第103話「ヨイノ国見聞録」〜フィールドワークは歩いてナンボ〜
朝。
雀の鳴き声とともに、ことのは堂の屋根がきらきらと光っていた。
昨日までただの大学講師だった高道は、今や「言葉の巫」と呼ばれる存在になっている。
……本人の了承は、まだ取れていないが。
「巫さま、今日こそは外を歩かれませぬか?」
戸口から顔を出したのは、近所の狐の青年・ホムヤだった。耳がピコピコ動く。
「ヨイノの町を知らねば、巫の務めも果たせませぬゆえ」
「……“巫の務め”って、いつの間にそんな役職が確立されたの」
「昨日の夜の町評議で決まったそうです」
「決まるの早っ!」
こうして、強制的フィールドワークが始まった。
通りに出ると、まず目を引くのは人と妖怪が並んで暮らす光景だった。
魚の顔をした八百屋が威勢よく大根を売り、猫耳の娘が簪を選んでいる。
遠くの屋台では、河童が団子を焼きながらスマートフォンのような板をいじっていた。
……いや、どう見てもスマホだ。
江戸風の町並みに、微妙に現代っぽいガジェットが混じる違和感。
高道は思わずメモ帳を取り出す。
「ふむ、“時代的整合性の欠如”……いや、“文明混在型異世界”。これは論文になるな」
ホムヤが苦笑した。
「ここはヨイノ国。古と今が入り交じる“はざま”の国でございます。
人の願いや想いが強く残ったものが形を持ち、妖として生きる。
けれど、人の世と違って、ここでは時の流れがゆるやかでしてな」
「なるほど……“心理的遅延現象”の世界版か」
「なんだか難しいことを仰いますな」
通りを歩くと、行灯の灯がゆらゆらと揺れ、紙風船が風に乗って舞う。
空気には醤油と焼き魚の匂い。
通りの端には、井戸端会議中の老婆たち――ただし片方は小泣きジジイ(?)だった。
「巫さまや。腹が減ったでしょ、寄ってきなさい」
勧められたのは、笹の葉に包まれたおにぎり。
塩の代わりに、ほんのり甘い味がする。
「これは?」
「“夢塩”と呼ばれる調味。夜露から採るのさ。食うと夢見が良くなるんだよ」
「夢塩……。興味深い。ナトリウム濃度の代わりに情緒値が高いのか……」
研究者魂が疼く。
さらに市場の奥へ進むと、屋台の男が威勢よく叫んだ。
「へい、五百文……いや五百円だよ!」
耳を疑った。
「円? ここにも円があるの!?」
「そりゃそうさ。うちは文明国だ。紙っぺらは信用できねえから、全部貨幣だよ」
彼が見せた財布の中には、現代日本とまったく同じ硬貨が並んでいた――ただし、千円玉も五千円玉も一万円玉もある。
サイズがデカい。持ち歩くと筋トレレベルだ。
「つまり……紙幣はなく、完全に“金属経済”なんだな」
「えれぇ専門用語だが、まあそうだな」
ホムヤが笑って肩をすくめる。
「人の世界では信用が“紙”に宿る。けれど、この国では“重み”が価値になるのです。
だから、言葉も同じ。軽い言葉より、重みある想いが通る」
高道はハッとした。
この国の通貨体系は、言葉の哲学に似ている。
――重さこそが、信頼になる。
どんな心理学の教科書よりも、示唆に富む世界だ。
昼時になると、通りの茶屋から湯気が立ちのぼる。
木の札には「定食(煮魚・味噌汁・夢塩おにぎり)」「天ぷら」「親子丼」「ナポリタン」……
ナポリタン!?
「ホムヤ君、これ、異文化侵入してない?」
「ヨイノの国は他の国とも繋がっておりましてな。風の門をくぐれば“洋の国”“香の国”へも行けます。
そっちは洋食や中華が主でございます」
「マルチワールド構造……! つまり文化交流がリアルタイムで起こるのか!」
ホムヤはポカンとし、「とりあえず食べましょう」と席を取った。
茶屋の女将(人間だが背中に小さな羽根がある)が湯気の立つ茶を運んできた。
香ばしい麦茶の香り。湯呑の縁に月の模様。
どこか懐かしい感覚に、高道の肩の力が抜けた。
「それにしても……」と呟く。
「みんな、妖怪って言っても、普通に働いて、笑って、喧嘩して。人間と変わらないな」
「ええ。だから時に、人と妖の境も曖昧になる。
――けれど、違いは一つだけございます」
「違い?」
「妖は“言葉”で生まれる。人が名づけたもの、噂、願い、嘆き……そうした“声”が形を持つのです。
だから、巫さまの力が”ものすごく”効く。人間の比じゃないのです」
高道は湯呑を見つめた。
その表面に、かすかに文字が浮かんでいる気がした。
“ありがとう”と。
昼の光の反射だと思ったが、胸の奥が温かくなる。
そういえば、この国に来てから、誰かに礼を言われるたび、周りの空気が少しだけ柔らかくなるような気がしていた。
「……この国では、言葉が本当に“力”なんだな」
「はい。言の葉は、風に乗って形を持つ。
人が嘘をつけば風が濁り、真心を語れば光る。
だからこそ、巫さま――“聞く者”が必要なのです」
風鈴がチリンと鳴った。
その音の余韻に、どこか現代にはない穏やかさがあった。
高道はそっとメモを閉じ、笑った。
「なるほど。心理学のフィールドワークって、結局“人の世界を歩くこと”なんだな。
――異世界でも、やることは同じか」
そのとき、通りの向こうで子供の声が上がった。
「巫さまー! ことのは堂にお客だってー!」
見ると、慌てて駆けてくるのは小さな河童の子。
手には、破れた封筒。中から薄光る札がちらりとのぞいていた。
「おおっと、早速研究材料――じゃなくて依頼、か(日本に帰る方法もわからないし、しばらくこの国で生きていくしかいないのか。)」
高道は立ち上がり、狐の青年とともに歩き出す。
午後の光が町並みに降り注ぎ、瓦が金色にきらめいた。
その真ん中を、“江戸風異世界の巫”が歩いていく。
周囲の妖たちが囁いた。
「聞くだけで人を救う巫だってよ」
「ほんとかねぇ、けど、なんか風があったかくなるな」
高道は思った。
――この国の謎は、まだまだ山ほどある。




