第17話「助けられるなんて、冗談じゃねえ」 〜信じたくないのに、あいつの声は真っ直ぐ届くんだ〜
夜の市中を駆け抜ける。
満月の明かりが静かに照らす先を、暴風のように駆ける黒い影が一つ。
それはただの風でも、ただの妖でもない。
古い封札の呪が暴走していた。
それに引き寄せられた者は、呪に触れると、**“過去の記憶”**を暴かれ、心ごと呑まれてしまう。
そして、記憶が心だけに留まらず、肉体にも干渉し始める。
今夜——
その呪にかかったのが、朧丸だった。
⸻
「っち……なんだよこれ……!」
瓦が割れ、木々がざわめく中、朧丸の叫びが夜に響く。
彼の気配を、高道は遠くから察知していた。肌を刺すような霊気、張り詰めるような空気。あの昼寝常連妖怪にしては、異常すぎる。
「……まさか、朧丸が……」
(さっき団子食って昼寝してた奴が、これかよ)
高道は、懐からお守りを取り出す。
掌の中で淡く脈打つ青い光。
霊的な力を感知し、流れを鎮めるための護符。何年か前に、老坊主がくれた護符。老坊主も高尚な僧から譲り受けたそうで、危機が迫る時に助けてくれると譲り受けた。今まで、ビクともしなかったのに今夜は、恐ろしいほどに光っている。
「……行くか」
(まさか、本当に光るとは。朧丸、大丈夫か)
高道は、ことのは堂の戸を閉め、足早に朧丸の霊気の渦へ向かった。助けを求めるように、木々が葉枝を大きく揺らしている。
「…朧丸」
まがまがとした呪符の霊気の中心には、朧丸がいた。
荒れた霊気の中、正気を保とうと、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
古文書、記憶、感情、嘘、誠……
呪は彼の記憶を、まるで暴力のように剥き出しにしていた。
中でも、ひときわ強く反応したのは——“騙された記憶”。
「……やめろっ……今さら……!」
——信じた者に裏切られた夜。
——約束したはずの言葉が、あざ笑いに変わった瞬間。
——「お前の言葉なんか、誰にも届かないよ」と言い捨てられた、あの声。
「うるせえってんだよ……っ!!」
風が唸り、視界が歪む。
記憶が暴れ、己を呑み込もうとしていた。
「——朧丸!」
届いた声。
耳が知っている、あの人間の声。
「高道……っ? なんで……」
朧丸が振り返ると、瓦礫を踏み越えて高道がやってきた。
暴風の中、一歩、また一歩。
揺れる霊気の中を、迷わず進んでくる。
お守りの光が、彼の掌から静かに揺れていた。
「誰が言った、“お前の言葉は届かない”って」
「……っ!」
「僕には届いてるよ。朧丸、お前の言葉も、沈黙も、昼寝中の寝言も」
「そ、それはいらねえ情報だろ!」
「いやけっこう無視できないこと言ってるんですよね、あれ。例えば…“そこはやめろ、くすぐったい…っ”って言ってました、誰にどこを触られているのか、割と衝撃でした。あ、他には…」
「や、やめろっ!! なんで覚えてんだお前ぇ!」
いつもの日常のようなやりとりの裏で、何かがゆっくり解けていく。
「冗談はさておき……朧丸、何も言わなくていいよ。でも、ここに、ことのは堂にいるってことは、もう一度誰かにお前の言葉を届けたかったんだろ?」
「…………」
次の瞬間——
朧丸の目の奥で、記憶の渦がふっとほどけた。
重くのしかかっていたあの記憶が、風に流れていく。
フードが、風に飛んだ。
あらわになった素顔は、いつものぼさぼさからは想像できないほど整っていた。
銀髪は短く揃い、瞳は鋭さの奥に、どこか眠たげな優しさ。
ふっと笑えば、まるで兄のような、包み込む温かさがあった。
高道は、その顔をまっすぐ見ていた。
「……見たな?」
「見ました」
「……ちょっと、かっこよかったろ?」
「まあ、認めざるを得ませんね。かなりのイケメンでした」
「……(冗談のつもりだったのに、真顔でそういうこというか)」
「その顔で猫背フード生活とか、妖怪界に謝ってください」
「……うるせぇ……///」
青く輝いていたお守りの光がさらに激しく輝くと同時に朧丸を取り巻いていた霊気が、吸い込まれるように消失した。お守りは、高道の掌でまた、いつものように静かさを取り戻した。
高道は朧丸の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。自分の肩に手を回させ、支えながらゆっくりと歩き出す。
しばらく黙っていた朧丸が、ぽつりとこぼす。
「……助けられるって、こっ恥ずかしいな……こんな情けねぇ姿、誰にも見せたことなかったのに」
その声は、どこか子どものように不安定で、顔は今にも泣き出しそうだ。だけど正直な朧丸の気持ちが伝わってきた。
(あー……今の声、男の僕でもちょっとグッときたかもしれない。それに、あの顔面は反則だろ)
(なんでだろうな。こいつ、やたら気になる……)
「……なぁ、高道」
「はい」
「“届いてる”って……さっき言ったよな」
「言いました」
「……信じても、いいか?」
「僕は、嘘つけませんから」
その返事に、朧丸は少しだけ目を伏せて、ふっと笑った。
それは、どこかようやく“自分”を取り戻した者の笑顔だった。
風が止み、月が雲間から顔を出す。
夜の市中は、静けさを取り戻していた。
朧丸はもう、フードをかぶっていなかった。
照れくさそうに後頭部を掻きながらも、ちゃんと前を向いて歩いていた。
その背中は、さっきよりずっと軽くなっていた。




