第45話「その声、ズルいだろ」〜ズルさの奥にあるもの〜
あいつの声が甘ったるくなるときは、決まって何かたくらんでるときだ。
わかっちゃいるのに、抗えねえ。なにせ、俺は“ことのは堂”の高道ってやつに、ちょっとだけ――いや、だいぶ――弱いらしい。
あの日もそうだった。
「ねえ朧丸〜、ちょっとだけでいいからさ、手伝ってくれないかな〜?」
縁側でのんびり寝てた俺の頭の上に、そんな声が落ちてきた。
「はァ? 今いいとこなんだよ。夢で唐揚げ追いかけてんのに」
「唐揚げに逃げられる夢って、なかなかですよね。でも、ほんのちょっと。紙を運ぶだけ」
そう言って差し出されたのは、町内会の貼り紙の束。なんでも、近所の薬屋に届けてほしいとかで。
仕方ねえな、と俺は重い腰を上げた。ほんの“紙一束”、その程度のお願いだったから。
ところが――
戻ってきたら、今度は町娘の手紙を届けてくれだの、裏道の旗を直してほしいだの、最終的には「ついでにお茶も買ってきて」だと?
ついでにどんだけ増えるんだよ!
息を切らして帰ってきた俺に、高道は笑顔でお茶を差し出してきた。
「ありがとう、朧丸。本当に助かりました。君がいてくれて、よかった」
その声が――また、ずるかった。
ふわりと耳にかかるような、落ち着いた低音。けれどそこには、あたたかな湯気のような優しさがふくまれていて、まるで冷えた指先をそっと包み込まれるような錯覚すら覚える。
高道はいつものように穏やかに微笑んでいた。けれど、その笑みの奥には、明らかに“わかってる”顔があった。
わざとなんだ、きっと。
「頼みごとのときだけ、甘える声になる」と自覚していて、こっちが断れなくなることも、ちゃんと計算に入れてるんだ。
兄を演じるような落ち着き。なのに、その声の端にこっそり混ぜられた“頼る気配”が、胸の奥にじわりと沁みる。
そういうのが一番、断れない。
……ずるい。ほんと、ずるいんだよ、あんたは。
なんなんだあの声は! あれでお願いされちゃ、つい……断りそびれんだろ!
でも、ムカつくってより、なんか悔しいんだよなあ。気づけば俺、めちゃくちゃこき使われてんじゃん。
その翌日。
また俺は呼び出された。今度は荷運びだ。えんま町から、どでかい荷を背負って。
さすがに限界だと思ったんだ。だから、文句を言おうと“ことのは堂”に戻ったら。
「おかえりなさい。今日もありがとうね。お疲れ様です」
高道が、やたら優しい声で迎えてきた。
それがさ、また――あの甘ったれた“ズルい声”だった。
そのまま縁側に腰かけた高道は、湯呑を片手に、ふわっとした顔で言った。
「そうそう、昨日からね、“フット・イン・ザ・ドア”って心理効果の実験をしてたんですよ」
「……はい?」
「最初は小さなお願いから始めて、だんだん大きくしていくと、人は断りにくくなるんです。気づいたときには、『もうこのくらいならいいか』って、自分で自分を納得させてしまう」
「………………」
「最初の“貼り紙”がそれ。まんまと乗ってくれた朧丸、やっぱり優しいですね」
「おま、やっぱり、わざとだったのかよッ!!」
「半分冗談、半分観察です。あ、怒りました? でもね、断るタイミングはいつでもあったんですよ。朧丸くんが優しいから、全部引き受けてくれただけで」
「ぬ゛ぁあああああああ!!!」
「でも、そろそろ休んでくださいね。今日はお団子買ってありますから」
「う……うぐっ」
俺は、なぜか湯呑を受け取っていた。
まったく、なんなんだこいつは……!
ーーーーーーーーーー
夜。
団子を頬張りながら、俺は縁側に寝っ転がって空を見た。
正直、くやしい。
高道の策略にまんまと乗せられてる自分も、それを知ってて怒りきれない自分も。
でも、どうせ乗せられるなら、もうちょっとカッコよく乗せられたかったよなあ。
甘え声なんか使わず、普通に頼んでくれても、どうせ俺は動いたのにさ。
……そう思ったら、ふと、横から声がした。
「朧丸。今日もありがとう」
その声は、今度は甘くなかった。優しくて、静かで、ちょっとだけ本音っぽかった。
「……なに、今さら。俺、高道の実験台だったんだろ」
「それでも、君が手伝ってくれたのは、本当にありがたかったから」
「……まったくもう。ズルいんだって、その声」
俺はそっと、湯呑を置いた。
今度は、何も頼まれなくてもいい。
あの“ズルい声”が、ちゃんと心からの声になってるから――それでいい。




