第27話「赤い豆、白い嘘」〜小豆洗いと、“自分のせいじゃない”を洗い流す夜〜
夜の「ことのは堂」に、ぴちゃり、と水音がした。
戸を開ければ、そこにいたのは――
小豆洗い。ずぶ濡れで、ひしゃくを小脇に抱えていた。
「……ごめんくだされ」
「お風呂じゃないですよ」
「ちゃう! 相談に来たんじゃ!」
手ぬぐいを絞りながら、小豆洗いは縁側に腰を下ろした。
「最近な……小豆びたびた事件が続いとる」
町のあちこちで、小豆が勝手に水に浸かってるのが見つかるという。桶の中、樽の中、たまにお櫃の中。
「で、毎度のように、わしが疑われる」
「いや、だって……名乗ってますもん。“小豆洗い”って」
「そんな殺生な……!」
(いや、それで合ってる気がする)
朧丸が渋茶を啜っていた。ぼさっとした風貌は相変わらずだが、今日はやけに静かだ。
「それで、高道。あんた、わしの無実を証明してくれんか?……“話術で妖怪の力を引き出す男”じゃろ? この件、なんとか“ことのはで収めて”くれんか」
翌朝、僕と朧丸は、最近の“水没小豆”事件が起きたという納屋へ出向いた。
「桶の中で、小豆がぷかぷか浮いてたんだよ」
米屋の主は憤慨していた。
「誰かが夜にこっそり入って、水を張ったんだ」
「納屋の鍵は?」
「……か、かけ忘れてたかもしれん」
「ふむふむ。自分のミスは伏せて、他人のせいにしてる構図ですね」
「……え?」
「いや、こっちの話です」
(自己奉仕バイアス。人は、自分に都合の悪い事実を認めにくいんだよな……)
朧丸が不意に、巻物から目を上げる。
「鍵を忘れた奴が、他人の仕業にしたがる。なら、お前さんも気をつけろよ、高道」
「僕?」
「“米屋の主”だと思い込んでないか」
(……するどい)
その夜、納屋の影に潜み、待つこと数刻。
月が傾いたころ、ひた……ひた……と足音が近づいてきた。
「あれ……?」
桶の前に、しゃがみ込む影。
手にしたひしゃくで――小豆を、水にすくって入れている。
「……やっぱり、あなたじゃないですか」
「ま、待て! わしじゃない、これは……その……練習!」
「洗いの練習!?あなた…ほんとは洗いたくてうずうずしてたんじゃないですか?」
「ち、ちがう!」
「じゃあなんで小豆持ってるの!」
「そ、それは……“犯人の気持ちを理解するための”……!」
(俳優か!? 役作りか!?!?)
朧丸が冷めた目でぽつり。
「やっぱ、こいつが犯人だろ」
「わしじゃない!証拠がたらんじゃろ!」
「いやいや、今この瞬間が証拠ですって!」
ところが――
その時、納屋の裏から、かすかな衣擦れの音がした。
「……誰か、いますね」
朧丸がふっと立ち上がり、戸をそっと開ける。
そこには、米屋の老婆がしゃがんでいた。
「……また余ったんだよ、小豆が」
「どうして、水に?」
「売れない豆を捨てるには、誰かのせいにした方が楽なんだよ。小豆洗いのせいにすれば……自分は悪くないって思えるから」
老婆の声は、震えていた。
帰り道。
僕はぽつりと呟いた。
「……自己奉仕バイアス、か」
「なんだ、それ?」
朧丸が不思議そうに聞く。
「“自分は悪くない”って、無意識に信じたがる心のクセ。失敗しても、“他人のせい”“状況のせい”って考えがちになるんです」
「ふん。そんなもん、妖怪にもあるさ。いや、むしろ多いかもしれん」
「そうかもですね……」
気づかないうちに、自分をごまかしてる。
記憶を“洗う”ように、都合よく。
⸻
翌日。
「……実はな、高道。昨夜も、わし、夢で洗っておった」
「え?」
「目が覚めたら、手が濡れとったんじゃ。無意識に、やっとるのかもしれん……」
「つまり、自分で自分を信じられなくなってる?」
「そう、かもしれんのぅ」
「……でも、それって実は“ちゃんと自分を疑えてる”ってことですよ」
「え?」
「自分は絶対悪くないって言い張る人より、よっぽどまっとうです」
「……ほう。そういうもんかのう」
縁側で、小豆洗いがしずかに言った。
「もう、小豆は洗わん」
「それは、自分を止めるために?」
「いや、どこまでやったか覚えとらんのじゃ。誰のせいにしてきたのかも、自分のせいかも、よう分からん。でも……それなら、最初から洗わん方がええ」
「それで、納得できるなら」
「できんよ。……でも、誰かが、わしを止めてくれるかもしれん」
「……そのときは、声かけますよ」
お茶を淹れようと縁側を後にして台所に立つと、僕は、ふと自分の手に目をやった。
爪の隙間に、赤い豆の皮が、ひとつだけ挟まっていた。
(あれ……これ、いつ……)
僕は知らない。
その夜、ほんとうに納屋にいたのは、誰だったのか。
真犯人は、小豆洗いか、老婆か、それとも――
……僕だったのかもしれない。




