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第3話「化け狸、わが身を悔いる」~自分で選んだ道でも、しばらくは足が痛むもんです~

「ったく……なんで人間なんかに化けちまったんだオレはよォ……」

今夜の客は、頭にねじり手ぬぐい、腹には酒だまりを詰めこんだような見事な太鼓腹。どこからどう見ても、場末の屋台でうっかり人生を語りはじめるタイプの中年男──いや、実際は化け狸である。

うち、「ことのは堂」ではおなじみの顔だ。

ただ今日は、着物を左前に着て足袋を左右逆に履き、鼻の頭にはおでんのからしが乾いてくっついているという、なかなかに散らかった状態でやってきた。

「……まいどどうも。“ことのは堂”の狸枠です」

団子屋か居酒屋か、はたまた芝居小屋か──そんな調子でどすんと畳に座り込み、薄目を開けてこちらを見てくる。

「お久しぶりですね、タヌさん。今日は何かお困りで?」

俺はいつも通りの調子で聞き返すが、心の中では思っていた。

(困ってるどころか、自己嫌悪に全振りしてる顔だな。例えるなら“焼き魚の骨が喉に刺さって三日目の狸”)

タヌは、だらりとした袖から団子を一本取り出し、がぶりと齧った。

「聞いてくれよ、高道……オレはさ、“人間社会で商いして一旗揚げるぜ”って、鼻息荒く屋台出したわけよ」

「たしか……おでん屋さん、でしたっけ?」

「おうよ。狸だって商売できるってとこ、見せてやろうと思ってな。でもな……人間の注文ってヤツは……」

タヌは団子を二口目で丸呑みし、頭をガリガリと掻いた。

「めんどくせぇのなんのって! 『大根しゅんでる?』とか『はんぺんの出汁は昆布?鰹?』とか、いちいち細けぇのなんのって!」

「……まあ、飲食ってそういうもんですよね」

(ていうか、おでん屋やるのに“しゅんでる”の意味知らずに始めたのか……?)

タヌは、火鉢の横にあった急須の蓋を勝手に開けて匂いを嗅ぎ、「あ、これは緑茶だな」とひとり納得して蓋を閉じた。

「こちとら、化かすのは得意でも煮込むのは門外漢なんだよ! “しゅませ方”なんて、狸の教本に載ってねぇ!」

思わずツッコミたくなったが、狸にもプライドがある。ぐっと我慢して、俺は湯呑みに新しい茶を注いだ。

「それで、狸に戻ることも考えていると?」

そう尋ねると、タヌは鼻の下をこすってから、ため息混じりに言った。

「……ああ。正直、最近は“あのまま山でどんぐり食って寝てた方が幸せだったんじゃねぇか”ってな。……山なら誰も“しゅんでる?”とか聞いてこねぇし」

(たしかに山では言わないな。どんぐりに出汁はしみない)


これは、いわゆる「認知的不協和」だ。

自分で決めたはずのことが、時間が経つとしっくりこなくなる。

「決断した自分」と「いま苦しんでる自分」が合致せず、心の中にギャップが生まれる。

──それが、後悔の正体。

「けどね、タヌさん。狸に戻ったところで、また別の不満が出てくると思いますよ」

「……たとえば?」

「たとえば、狸のまま山にいたら、こんなふうにおでん屋で人間と会話もできなかったし、おでん屋で儲ける快感も味わえなかったはずです。……つまり、“あっちがよかったかも”っていうのは、ただの幻想です」

僕は火鉢に炭を足しながら続ける。

「登山を始めて、途中で『なんでこんなきつい道選んだんだ』って思う。でもね、ふと振り返ると、けっこういい景色が見えたりする。そんなもんですよ」

「はん……登山か。山道はキツいもんだよなあ……。オレ、この間、化ける練習しながら登ってて、間違って“獣の姿”で人間の群れに遭遇してさ」

「……は?」

「“野生動物出たー!”って大騒ぎになって、人間たちがが一斉に持ってた杖で武装しはじめてよ。あんときゃ死ぬかと思ったぜ。頭をぽかぽか殴られて、ほんとに痛かったからな」

僕は笑いをこらえきれなかった。

「……すみません、それはお気の毒に。でも、“その程度の痛み”で済んだのなら、まだ大丈夫ですよ」

「おう、まあ……」

「自分の選択に違和感を持つのは、当然なんです。脳は、“過去を書き換えて”でも、今の自分を守ろうとする。でも、それに飲まれすぎると、本当に大事なことが見えなくなります」

俺はそっと言葉を添える。

「商いを始めたタヌさんは、たしかに苦労してます。でも──自分で決めた道を、今も歩いてるじゃないですか。それだけで、十分立派ですよ」


タヌは、鼻をすすりながら笑った。

「……くぅ〜〜、その口調で言われると沁みるなあ。何でだ? 昔はもっとこう、“説教されたら反射的に爪を立ててた”んだけどなぁ……」

「大人になったんじゃないですか?」

「いや、年はとっくに百過ぎてんだけどな」

タヌはぽん、と腹を叩き、立ち上がった。口元には、先ほどとは違う、どこか晴れやかな笑みが浮かんでいる。

「……よし、明日からは新メニュー考える。“化かしきつね鍋”とかさ。狐のツレに協力してもらって、“なんかすごい味”って感じで売ってみるわ!」

「……それ、狐さん怒りません?」

「ん? あいつ、“豆腐メンタル”だからすぐ泣くけど、泣きながら手伝ってくれるんだよ。優しいだろ?」

「……たしかに優しいけど、たぬきよりややこしそうですね」

「そうなったら、また相談にくるわ!」


夜の帳が下りていく。

狸は、酒の匂いと団子の甘さを残して、にやけ顔のまま帰っていった。

翌朝、近所の小道に、新しい屋台が立っていた。

「不思議おでん・化かし仕立て」

のれんの脇には、小さな木札がぶら下がっていた。

“変わってしまったなら、変わったままで、楽しくやろうや。”

たしかに、狸はもう昔の姿には戻れないのかもしれない。

けれど──化けた姿のまま笑っていられるなら、それでいい。

たぬき汁よりもずっと、あったかい気がした。

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