第32話「マキビ、護符をバラ撒く」〜騒がしさは、空からやってくる〜
「ねえ高道、あれって……落ちてきてない?」
ことのは堂の縁側で湯呑を手にしていた僕の耳に、座敷童の声が届いた。夕刻、軒先には涼やかな風が通り、簾の隙間から差す陽が茶器を鈍く照らしていた。少し残った茶の香ばしい香りが鼻をくすぐるなか、ふと顔を上げる。
空の上、白いものが風に乗って、ちらちらと舞い落ちていた。
最初は花かと思った。けれど、季節外れの花弁にしては量が多い。まるで、どこかの芝居小屋で祝言でも上がったかのように、紙片が空からふわりふわりと降ってきていた。
「……紙吹雪? いや、違う、これは……」
ひとひらの紙が風に流され、僕の肩へと落ちてきた。和紙の手ざわりがしっとりと肌に伝わる。表には墨の文字で、こう記されていた。
『本日のお主、やたら褒めるべし』
「なんですかこの……予告風護符?」
紙を広げて眉をひそめると、隣にいた朧丸がもう一枚拾い上げて、目を細めていた。彼の肩に斜めに光が差し、銀灰の髪がほのかに透けて見える。
「……これは……陰陽護符……」
和紙の匂いを確かめるように鼻先を寄せ、唇をわずかにゆがめる。
「妙に甘ったるい気配がついてる。感情を引っかき回す系だな」
「誰が空にバラまいたんですか……」
言いかけたそのとき、ことのは堂の表通りから、けたたましい声が飛び込んできた。
「褒められすぎて困ってます!」
「鼻水が止まらん!」
「なんか犬が四匹ついてきた!」
なにやら、ただ事ではない気配がする。
門前にはすでに人だかりができており、町の者も妖の者も入り混じって騒然としていた。浴衣の背に白い紙が張りついていたり、団子屋の姉さんが鼻をすすりながら護符を指さしていたり。まるで町全体が、知らぬ間に妙な祭りに巻き込まれたようだった。
「ちょっとぉ、これって“ことのは堂の新サービス”なんですか!?」
「“犬なつき護符”ってどこで買えるんです!?」
「“イケメンになったような気がする護符”ください!」
「配ってません!」
僕が必死で否定するそばから、ひらひらと空から護符が降ってくる。
「なんか背中に貼りついてたんですぅ」
「鼻がムズムズしてクシャミ止まらないんですがぁ」
「見てくださいこれ! 背中に“褒めちぎられる”って貼ってあるんですけど!」
このままでは、ことのは堂が怪しい護符の配布元にされてしまう。
「……これは、“撒いた本人”を探したほうが早いな」
朧丸が護符の舞う流れを逆に追い、空の一角を鋭く睨んだ。
その瞬間、屋根の上から、明るい笑い声が降ってきた。
「いやぁ〜、いやいやいや、こりゃ参ったね!」
見上げると、ことのは堂の屋根瓦に腰を下ろした男がいた。濃い茶羽織を着流し、肩に護符の束を担ぎ、腰には香袋がいくつもぶら下がっている。髪は少し跳ねていて、頬には無邪気な笑み。左の八重歯がちらりと覗いた。
彼は、猫のように軽やかに身を起こすと、雨樋を足場にして、ぴょん、ぴょんと二段三段、跳ねるように降りてきた。
「まさか風に乗るとは思わんかったよ。いやはや、私の護符、軽すぎたね!」
「……誰ですか、あなた」
僕が問いかけると、彼は羽織の袖を軽く持ち上げ、ぺこりと頭を下げた。
「お初にお目にかかります〜。私、旅の護符売り、名をマキビと申します〜」
「なぜ空から大量の護符をばら撒いたんですか。」
「いやいや、違うんですよ家主どの。あれは“試供品”です!」
「試供品? あのー背中に勝手に貼りつく仕様なんですか?」
「自動人追い型です、すごくない?」
「すごくないです……」
マキビは両手をぶんぶん振って自信満々だったが、僕は見ないふりをして、視線を庭の隅に落とした。
それでも彼は飄々と笑みを崩さず、護符を束ねながら続ける。
「これはね、“ふとした一言”に効く護符なんですわ。背中に貼れば、周囲の感情がちょいとだけ札寄りになる……はずが、風でテキトウに人にくっついたもんだから、思った以上に効き目が強くなっちゃいましてな」
「“はずが”じゃないんですよ……」
朧丸が腕を組み、じっとマキビを見据える。
「この手の護符は、素人が扱えば害にもなる。自覚あるか?」
「おやおや。そちらは……記録使い?」
マキビが目を細め、唇の端を上げた。
「その古めかしい匂い、懐かしいねぇ。記録を喰う妖怪ってのは、そういえば……」
「おい、知ってるような口ぶりだな」
「んー、昔ちょっとだけね。西国の外れで記録守の一派に会ったことがあって。あれも、地味だけど奥深い術でしたなぁ〜」
朧丸が無言でむっとしたので、僕はそっと話を戻す。
「……とにかく、残りの護符を回収してもらえませんか。こっちは被害者の対応をしますので。」
「了解しました〜! ただし条件がひとつ!」
「はい?」
「ことのは堂に、今夜泊めてください。風呂とごはん付きで!」
「……はあ?」
その夜。
ちゃぶ台を囲んだことのは堂の台所には、炊き込みご飯の湯気が立ちこめ、香ばしい匂いが満ちていた。障子越しの灯りが、マキビの笑顔をふんわりと照らしている。
「いや〜、ここ最高ですわ。泊まってよかった!」
「護符の回収、ちゃんとやったんですか?」
「バッチリバッチリ。大半は座敷童さんが拾ってくれましたし〜」
「なぜうちの子供妖怪が働かされてるんですか……」
座敷童は、護符を拾って宝探しのようだったと、目をきらきら輝かせていた。……まあ、無理に働かされたわけではなさそうだから、今回は良しとする。
「……で、なんで護符なんて売ってるんです?」
僕が訊ねると、マキビは茶碗を置いて、まっすぐな瞳でこちらを見た。
「だって、おもしろいでしょ? 言葉じゃ追いつけない人の心に、ほんの少しだけ届くもの。……それが護符の力ってもんですわ」
その目には、意外なほどに真っ直ぐな光があった。
「……あなた、実はまともな人です?」
「失礼な! 私はいたって大真面目ですよ!」
翌朝。
マキビは朝餉の粕汁までしっかり平らげると、ひょいと肩に荷を背負い、軽やかな足取りでことのは堂をあとにした。
「さて、高道どの。またどこかで!」
「次は、空から護符をばらまかないでくださいね!」
「努力目標ということで!」
「今すぐやめてください!!」
その背中に、朧丸がぽそりと呟いた。
「……でも、ああいうやつの護符が、心を救うこともあるのかもな」
「え、今ちょっと褒めた?」
「褒めてねえ。皮肉だ」
「素直じゃないなぁ……」
縁側を渡る風に乗って、どこからか一枚の茶色い紙がふわりと舞い降りた。
それには、こう書かれていた。
『誰かが今日も笑顔でいられる』
「……あれ、もらっときますか」
「……やめとけ。」




