稀に。

静かな夜、ことのは堂の縁側にふわりと座る女性の影が見えるという。

うっすらとした笑みを浮かべて、皿の数を確かめるでもなく、ただ――月を見上げているのだと。


――もう、すべてが揃っているから。

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