第37話「護符ひとつで、よく眠れる夜」〜眠れぬ夜に、護符ひとつ。……ただし、巻き添え注意〜
「眠れないのよぉ……!」
月の高い夜更け、ことのは堂の戸がバンッと音を立てて開いた。
現れたのは、ふわふわした銀の毛並みをした猫又のホシ。毛並みこそ上品だが、目の下にはくっきりとクマ。今にも倒れそうな顔で、ことのは堂の主・高道の前に座り込んだ。
「また、寝てないんですか……」
高道はため息をついてから、そっと火鉢に手をかざした。夜風が冷たい。なのに、ホシの方は寒さどころではないらしく、座布団に顔を押しつけてゴロゴロし始めた。
「どうしても夜になると、目が冴えるの。猫又だからかしら……もう三日くらいまともに寝てないのよ。お願い、高道。なんか眠れる道具とか護符とか、ない?」
「そんな都合のいいもの……」
と、言いかけたときだった。
「……あるよ〜♪」
軒先から、やけに呑気な声がした。
振り返れば、障子の影からひょこっと顔を出したのは、あの飄々とした陰陽師・マキビだった。どうやら、今夜は旅の途中で立ち寄ったらしい。
「ねむり護符、いる?」
「それって……効くんですか?」
高道が眉をひそめると、マキビは左の八重歯を見せてにこっと笑う。
「効くよ。そりゃあもう、すやすやよ。昨日も自分で貼って、道端で寝過ごしたもん」
「信用できるような、できないような……」
「はいこれ!」
マキビは懐から、小さな紙切れを取り出した。淡い青の色が、月明かりに照らされてほのかに光る。どうやら本物の護符らしい。
「お布団の枕元に貼ると、穏やかな夢に誘うんだってさ。ま、もらいもんだけど」
「もらいものですか!」
高道が即座にツッコんだが、ホシは目を輝かせて護符をひったくる。
「これで寝られるなら、命の恩人よ、マキビ!」
ホシはそのまま、ことのは堂の奥の一室へ消えていった。
そして——事件は、そこから始まった。
「なんか……静かすぎますね」
しばらくして、高道がぽつりとつぶやいた。あんなにぐったりしていたホシから、寝息すら聞こえない。不自然なほど静かだった。
「……よく効くって言ったでしょ?」
マキビは火鉢の前であぐらをかいていたが、その目もなんだかとろーんとしていた。
「んん〜……なんか、眠くなってきたかも。へへっ……」
ごろり、と寝転がったかと思えば、そのまま高道の膝に頭をのせて、ぐーすかと寝息を立て始めた。
「ちょっ……マキビさん、ちょっと、重いんですけど。おい」
高道は困惑しつつも動けずにいた。こう見えてマキビは、見た目以上にがっしりしているのだ。
「……これは、護符の影響……? まさか、長屋全体に眠気が伝染して……」
冷静な推測をしてみるも、頭がぼーっとする。
あくびがひとつ。まぶたが重い。……これはマズい。
「……ふぁぁ、これはダメだ——」
マキビの頭を腹に太ももに乗せたまま高道も仰向けに倒れ込む。
そのとき。
ことのは堂の戸が、ふたたびガラッと開いた。
「……なんだこの状況」
現れたのは、黒フードの男——朧丸だった。
目の前には、マキビが高道の上で気持ちよさそうに眠っている構図。高道もすやすやと寝息を気を立てている。
「…………おまえら、何してんだ?」
高道が声に気づいてうっすら目を開ける。
「……護符の副作用で、とても眠いんです。」
「ふーん?」
朧丸の顔が引きつったように笑った。ひくり、と目尻が動く。
「……モヤッとするな。すっげえモヤモヤする。なんか分かんねぇけど、ムカつく」
そのままズカズカと近づいてきて、マキビの首根っこをつかみ——
「おい、どけ、マキビ。重いってよ」
ごろん、と無造作にマキビを畳の上へ転がした。
「いてぇ、おいおい……そんな投げ方すんなよぉ……」
寝ぼけ声で抗議するマキビをよそに、朧丸は高道の前に座り込む。
「……で、こっちは平気かよ?」
「ちょっと眠いだけですよ」
「ちょっと眠いだけで、あいつの枕にされてたのか。……寝込みを襲われるとはな、意外にモテるんだな」
「そういう言い方をしないでさください、仕方ないでしょう…」
高道は苦笑しながら、少しだけ姿勢を正した。
「にしても……その護符、効果強すぎないか?」
「たぶん、寝不足すぎるやつが使うと、周囲まで巻き添えにするみたいですね」
「……そんなもん配るなよ、マキビ」
「だって〜、ホシちゃん、すごく困ってたし?」
起き上がったマキビが、ケロッとした顔で笑っている。
「まあまあ、今夜は穏やかに……ねむねむ、すやぁ……」
再び寝た。
「……もう、誰かどうにかしてくれ」
⸻
朝になって、ことのは堂の一室。
ホシは布団の上で、見違えるほど元気な顔をしていた。
「すっごく寝た! すごい夢見たのよ! 金色の魚が空を飛んでて、私それに乗って……ふわぁ〜……」
その隣で、朧丸はマキビの護符をじっと見つめている。
「なあ、高道。これ、安全か?」
「安全?……いや、もう使わせないです」
「俺もそう思う」
そして障子の陰では、相変わらず寝ているマキビの寝言が響いた。
「た〜かみち〜……もう一回、膝枕ぁ……」
「二度と貸さん」
朧丸の声は、今朝いちばん冴え渡っていた。




