腐敗
疲れた、もうダメかもしれない。
何度も何度も思うことがある。自傷衝動に駆られている訳ではないが、段々と心が空虚になっていく。いわば心の老衰とでも言おうその感情は、生きながらに付いてくる寿命とは別に、扉の奥にいる死神にノックするようなものだ。
あなたは求められている人間だろうか。あなたが困っているならば声をかけてくれ、相手が困っている時に助けを求められる。そのような存在であるかを自身に問うと、求められていないと考える人は多いでしょう。
人間は一人では生き残れない、弱い生き物だと皆が認知しているはずだ。それなのに求められていないというのは、ある意味死ねと言われているようなものである。いや野垂れ死に近いかもしれない。
求められない存在はすでに死んでいると思う。私含めて死んでいる。不幸だ不幸だと嘆きながら死にたいと思えないのは、死ぬ必要すらない死人である。
よく偉大なる人が亡くなった時、私の心で生き続けるという陳腐な言葉があるが、生きながらにして求められていない存在とは真逆である事に気が付いた。そのような存在が死んだところで元から心にいないのだから何も変わらない。
私は死人であり、自身で死を迎えることすら価値がない。手元に残った少しばかりの気力だけで動いているゾンビだ。
シンデレラの夢を見て、今日も明日も同じような日々を感じる。