5話 流れ
俺は、人々の喧騒で輝く街を、風に飛ばされたビニール袋みたいに、行く当てもなく流されていた。
何故、俺は太一の家から、逃げ出してしまったのか。
表現することが出来ない感情の答えを求め、街を彷徨う程に、思考が濁った沼に沈んでいく。
幽霊になってから、こんな事の連続で、「疲れた」。
「あの人は、酷く疲れた顔だな」
「あそこの女性も、疲れてる」
「あのおじさんは、楽しそうだ、」
街を行き交う人々は、多種多様な表情をしており、その1つ1つが、命の証明ように感じられた。
「アイツは、……楽しそうな顔してるな」
1人の通行人の顔から、俺の事を魅了して止まない、あの表情を思い出す。
……俺と変わってくれないかな。『――バチッ。』 火花の弾ける音が、街の喧騒に押し流される。
街に流される、「いや、」流れに逆らう力が、俺にはない。
周りの雰囲気に合わせ、楽しくもない事でバカみたいな笑い声を、必死に上げていた。
友人グループを冷めた目で見ているが、1人になることが心底怖くて。
物事に打ち込む情熱や、何かを心から楽しむ余裕を、何処かに忘れてきてしまった。
「お~い、兄ちゃん。 大丈夫か?」
突然、目の前から男性の声がした。沈んでいた思考が、水面に引き上げられることで、酸素が巡る。
「聞こえてるか~? お~い」
「……はい、すみません、聞こえてます。えっと……あの、俺に何か?」
「お、それならよかった」
40代前後、無精髭を生やした男性は、ニヤリと笑いながら、俺の手を指さす。
「兄ちゃん、何があったかは知んないけどさ、焦げてるよ」
「……え?」
言われた事が分からず、指された手を目線の高さまで上げる。
眩しいネオンに照らされた俺の手は、濁った街の空気のように、黒ずんでいた。
「なんで、え、」
反射的に手を振り払うように叩く。だが、濁り黒ずんだその手が、白に戻ることはなかった。
「なんで、なんで!」
千切れるなら、千切れてしまえばいい。そう思いながら俺は、必死に腕を擦る。
「汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる。って知ってる? 兄ちゃん」
「今、関係ねぇだろ!」
「最初、あれ聞いた時におじさんは、あぁ……これは罪への懺悔なんだな。そう思ったんだけどさ」
俺は、目の前の男性を無視して、ネオンの下で、自分の手がまた清らかに白くなる事を願っていた。
「クソ、クソ! クソ!」
「でもなぁ、たぶん違うんだよ。今となってはあれは、」
「なんで、俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ!!!」
半径50mすら響かせることが出来ない俺の叫びは、神様には、届くことが無いんだろう。
照らされている、そのはずなのに目の前が徐々に暗くなっていく。
「まぁそんな焦るなよ、兄ちゃん。おじさんが助けてやるから、」
「うるせえぇよ! さっきから、意味わかんない事を……。」
この人、助けてやるって言ったのか? 目の前にいる男性は、どう考えても神様には見えない。
「おじさん、こう見えてこの世界長いんだよ」
一瞬、本当に少しだけ、景色に光りが差す。
「……助けて、くれるんですか?」
「おう。」
「……どうやって、」
藁にも縋る。その思いで、不安や恐怖の沼の中、目の前に流れてきた無精髭の藁を、掴む。
「そうだな。まず兄ちゃんは、どうして、そんなに汚れっちまったんだい?」
汚れ。俺が、黒く濁り始めている理由。いつから俺は汚れてるのか。
乾ききった脳から答えを絞り出そうとする。だが一滴の潤いさえ、俺の口に落ちることはなかった。
「…………わかりません」
「そっか。まぁ……それなら気長にさ、これまでの事、聞かせてよ」
ネオンに晒された俺の暗闇を、髭面のおじさんが、受け止めた。
輝く街の片隅。掃き溜めのようなに濁った公園で、俺はおじさんに、これまでの事を話した。
死ぬ前の事、死んだ後の事、母さんの事、親父の事、太一との過去と現在。
