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第47話「迎え火の、小さな鍵」〜お盆がやってくると、ヨイノの町にも“あの世”の空気が降りてくる。〜

ことのは堂の縁側には、今朝からひっきりなしに香の煙が漂い、提灯がゆらゆらと風に揺れていた。白装束の狐に、団子を供えに来た子どもたち、目玉が三つある精霊が、どこからともなくふらりと現れては、そっと帰っていく。

「ご先祖さまが、戻ってくる季節ですねえ」

精霊馬のケンちゃんが、ぽつりとつぶやく。

小さなナスに割り箸の足が生えたその姿のまま、縁側にちょこんと座っていた。まるでただの飾り物かと思えば、彼も立派なお盆精霊である。ややぽんこつ気味ではあるが、今年もこうして“橋渡し”にやってきたのだった。

「ところで高道さんは、ご先祖さま来ないんです?」

問いかけた精霊馬に、高道は静かに首を振った。

「……来ないんですよ。僕、元々この国の人間じゃありませんから」

言葉は淡々としていたが、どこかにほんの少しの寂しさが滲む。

そのとき、堂の前を通りかかった老狐が言った。

「おやまあ、ことのは堂の縁側は今年も立派ですなぁ。おかげでうちのご先祖、迷わず帰ってこれましたよ」

次に来たのは、皿を頭に乗せた河童。片目の狸。三本足のカラス。

「こっちの茄子はわしらのですかな?」「いやうちはキュウリ派でしてな……」「あれ、ナスにエンジンついてない!?」

次々と現れるご先祖さまたち。境界がにじむこの季節だけ、ことのは堂は“あちら”と“こちら”をつなぐ玄関口になるのだ。


その夜。

「ケンちゃん。さっき“橋渡し”って言ってましたけど、実際に何してるんです?」

問う高道に、ケンちゃんは首をかしげた。

「えっとね。ちっちゃいことから、ちゃんと迎える準備を整えていくことかな。焚き火、提灯、団子、香の香り……一個じゃ意味がないけど、積み重ねたらご先祖さまの足元を照らす道になるんですよ」

「それは“ハンドル効果”ですね」

「ほわ?」

「最初は些細な行動でも、“やったこと”が心のハンドルを少しずつ回していくんです。迎える準備をするうちに、“迎えたい気持ち”が強くなって、やがて本当にそう思うようになる。つまり、“行動が心を導く”んです」

「えっ、それって逆じゃないんですか? 心があるから行動するんじゃ……」

「多くの場合はね。でも実際は、その逆もたくさんある。人間の心って案外、後から追いついてくるんですよ」

そう言って、高道は自分の湯呑を見つめた。

ことのは堂には、誰かの迎え火が絶えず灯っていた。けれど、高道だけには、帰ってくるご先祖も、迎える相手も、いない。

ぽつりと、精霊馬が言った。

「……じゃあさ、ぼくが来るかどうかも、高道さんの気持ち次第だったのかもですね」

「うん?」

「だって、最初に“ナスに箸を刺しただけ”だったのに、高道さん、だんだん毎年きれいに飾ってくれて。ぼくも“あ、来ていいんだ”って思えたんですよ」

「……それは……」

「来てほしいと思う誰かのために、少しずつ灯してくれた道が、ちゃんと届いたんじゃないかなって」

高道は、少しだけ目を見開き、やがて笑った。

「――なるほど。小さな行動の積み重ねが、誰かを迎える“本当の鍵”だったんですね」

その瞬間だった。

ことのは堂の奥、古びた棚が、かすかに軋んだ。

きぃ、と小さな音が、波間に溶ける潮騒のように、静かに空気を震わせる。

精霊馬は、はっとして振り向いた。

夕映えの光が、格子戸のすき間からゆらりと差し込むなか——

そこに立っていたのは、人のようで、人ではない“影”。

その姿は、まるで海辺の陽光をすくいとったかのようだった。

肌も輪郭も曖昧なその存在は、金色を帯びた霞のように淡くきらめきながら、堂の空気にとけこんでいた。

胸元には、どこか懐かしい気配を宿している。

“影”はただ、目を細める高道の方を、穏やかに見つめていた。

その眼差しには、語らずともすべてを伝えようとするような、深い安らぎがあった。

「……まさか、君……」

高道の声が、海辺に舞い降りる風のように優しく響いた。

“影”は静かにうなずいた。

そして、両の手に包んでいた小さな白い花を、そっと床に置く。

それから、音もなく背を向けると、陽の光の粒に溶けるように、ゆっくりと消えていった。

残されたのは、ふわりと漂う線香の香りと、胸の奥にじんわり広がるあたたかな気配だけ。

しばしの静寂ののち、精霊馬がぽつりと呟いた。

「ご先祖さまじゃなくても、“帰ってきていい場所”はあるんですねえ……」

堂の中には、やさしい光とともに、どこか切なくも満ち足りた気持ちが静かに残っていた。


その夜、ことのは堂の前にはひとつだけ、特別大きな迎え火が焚かれた。

誰を迎えるためかは、誰も知らない。

けれど、その灯りが、やさしく夜を照らしたことだけは、確かだった。

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