第7章:バトルマリーナ、ユウキvsナズ
戦いが始まるその瞬間。
観客の声が消え、時間が止まったかのような静けさが訪れる。
だが、その沈黙の奥にあるのは、二人の少女が背負ってきた過去と決意の重さだった。
一見すればただの一戦。だが、これは単なる勝負ではない。
誤解、憎しみ、葛藤、そして絆——
すれ違い続けた姉妹が、ようやく正面からぶつかり合う瞬間が来たのだ。
水と怒りがぶつかり合い、深い海のような想いが解き放たれる。
舞台は整った。
過去を断ち切るのは、今——。
(フラッシュバック。
一面に咲く白い花が、柔らかな風に揺れていた。空は澄み渡り、まるで絵画のような光景。
…だが、その美しさの中には、見えない緊張感が漂っていた。)
「誰、この子?」
冷たい目をした黒髪の少女がつぶやいた。十二歳のユキだった。
アフロディーテは優雅に立ち、柔らかく微笑んだ。
「彼女はあなたの妹よ。名前はナズ。」
ユキは眉をひそめ、一歩下がった。
「何言ってるの? 全然似てないじゃない。」
「分かってるわ。でもね、それでも本当の姉妹なの。」
(そのとき、まだ幼かったナズが一歩前に出て、小さく声を発した。)
「ユ…ユキ…」
「話しかけないで。あなたなんか、家族じゃない。」
ユキはくるりと背を向けた。
(ナズはその場に立ち尽くし、白い花びらが静かに舞った。)
「私のこと…嫌いなのかな…」
「違うわ。ただ…彼女は時間が必要なだけ。ユキは…少し難しい子なの。」
「そう…なんですね…」
(数日後。
即席の訓練場に、アフロディーテと二人の少女が立っていた。)
「今日から、GODSの試験に向けた訓練を始めるわ。」
「え? でも…試験を受けるのは、17歳になってからって言ってたじゃん。」
ユキは不満そうに眉を上げる。
「そう。でももう時間がないの。あなたたち二人には才能がある。けど、他の受験者たちはもう何年も前から訓練を始めてるわ。」
「そんなこと、どうして分かるの?」
「2年前、オリュンポスの神々12人で会議を開いて、そう決めたのよ。」
「それならなんで…今まで何も言わなかったの?」
「あなたには、まだ早いと思って。」
「またそれ? いつも“早い”って逃げるじゃん! 父親のことも隠したくせに!
なのに、急に知らない子を連れてきて“妹よ”って…信じろって言うほうが無理!」
「大人になれば、分かるわ。」
「ふざけんなよ!」
ユキが地面を拳で叩くと、大地がひび割れた。
「ユキ! 落ち着きなさい!」
「命令するな!!」
(ユキの背後に、巨大な影が現れる。それは水でできたメガロドンの姿だった。)
アフロディーテは目を見開く。
「まさか…!」
(その瞬間、ナズが背後から現れ、ユキの首筋に一撃を加えた。ユキはそのまま意識を失い、ナズの腕の中に崩れ落ちた。)
『いつの間に、あんな場所に…』
最後に浮かんだ思考を残して、ユキは気を失った。
「ありがとう、ナズ。」
「…いえ、当然のことをしただけです。」
(しばらくして、ユキは目を覚ました。目の前には、静かに座るナズの姿があった。)
「やっと目が覚めたね。」
「なにしてんの? こんなとこで暇つぶし?」
「ただ、心配だっただけ。」
「心配する必要ない。お前なんか、私を殺せるほど強くないし。」
「それは分からないよ。さっきの私は…本気を出してなかった。」
「つまり、やっぱり弱いってことか。」
「どうして私を嫌うの? 私…何かした?」
(ユキはじっとナズを見つめた。)
「何もしてない。ただ…あの女と関わりがあるってだけで十分。」
「“あの女”? アフロディーテのこと?」
「そう。私は彼女が大嫌い。彼女に関わるもの全てが…嫌い。」
「どうして?」
「…関係ない。」
「私には関係ある。だって、その理由が私を嫌う理由なんでしょ?
