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第102話「言葉の巫、就任?」〜言霊の風、はじめて吹く日〜

目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは「青」だった。

空の青、瓦屋根の青、そして遠くの山並みまで、墨を溶かしたような澄んだ青。


「……え、ここどこ?」


 寝転がっていたのは、畳ではなく、藁の上だった。

 頭の下でカサカサと音がする。視界の端に、金色の影――例の招き猫が、ちゃっかり隣に座っていた。

 どこまでもついてくる執念に、もはやツッコミすら出ない。


 見渡せば、木造の家並み。暖簾には日本語の文字。

 人々が和服のような衣をまとい、だが耳が尖っていたり、尻尾が見えたり。

 魚の顔をした男が魚屋を営み、女将らしき猫が客と値切り合いをしている。

 ――人間と妖怪が共存する、不思議な町。


「こ、ここは……夢の続き? 異世界テンプレってやつ? いや、脳がストレスで作り出した心理的防衛……!」


 必死に現実逃避を試みるが、背後から声が飛んだ。


「おおっ、かんなぎさまが目を覚まされたぞ!」


 振り向けば、頭にタコのような触手を生やした男が、感涙していた。


「ま、待って、誰が巫さま!? 僕ただの大学講師で、心理学しか専門じゃ──」


「おぉ、やはり言葉が通じる……本物じゃ!」


 男は感極まったように土下座した。周囲の妖たちまで、ぞろぞろとひざまずく。

 背中の毛がぞわりと立った。


「いや、通じてるのは偶然です! ていうか帰りたいです! 研究データが!」


 だが訴え虚しく、あれよあれよと神輿に担がれ、町の中心へ。

 どうやら「神の使い」が降り立ったらしい。

 根拠は金の招き猫が喋った(らしい)という目撃証言。おい、猫、お前か。


 辿り着いたのは、長屋の建物の一角。

 ボロボロの柱にはかろうじて「ことのは堂」と読める、ボロボろの木札がぶら下がっていた。

 ……なにそのネーミング。


「本日より、巫さまには“ことのは堂”をお任せいたします!」


「いや、任されても困ります! 僕、ただの大学の講師なんです!」


 しかし、押しの強い妖たちはまったく聞く耳を持たない。

 机の上にはすでに茶が用意され、「初仕事」を待つ妖怪たちが列をなしていた。


 一番手は、赤ら顔の狸。

「最近、嫁はんが冷たいんでな。ワシ、何か悪いこと言うたんかのう?」

 そんな相談に対し、高道は半ば自動反応で頷いた。


「うーん……言葉の“意図”と“受け取り方”がずれてるのかもしれませんね。

 たとえば、“うまくやれ”って言葉、励ましにも圧にもなり得る。相手の心の状態次第で」


 狸は「なるほど」と目を丸くし、そのまま帰っていった。

 数分後、境内の向こうから「ありがとうな!」という声が響く。

 見ると、狸が笑顔で嫁に花を渡しているではないか。


「え、え? なんで即解決してるの!? 僕、ただの分析しただけで……!」


 二番手、三番手と続く。

 喧嘩中の妖狐の姉妹、仕事に疲れた河童の若旦那。

 高道が「どう感じたのか」「どんな言葉が嫌だったのか」を丁寧に聞くだけで、皆なぜか表情が和らいでいった。


 気づけば、列が途切れない。

 神社の軒下で、夕暮れの風が鈴を鳴らす。

 ひと息つく間もなく、最後に現れたのは、片目に布を巻いた鬼の男だった。


「……人を信じられねえ。言葉なんざ、嘘の道具だ」


 その声には、鋭い棘があった。

 高道はそっと、机の端に置いた金の招き猫を見た。

 この異世界に来てから、ずっと黙っているその猫が、まるで「聞け」と言っているように見えた。


「嘘を言う言葉も、傷を癒す言葉も、同じ“音”でできてるんですよ」

「……は?」

「大事なのは、“使う側”の意味づけです。

 たとえば“ありがとう”だって、心が伴わなければ空っぽだし、

 逆に“バカ”でも、愛情が混じれば笑いになる」


 鬼は黙り込み、拳を下ろした。

 しばらくして、かすれた声で言った。


「……母ちゃんがよ、よく言ってた。

 “お前はバカだねえ”って、笑いながら。……あれ、好きだったな」


 目尻に、ほんのり涙が光った。


 その瞬間――風鈴がひとりでに鳴り、境内の灯籠がふわりと灯った。

 光の中で、金の招き猫の目が柔らかく光り、高道の胸の奥がじんわりと温かくなる。

 まるで誰かが「よく聞いたね」と囁いたような、そんな感覚。


 外に出ると、空には満天の星。

 町の明かりが遠くまで滲んで、妖も人も入り混じって笑っている。

 その光景を見ながら、高道は小さく呟いた。


「……“聞く”って、すごいな。言葉を使わなくても、人って変わるんだ」


 その足元で、金の招き猫が「ニャ」と鳴いた――気がした。


「え、今鳴いた!? 喋った!? ちょっと待っ……」


 振り返ると、境内の灯が一斉に揺れた。

 次の瞬間、猫の口から、かすかな声が漏れる。


「言の葉は、人の心を映す鏡なり。巫よ、まだ“帰る”には早いぞ」


「いや、帰りたいけど!? てか今の誰のセリフ!?」


 叫ぶ高道の声をかき消すように、風が吹き抜けた。

 落ち葉が舞い、風鈴が鳴る。

 その音がどこか楽しげに聞こえたのは――きっと気のせいじゃない。


 こうして、“言葉の巫”・高道の奇妙な活動は幕を開けた。


 彼が後に、ヨイノ国の人妖たちに“心を聴く者”と呼ばれることになるのは、もう少し先の話である。

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