第10話「以津真天、いつまで泣いてるの」~それ、もう終わった話でしょ?って言われるけど~
「……いつまで……」
ことのは堂の軒先で、ずっとしゃがみ込んでいる影があった。
「……いつまで……」
その声は、風の中で微かに震え、どこか物悲しい。
(……来たな)
高道は静かに湯を沸かしつつ、ちらりと目線を送る。
「……以津真天さんですね?」
「……いつまで……」
「返事になってませんよ」
「……あっ、はい……すみません……」
(返事できるんかい)
以津真天は、
死者の未練や後悔、言い残したことを喰って生きる妖怪。
本来は“過去に囚われる者”に現れる存在のはずが、
本人自身が過去の未練に囚われていた。
なんたる本末転倒。
「……あの人に、ちゃんと“ありがとう”って伝えられなかったんです。だからずっと、“いつまで……”って……そればかり……」
「伝えられなかった?」
「はい。あの人、先にあちらへ行ってしまって……気づいたときにはもう……」
「なるほど。それで“いつまで”って自分に言ってるんですね」
「……はい。“いつまで後悔してるの?”って、ずっと自分に……」
(うん……これは、“自己呪縛型の以津真天”)
(自分を責め続けてるパターン。これはなかなか厄介だ)
(ちなみに“他責型以津真天”もいて、“なんで言わせてくれなんだ!”って
深夜の橋の上でわめくタイプ。あっちはもっと厄介)
「以津真天さん」
「はい……」
「その人、あなたが苦しんでるのを見たら、どう思うと思います?」
「……え?」
「“ありがとうが聞きたかった”とは思っても、あなたがずっと後悔で立ち止まってたら、“もう、先へ行っておくれ”って思うんじゃないですか?」
「…………」
「それに、言葉って、言えなくても伝わること、ありますよ」
(後悔って、心に居座る“化石”みたいなもの)
(磨けば記憶になるけど、放っておくと“動けない石”になる)
(本人の口から“ありがとう”って言えたら、やっとその石が土に返る)
「……じゃあ、今からでも、いいですか?」
「ええ、誰も止めません」
以津真天は、小さく息を吸い込んで、目を閉じて——
「……ありがとう。ありがとう……!」
その声は、不思議なくらい澄んでいて、
確かに“届いた”気がした。
と、その瞬間——
「……あ、あと、“あのとき笠を貸してくれてありがとう”も……!」
「ん? それ、誰です?」
「三年前に出会った旅の侍です。雨の日に、私がずぶ濡れで……」
「ええと、どのくらい溜まってるんですか?」
「それと、“煮染めのお裾分け、美味しかった”ってお隣のご隠居にも……!」
「いや、それ“ご近所お礼詣で”になってますよ!?」
以津真天、まさかの“ありがとう千本ノック”を発動。
「……“すまなかった”もありますが、よろしいでしょうか?」
「増えた!? あ、これは長くなりそうだな……お茶、おかわりですね」
⸻
(“いつまでそんなこと言ってるの?”って、よく言うけど)
(“いつまでだって、言っていい”んだよ。終わらせたくない時は、終わらせなくていい)
(でも、もう一歩だけ進めるなら——それが、生きてるってことだ)
以津真天の影は、ゆっくりと立ち上がり、朝焼けの空へ溶けていった。
小さく羽ばたくその姿は、もう泣いていなかった。
高道の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
(長かった…)