だったら、ちゃんと理解したい。」
(ユキは少し沈黙した後、小さく息を吐いた。)
「……分かった。話してあげる。」
(その声には、長い沈黙を破る決意がにじんでいた。)
(ユキはそっと目を閉じた。言葉を探すその表情には、痛みが滲んでいた。)
「…昔、アフロディーテに出会った頃、私は孤児だった。両親は死んだって、そう聞かされてた。」
(二人は木陰に座っていた。夕焼けが空を朱に染めていく。)
「彼女が孤児院に現れて、私を引き取ってくれるって言ったとき…これが新しい人生の始まりだって、そう思った。あんなに嬉しかったのは、久しぶりだった。」
(しかしユキの表情は次第に硬くなる。)
「でも年月が経つにつれて、彼女は冷たく、厳しく、そして遠くなった。
“強くなれ”“訓練しろ”って、そればかりで…遊ぶ時間も、優しさもなかった。」
(ナズは静かに耳を傾けていた。)
「そして…あの夜。全部を知ったんだ。父親は死んでなんかいなかった。ただ…私を捨てた。」
(場面が切り替わる。
疲れた表情の男とアフロディーテが、どこかの部屋で口論している。)
「何のつもり?」
アフロディーテが軽蔑を込めて言う。
「娘に会いに来た…」
男の声は震えていた。
「あなたと私は、私が育てるって決めたはずよ。」
「それでも…娘なんだ。せめて一度だけでいいから会わせてくれ。」
「“娘”? 彼女が何か分かってる? 彼女は半神よ。お前には制御できない怪物なの。」
「そんな呼び方するな! ユキは…ただの子供だ! 私の大切な娘だ!」
「黙れ、下等な人間。あなたごときが、私に口答えするなんて。」
(男は膝をつき、必死に懇願する。)
「…お願いだ。せめて一度だけでいいから…!」
(アフロディーテは薄く笑みを浮かべた。)
「いいわ。見せてあげる。」
(その瞬間、男の胸を何かが貫いた。光の槍だった。
彼は崩れ落ち、床に血が広がっていく。)
「…あの世から、ね。」
「な…ぜ……」
(アフロディーテは冷酷に笑った。)
「あなたの感情なんて、最初からどうでもよかったのよ。
あなたは、私の目的のための道具にすぎないわ。」
「ユ…ユキ……」
(部屋の隙間から、小さな少女がすべてを見ていた。
涙を浮かべたその目は、絶望で濡れていた。)
(少しの沈黙のあと、ユキは低くつぶやいた。)
「…その日、私は知った。
神様だって…化け物なんだって。アフロディーテは私を守ってたんじゃない。
ただ、自分の理想に私を作り変えようとしていただけ。」
「……ごめん、知らなかった…」
ナズがぽつりと呟いた。
「別にいいよ。知ったところで、何も変わらない。」
(ナズは目を伏せた。しばらくの沈黙。)
「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「何?」
「ユキは、本当にここにいたいの?」
「……は?」
「分かるよ。あなた、本当はここにいたくないんでしょ。
その目が…すごく寂しいから。」
(ユキはすぐに返事をしなかった。
やがて、ぽつりと答える。)
「あなた、何も分かってない。
アフロディーテの手からは、誰も逃れられないの。」
「一人じゃ無理でも、二人ならどう? 一緒なら、きっと逃げられるよ。」
(ユキは驚きに目を見開いた。)
「何を…考えてるの?」
(場面転換。
GODSの本部、緊急通信が響く。)
「アフロディーテ様! ユキとナズが——!」
(雑音。
叫び声が混じる中、アフロディーテは静かに目を開けた。)
「ふふ…ついに目覚めたわね、あの子の中の“怪物”が…
でも逃がさないわよ、ユキ。」
(森の中。
ユキとナズは全速力で駆けていた。)
「山を越えれば、境界の外に出られる!」
「ユキ…あなたは逃げて!」
「は? 何言ってんの!? 一緒に行くに決まってる!」
「お願いだから、もう行って!」
(その瞬間、森全体が凍りついたような巨大な気配に包まれる。)
『来たか…』
ナズは歯を食いしばる。
「いやだ、絶対に置いて行かない!」
「じゃあ…お願い、聞いて。」
(ナズは静かに顔を向ける。
その目に浮かぶのは、深い悲しみだった。)
「私たちの父親、名前はレイ・ツカ。
あなたのこと、ずっと愛してたよ。」
「“私たちの”…? それって…」
「そう。私たちは…本当の姉妹だよ。」
(一筋の涙がナズの頬を伝う。)
「ユキ、もう少し…自分のことも大事にしてよ。
そのままじゃ…一生彼氏できないよ?」
「何言ってんの!?」
(足元に、突如ポータルが開く。)
「ナズ!? やめろ!」
「バイバイ、ブス。」
(笑顔のまま、ナズは手を振る。)
(ユキの身体がポータルに吸い込まれていく。
画面が暗転し——静寂。)
