第4話「ホシオニ、未来を語る」~言葉は当たることよりも、届くことの方が大切だ~
午後の光が斜めに差し込む、ことのは堂の縁側。
急須から立ちのぼる湯気の向こうで、茶柱がぴんと立ったのを見て、「お、今日はツイてるかもな」なんて思っていた矢先だった。
ふわりと香ばしい香が鼻をかすめたと思ったら、軒先にまばゆいほど金ピカの姿が現れた。
金色の袈裟をまとい、額に「見」「聞」「読」の三文字。目は……まさかの星型。
「初めまして。“天星占導師・ホシオニ”と申しまする!」
名乗りの声は無駄にいい声だった。どうやら登場演出にもこだわりがあるらしく、堂の戸を自動ドアのように両手で開き、スローモーション風に入ってきた。
いや、たぶん本人は気づいてないが、戸は音を立ててバンと閉まった。演出、台無しである。
そんな様子にも動じず、ホシオニと名乗る妖怪は、大きな水晶玉を抱えてどっかりと腰を下ろした。見るからに“当てますよ”感満載である。
「あなた様の“運命”が見えておりますぞ……ふむ、今、何かを失おうとしているでございましょう?」
僕は静かに湯呑を差し出しながら返す。
「……それ、今この国で悩んでる人の9割に当てはまるんじゃないですか?」
ホシオニの目がぴくりと揺れた。星形の角がピコンと震えるのが、ちょっと可愛い。
「ふふ、さすが“言葉の店主”と名高きお方。……ですが、わたくしの占いは“当たっている”と好評を博しております」
(そりゃそうだ。“誰にでも当てはまる言葉”ばかりなんだから)
僕は、心の中でそっとツッコミを入れる。
ホシオニの占いは、こうだ。
「あなたは、頑張りすぎて疲れている」
「ときどき、周囲に理解されないと感じている」
「最近、大きな決断を迫られたのでは?」
──典型的なバーナム効果の言葉だ。※曖昧な内容でも「自分に当てはまっている」と感じてしまう心理現象。
誰にでも当てはまる言葉だからこそ、「当たっている」と思わせる力がある。
だが、それは「届いている」とは、少し違う。
「言葉の力を使う妖怪としては……まあ、基本は押さえてるってとこですね」
「ほう、それは褒め言葉と受け取ってよろしいのですな?」
「ま、50点ってとこですね」
僕が茶をすする音にかぶせて、ホシオニの水晶玉がカタカタと震えた。……もしかして、微妙に怒ってる?
「でも、“言葉が当たる”のと、“届く”のは別ですよ」
「“届く”……と申しますと?」
ホシオニが顎に手を添えて首をかしげる。姿は神妙だが、後ろで袈裟の袖が茶器に引っかかってる。あ、こぼれた。
「誰にでも当てはまる言葉は、たしかに安心感を与えます。でも、“あなただけに向けられた言葉”には、もっと強い力があるんですよ」
僕は、ゆっくりと続けた。
「“外れるかもしれない”という不安を乗り越えて、相手の本質に迫る言葉。それを届けられたとき、人の心は動くんです」
「……それは、占い師にとって、かなり危険な賭けではありませんか。“外れた”と評価されてしまえば、信用も地に落ちますぞ」
「ええ。でもね、たとえば、今日のあなたの格好──」
「おや?」
「“金色の袈裟を着て水晶玉を持った星目の妖怪が、突然やってきて占いを始める”。その時点で、信用はもう地に落ちてるんですよ」
「ぐふっ……っ!?」
ホシオニは目をまん丸に見開いた。星がぷるぷる震えている。
だがそのあと、急に腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、なるほど、まさかそこまで言われようとは……いやいや、一本取られましたな!」
……怒るより笑うとは、なかなか度量がある。
しばらく沈黙が流れたあと、ホシオニは静かに口を開いた。
「……実は、わたくし、かつては“未来を正しく言い当てること”こそ、最上の術と信じておりました」
「悪いことではありませんよ。正しさも、大切です」
「ですが……ふと、ある日気づいたのです。人々が本当に求めているのは、“未来を当てること”ではなく、“今、自分を信じられる言葉”なのではないかと」
ホシオニは、水晶玉をそっと床に置いた。
「……そのための言葉を、わたくしは今まで、選んできたのだろうかと……そう思ったのです」
その声には、先ほどまでの芝居がかった調子はなく、まっすぐな響きがあった。
「なら、これから選んでみてはいかがですか。──“その人にしか届かない言葉”を」
その日以来、ホシオニの占いは変わった。
以前より言葉が曖昧でなくなった。
代わりに──たまに、盛大に外すようになった。
ある日などは、
「あなたは間もなく、人生の大転機が……!」
と語った矢先に、客が「妊娠しました」と言い出し、
「えっ、それは……星に出てなかった!!」と絶句。
あげく「星の情報、昨日の嵐で遅れてまして……」と謎の言い訳まで飛び出した。
けれど、それでも──その言葉が、なぜか忘れられないと話す客が現れた。
「……あの人に言われた言葉だけは、ずっと覚えてるんです」
ことのは堂の帳場の前で、ぽつりとつぶやいたのは、細身の青年だった。髪はまだらに色が抜け、袖口を握りしめる手にはかすかな震えがあった。ふと目が合ったとき、その眼差しはどこか、過去に置き去りにされたままのようだった。
「“わたしの光は、まだ誰にも届いていない。それは、まだ誰にも否定されていないということです”って……」
彼の声は、まるで呪文のようにその言葉を繰り返す。忘れようとしたのに、いつまでも耳の奥に残って離れなかった、と。
その言葉は、ある夜の静かな相談の中で、ホシオニが一人の若い客に送ったものだという。どうやら彼は、自分には何の才能もなく、居場所もなく、努力しても報われない、と泣きながら訴えたらしい。光など、自分には初めからないのだと。
けれど、ホシオニはふと空を見上げてから、こう言ったのだという。
「届かない光にも、意味はあるのです。まだ誰の目にも触れていないなら、まだ誰からも、否定されていないのだから」
それは、優しい慰めではなく、不思議と心の奥に刺さるような響きを持っていた。
青年は言った。
「信じるには、時間がかかりました。でも……あの夜から、少しずつ、自分の光を見つけようと思えたんです」
後日、ことのは堂の軒先には、彼が手書きした新しい札がかかっていた。
“未来は当てにいくものではなく、迎えにいくものです。”
言葉が変わると、未来も少しずつ変わっていく。
今日もまた、ことのは堂では静かに湯が沸いている。
言葉を待つ誰かのために。