第49話『磯辺巻きより危険な、海坊主のクレーム対応』後編〜その札、包んで返せばすむと思ったら大間違い〜
「お願いです、あっしの仲間たちを返してくれ!」
土間に頭を下げる漁師の背中が、小さく震えていた。
荒くれ者と知られる浜の男も、今はすがるような目で“黒い筋肉の塊”を見つめている。
目の前に仁王立ちするのは、例の海坊主――武舟。
腕組みしたまま、眉間にしわを寄せていた。
「……アイツらはなァ、ワシの寝床にどかどか踏み込んできおって……! まるで海底を運動会会場にでもするつもりだったんかァ!?」
「ひぃ……す、すみません……」
「さらに、寝てたワシの顔にアサリが五枚重なってなァ! ワシゃ何かの海産物盛り合わせかァ!?」
「だからって! 海に引きずり込むことないじゃないですかァ!!」
漁師の叫びが木霊する中、ことのは堂の主・高道が、湯呑の茶を静かにすすった。
ごくり、と一口。
そして、にこりと笑って口を開いた。
「――では、ここは“両面提示”でまいりましょうか」
「は? りょうめん……?」
「はい。事実の“良い面”と“悪い面”を両方伝える方法です。嘘を交えず、誠実に対話することで、相手の納得を得やすくなります」
マキビがぽんと手を打った。
「なるほど〜、“都合のいい話しかしない奴”より、“たまに痛いことも言う奴”の方が信頼されやすいってやつですね〜」
高道はうなずき、海坊主の方をまっすぐ見た。
「まず、“悪い面”からお伝えしましょう。……今回の件、確かに、札の効果を過剰に付与したマキビさん、そして何も知らずに持ち出した漁師衆。双方に過失がありました」
海坊主が、ぐっと目を細める。
「ふん……素直に認めるだけマシじゃな」
「ですが、“良い面”もございます。漁師衆の行動は、誰かを傷つける意図ではなく、“豊漁”への願いから来たもの。つまり、生活と家族を守るための行動だったのです」
高道の言葉に、海坊主の眉間のしわが、ほんの少し緩んだ。
「それに……この磯辺巻き」
再び、高道が笹の葉をすっと差し出す。
「これは、“誠意の包み”でございます。わたしたちは謝罪の心とともに、この味をお届けしたい」
「おぬし、またそれで丸め込む気か……」
海坊主は、笹の香りをふん、と嗅いだ。
一口。
咀嚼。
そして、ぼそり。
「……今度は青のりのバランスがいいな」
「でしょ〜? 今朝巻いたんですよ~、海の怒りと愛を込めて!」
マキビが元気よく説明をする。
「愛はいらん」
海坊主が苦虫を噛み潰したように言いながらも、口元はどこか緩かった。
そして、ひとつ、溜息を吐くと――
「……まあええわ。ワシゃ、もう怒り疲れた。漁師どもは返してやる」
「ほ、ほんとですか!?」
「ただしッ!!」
ドンッと地響きがした。
「もう一つ、厄介なもんが残っとるじゃろうがァ!!」
そう言って、海坊主が指差したのは――あの紙袋。
棚の奥――ひとつだけ、取り残されたように置かれていた紙包みが**ぷすっ……**と、小さく蒸気を吹き上げた。
それは、明らかに不穏だった。
高道の目がすっと細められる。湯呑を持つ手を止め、視線は静かに紙包みに向けられた。まるで虫の息をあげる爆弾を前にするかのような、緊張感が走る。
包みに記された筆文字が、しっかりと読める。
《試作・海守札・更に強化版(封印中)》
――その瞬間、ことのは堂にいた全員の背に、すうっと冷たいものが走った。
「うおっ……まだあったんですか!?」
漁師の男が目を剥き、思わず後ずさる。大きな目がさらに丸くなり、耳がぴくぴくと震えていた。
「わー、うっかり☆」
マキビは、悪びれた様子もなく、口元に指をあてて首をかしげる。星でも飛ばしそうな軽い声だったが、目は泳いでどこをみているともわからない表情をしている。
「二人とも……黙っててください」
ぴしりとした声が場を制した。
高道の言葉は静かだったが、室内の空気をきりりと引き締めるものだった。眉根はわずかに寄り、湯呑を置いた手がそっと膝に置かれる。
棚の中で、紙包みはなおも**しゅう……**と、静かな音を立てている。
――まるで、これからが本番だとでも言うように。
「はぁ、こればかりは、封印していただくしかないですね」
海坊主が、ゆっくりと頷く。
「わかった。ワシが、海底の静かな潮の谷に埋めるとしよう。千年は目を覚まさん場所になァ……」
「ありがとうございます」
「ただし!」
また来た。
「その札、持ってきたマキビ……おぬしも来い」
「へ?」
マキビがきょとんとした顔をする。
「寝床、崩れたまんまだ。潮の流れは変わり、珊瑚はめり込んでるし、タコが俺の枕で寝とる。責任、とってもらうぞ」
「え、ええええ!?」
「ちゃんと袴、濡れてもいいやつ着てこい。鍬と桶も忘れるな!」
「いやいや! 陰陽師ですよ!? 海底工事って、そういうの仕事じゃないんですけど!?」
「安心しろ、霊力で砂掘る係じゃ」
「それ……たぶん、一番キツいやつ……!」
マキビの叫びが、ことのは堂に響きわたった。
漁師たちが無事に戻るその日、港には、夕焼けに染まる海と、奇跡のような穏やかな潮の音が広がっていた。
遠く、沖へ出る舟が一艘。
先頭には、ちょこんと座った袴姿の男。
その手には、鍬。
「……おれ、絶対、祟られてるわ……海坊主の呪い」
そう呟くマキビの背中に、きらきらと海風が舞った。
――そして。
静かな海底の谷に、ひとつの札が、深く深く、埋められる。
封印されし《試作・海守札・更に強化版》。
けれどその封印が、永遠に守られるかどうかは――
また、別のお話である。