(戦場の砂が、二人の足元で震える。観客は息を呑み、ユキとナズが静かに向かい合う。)
「……あの日以来、もう二度と会うことはないと思ってた。」
ユキが静かに呟く。
「私も……あなたはこの世界から完全に逃げ出したと思ってた。でも今のあなたを見て……」
ナズの視線は揺るがない。
ユキはゆっくりとうなずく。
「私には私の目的がある。個人的なことじゃない。」
「私も同じよ。」
(観客席上段。ゼウスが立ち上がる。)
「――戦いを始めよ!」
(爆発的なエネルギーがアリーナを揺らす。ナズの背後に、巨大な海竜の幻影が現れ、水の塊となって空をうねる。)
「なっ……何この力……?」
ユキの目が細まる。
「何年もの訓練と敗北の結果よ。」
ナズは静かに返す。
(次の瞬間、ユキのオーラが溢れ出す。溢れかえる河のように、アリーナを濃い蒼で満たしていく。まるで全てが海の底に沈んだかのよう。)
「……素晴らしいわ。」
アフロディーテが高揚した声を漏らす。
「君の娘は、君から離れて強くなった。」
腕を組みながら、シュンが淡々と言う。
アフロディーテは目を細め、彼に向き直る。
「どういう意味?」
「君自身が言っただろう。彼女には可能性があるって。でも、その可能性を止めていたのは君だった。今、君から解き放たれて――その力は自由に流れている。」
「……私がいない方が強くなったっていうの?」
「言ってるんじゃない。事実だ。」
(アフロディーテは歯を食いしばるが、それ以上は言わない。)
(ナズは心の中でつぶやく。)
「この感じ……あの時と同じ。ユキって、やっぱりすごい。」
「――水の術式・液体分身。」
ユキがささやく。
(湿った地面から、ユキと同じ姿の分身が現れ、ナズを取り囲む。)
「分身? 私のことを、そんなに弱いと思ってるの?」
ナズの眉がひそめられる。
(分身たちが一斉に襲いかかる。ナズは怒りをこめて、それぞれを鋭い斬撃で切り払っていく。)
「ユキ! 一体何を考えてるの?! その程度の技、あなたには似合わない!」
ユキは一歩も動かない。
「……あなたに全力を出す必要はない。」
「――私をなめないで!!」
(ナズが構えを変える。)
「水の術式・海竜の咆哮!!」
(背後から巨大な水竜が二体現れ、咆哮とともにユキに襲いかかる。)
(――これを待ってた。)
「……ナズ、戦いを楽しみたい。でもそれ以上に、私は前に進みたい。」
「なら、本気で来なさい。全力で!」
「水の術式・ダークメガロドン!!」
(深海から現れる巨大な影。青と黒の闇をまとうサメが、開いた顎で突進する。二つの技が衝突し、アリーナ全体が震える。観客席まで揺れ、叫び声が上がる。)
(ナズの鎧が軋み、ひび割れ始める。)
「まずい……このままじゃ直撃する!」
(なんとか軌道をずらし、サメをかわすナズ。しかし――)
「……ユキはどこ?!」
(水の鎖が背後から襲いかかり、ナズを捕らえる。)
「いつの間に……?!」
「最初からよ。さっきのは、全部ただの囮。」
「じゃあ……まだ本気を出してなかったの?」
(ユキは目を閉じ、静かに息を吐く。)
「今の私があるのは……あんたのおかげ。だから、全力で戦うのが礼儀よ。」
(ユキの周囲に、凍てつくようなプレッシャーが満ちる。)
「水の術式・死の氷指!!」
(純白の水が渦を巻き、巨大な氷の指を形作る。空気が凍る。沈黙。指がナズに向かって落ちていく――)
「――試合終了だ!」
ゼウスが立ち上がり、叫ぶ。
(攻撃が霧散し、ユキは立ち尽くす。ナズは地面に膝をついて笑っていた。)
「勝者――ユキ・ツカ!」
(観客席が歓声で爆発する。)
「……どうして止めたの?」
「姉妹を殺すわけないでしょ。」
ナズが微笑む。
「相変わらず自惚れがすごいね。あと顔もひどいまま。」
「……なんだと?!」
(ユキが彼女の頭を叩く。ナズは笑う。)
「話したいことがたくさんある。聞きたいことも。」
「そのうち話せばいいわ。今は――次の試合を見逃したくない。」
「もしかして、あの筋肉の男? 結構カッコよくない?」
「はあ……本当に目が腐ってるわね。」
「え、嫉妬してるの?」
「バカ。行くわよ。」
「じゃあ、否定はしないってことで……♪」
(場面転換。舞台裏でエデンが装備を整えている。)
「……終わったみたいだな。」
「第十二番、出番だ。」
「了解。」
(階段の途中で、シュウとすれ違う。)
「……健闘を祈るよ、シュウ。」
「――叩き潰してやるよ、エデン・ヨミ。」
(シュウの瞳が、まばゆく金色に輝く。)
豆知識: 秩序を維持するために、研究所には入ることができる学生の数が制限されています。このため、応募して不合格となった生徒は、成人年齢に達するまで再度応募することができます。