公園には、俺と同年代の若者や買春目的の大人などが集まり、混沌とした空気が流れている。
「……兄ちゃんが、なんで黒くなったのかわかったよ」
「ほ、ほんとですか?」
おじさんは、少し考えた後、驚くほど真剣な目で俺を見る。
「あぁ、……恋だな。」
「…………恋、」
真っ黒なパズルが1つの絵に変わる。俺の中にある暗闇の正体、流れに逆らうことが出来ない、俺の願い。
「兄ちゃんは、自分が持ってない魅力を持っている旧友に、ずっと惹かれてたんだろ?」
「…………」
「でもな、彼になりたいと思っても、同じ体験はできない」
「…………」
「感性や思考、価値観はその人だけの物だ。兄ちゃんの物にはならない」
「…………」
分かってる、理解している。でも、受け入れる事ができない。
見てしまったから……。あの頃の香りを残した太一の表情を、頭から消すことが出来ない。
憧れが、いつ恋に変わったのかはわからない。でも、背中を追いかけるには、俺はスタートを切るのが遅すぎた。
太一の家で、ソレを全身で感じたはずなのに、まだ諦める事が、できない。
「そう、その熱が、兄ちゃんを汚してる」
「……熱、」
微温的な俺に、誰かを燃やしてしまうような熱量があるなんて、思ってもみなかった。
「兄ちゃんは世の理から外れ、その人に成り代わりたいと思ってしまった。それが間違い」
「じゃあ、……太一を諦めることが出来たら、また白くなるんですか?」
それは、多分、できないだろう。自覚してしまった、だからこそ、この気持ちの捨て方が分からない。
「兄ちゃんは幽霊で、友達は人間だ、だから一緒にいるな。そう言いたいわけじゃない」
「でも、俺が太一に、……間違った感情を抱いているから、汚れて……」
「何言ってんだよ、恋する事が間違い、そんなのあるわけねぇだろ?」
「……」
「成り代わるだったり、こっちに引っ張るじゃなくて、ただ見守るっていう道もあるってことだよ。兄ちゃん」
近づこう、そればかり考えていた。同じ位置に行きたいあまり、それ以外の場所が見えていなかった。
「そういった奴の事を俺達は守護霊って呼んでる」
「……見るだけしか、」
「見守ってるんだ、立派な守護だろ。それに、……まぁこれは今度教えてやるよ」
おじさんがニヤリと笑う。正直、何を教えてくれるのか気になっている。だが、質問ができるほどに、頭を整理できていない。
「ちなみに、遊霊って呼び始めたのは、俺が最初だ」
意味の分からない事を言い出した。中年男性は若者を混乱させる趣味があるのだろうか……? 佐々木さんの顔が頭に過る。
「俺みたいに、遊び惚けてる奴らの呼び名がねぇのは悲しいだろ? 遊んでる霊、だから遊霊。――傑作だろ?」
髭面のおじさんの笑い声が公園に響く。たしかに、このおじさんには遊霊という言葉が1番しっくりくる。
「そういえば、 ……良い奴がいるんだが、ついて来るか?」
少し戸惑ったが、行く当てもない俺は、おじさんの提案を受け入れる事にした。
「……はい、」
「そんな、クヨクヨすんじゃねぇよ。少し汚れたくらい、洗えば落ちる」
おじさんは笑いながら立ち上がり、公園の出口へ向かって行く。俺は少し遅れて立ち上がり、背中を追いかける。
「それよりも、新しい事、面白い事を考えろ。例えば、宇宙旅行とかな」
「……うちゅう」
奇しくも、午前にも同じ言葉を聞いた。遊霊界隈では当たり前の事なのだろうか。
「それとな、人に恋するほど憧れることが出来る兄ちゃんは、俺みたいな良い遊霊になるよ」
喜んでいいのか微妙な言葉に、硬かった頬が、少し緩んでしまった。
「そうだ。楽しもう。」
俺のつぶやきか、おじさんの言葉かわからない。狭まっていた視野が少しずつ広がるのを感じる。
色彩が戻った輝く街には、どんな混沌だとしても受け入れる。そんな風格が漂っていた。
第5話を読んでいただきありがとうございます。
更新が遅れてしまい申し訳ありません。
最低でも週1の更新を心掛けていきますので、
今後とも宜しくお願い致します






